1.白瑠璃碗   正倉院蔵

 

 

奈良国立博物館の解説書によると

 

カットグラスの手法によって作られた、やや褐色を帯びた透明な小碗。底部には大きな切子一個

を施し、側面最下段に7個、さらにその上四段に各18個、合計80個の円形切子をめぐらしてい

る。

厚手のカットグラスは、ササン朝ペルシャ(226651)にあたるイラン、イラクをはじめカスピ海沿岸

や中央アジア、中国などの遺跡からも出土している。わが国では大阪府羽曳野市の安閑天皇陵

や奈良県新沢千塚、沖ノ島祭祀遺跡から同類のものが出土している。

おそらく本品は、イラン北部のギーラン州周辺で製作され、古墳時代後期にわが国に請来され、

その後伝世したのち法会などの際に東大寺大仏に奉献されたものであろう。伝世のカットグラスと

して大変貴重な遺例である。

 

 

 

 

 

口径:12 センチ 高さ8.5 センチ

碗の底部には中心に直径4センチ、周りに直径3センチの7個の円形凹面円弧型切子が彫られている

 

 

 

わが国のカットグラスといえば江戸切子、薩摩切子が有名である。ヨーロッパではボヘミアンカットガラスが知られている。

現代の作品は多彩な色ガラス容器に平面カットやV字カットで文様を描き出している。しかしこの碗のカット面は凹面で円弧状にカットされている。

これは通常の面カットより複雑で高度な技術が必要である。

また碗表面は上から4段に分けて、各段に18個の直径約2.2センチの円形凹円弧カットが切られ、隣同士がオーバーラップさせて、亀甲文に成型されている。

この白瑠璃碗は亀甲文切子であるが、テヘラン国立博物館には同時代のものとして、オーバーラップさせないで、円形凹面切子花瓶とか円形凹面切子碗、二重円圈文切子碗などが展示されている。そしてその出土がいずれもイラン北西部と記されている。

イラン革命前後や今日でもテヘランのメイダンフェルドシー広場周辺やパーレビ街の古美術商を尋ねているが、未だに見つかっていない。

わが国では個人蔵や美術館蔵で十数個あると聞かされているが、東京池袋のサンシャインシテイ文化会館7階にある古代オリエント博物館で見ることが出来る。

しかしこの展示品はお墓からの出土のため表面に白い粉が発生していて、正倉院のような美しさ、作りの精巧さを観賞することは出来ない。

正倉院の白瑠璃碗のような状態のものは世界でも現存していないとも言われている。

113日文化の日に奈良国立博物館で、現物をご覧になることをお勧めする。

一昨年金沢の香林坊のガラスショップで、偶然この碗のレプリカに出会った。イラン病患者にとって本物に出会えないのなら、せめてレプリカでも身近に置いて観賞したいと思っていたので、すぐ製作地と作家を調べたら、石川県能登島のガラス工房で製作されていた。作者はガラス工芸家由水常雄氏で、在庫は7個しかないと聞かされた。

正倉院の碗に最も近いデザインの作品を7個の中から選べばよかったのだが、由水氏は製作を止めて、鎌倉に住まわれており、作品も展覧会に出品して一個所集めることが難しかった。結局2回ほど宅配して貰って、亀甲文切子碗を購入したので、それを次に展示する。正倉院の碗は薄い飴色であるが、残念ながら由水氏の亀甲文の飴色碗はなかったので、薄紫になってしまった。

 

 

 

口径:11.8cm 高さ:8.7cm

碗底部の中心に直径4.1センチ、周りに直径3.0センチの7個の円形凹面円弧型切子が彫られている

美術館の展示方法では万華鏡になる

 

 

 

この作品を手にとって、判ったことは

A18個の亀甲文が4段の円周に描かれているが、段ごとに円周長さは違っている。

そして各段に彫られた18個の亀甲文の寸法は段毎に理論的に違っていなければならない。

B.段ごとに18個の研削位置を器に精密なマークを付けて、そのマークに切削砥石を3次元で正確に進め

ないと最後に切削した亀甲文がいびつに変形する、また正六角形にならない。

この観点から由水氏の作品を見ると、各段の18個の亀甲形は段ごとに完全にそろっている。

しかし最上段の18個は正六角形だが2段目はやや横長になり、3,4段はかなり横長になっている。

一方は正倉院の碗を写真から観察すると各段とも正六角形に彫られていることがわかる。