第二話  送電線プロジェクトと奈良正倉院の白瑠璃碗

 

聖武天皇の御物として正倉院に1300年間蔵庫されていた中から、イランからの伝承品で、送電線現場や暗殺教団のお城のあったギーラン州のお墓から数百個も出土した白瑠璃碗について報告する。

今回は遺跡ではなくて、芸術作品に関する事柄のため、暗殺教団の12世紀イスラム教イラン人と6世紀のペルシャ人との民族の違いを説明しておく必要がある

この瑠璃碗を作ったとされるペルシャ人はBC2000年頃、コーカサスあるいはトランスオクシアナから南下して、イラン西北部アゼルバイジャン、ウルミエ湖に入植した後、ザグロス山脈の東側のファールス地方の広大なイラン高原に移住してきたインド、ヨーロッパ系のアーリア民族である。従ってイランという国名は“アーリア人の国”という意味だとガイドブックには書かれている。

日本にもたらされた数々の伝承品は、ほとんどペルシャ人即ちアーリア民族が建国した王朝時代に作られたものである。(現在のイラン人はアラブ族との混血が進んで、ペルシャ人の素質の面影はほとんどない)

アーリア民族が建国した王朝を次に列挙しる。                               

 

 

王朝名

期間

首都

宗教

A.

メデイア国

BC7-BC550

エクバタナ(現在のハマダーン)

拝火教

B.

アケメネス王朝

BC559-BC331

スーサ、パッサガダエ、ハマダーン

拝火教

C.

ササン王朝

AD226-AD651

クテシフォン(現在のバグダート)

拝火教を国教とした

D.

サファヴィ王朝

AD1502-AD1722

イスファハーン

イスラム教シーア派を国教とした


 

目    次

 

1.白瑠璃碗   正倉院蔵

2.ペルシャ人の工芸能力を示すものは何か

3.白瑠璃碗が最も沢山出土する場所はどこか

4.白瑠璃碗はどこで作られたのか

5.ギーラン州では何故大量のカットガラス容器が出土するのだろうか。

6.このガラス容器はどのようにして日本へもたらされたか


 

参考資料

ペルセポリスから飛鳥へ 松本清張著 1988年5月20日発行 日本放送出版協会

ガラスの道       由水常雄著 昭和63年1月10日発行 中央公論社

新編 日本史資料    一橋出版

新編 世界史資料    一橋出版

The Castles of the Assassins  By Peter Willey