イラン病患者からのレポート第六話
水場の難工事とウオッカ醸造そして正体不明な城郭遺跡
北島 進
標高3300メートルのエルブールス山頂付近の険峻な岩山から、海抜マイナス30メートルの高温多湿地帯のカスピ海沿岸に至る高低差が最もきつい谷底は、山肌を深く切り裂く尾根が寄り集まっている。そこをテヘランとカスピ海沿岸中心都市チャルースを結ぶ幹線道路が、尾根の麓を縫うように多くの急な曲がり連なることから、イラン人は”ヘザロチャム“(千の曲がり道)と呼んだところだ。
1977年11月に、古河電工がネカーゼアラン400kv架空送電線工事の現地調査のために派遣した調査隊が、このヘザロチャム領域を観察した結果、水平鉄塔(3相1回線)を平行に2本並べるのは、非常に困難な場所が数多く発見されて、この工事は受注すべきではないという結論に至った経緯があり、ビジネスウイーク誌も世界最難送電線工事と評したほどであった。
しかし、諸般の事情と現場の詳細な調査の結果に基づき、1978年3月に受注調印が交わされて、このプロジェクトはスタートした。しかし1年後の1979年2月にパーレビ王朝が崩壊した。
革命政府はシャー時代のプロジェクトの再審査を行なったが、テヘラン周辺の民生用電力不足は深刻で、イランエネルギー省や顧客のイラン電力省(タバニール)は、このプロジェクトの優先順位を高められた。
途中、エネルギー省や電力省の総裁や副総裁の更迭が繰り返されるという紆余曲折もあったが、最終的には都市住民や産業に、十分な電力供給を早く確保する積極的な方針が打ち出され、インボイス処理が早くなり、セメント供給優先権の授与、技術承認用書類の敏速な対応など結果として、革命前より仕事が進め易くなった。
革命に伴う諸般の事情は悪化して、工事に及ぼす影響を損害賠償で償う方策もあったが、早期完工を優先して、そのような方策を採らず、イラン人下請け業者を主体に工事契約を進めたことも、イラン側に好意的な協力姿勢だと評価されて、当初から申請していた二回線ルートを一回線ルートにする契約変更が1979年8月に認められて1ルートがキャンセルされた。
その結果、初期の二回線ルートで送り込んだ資材の半分は余剰となり、その余剰資材を、ゼアラン変電所からイラン西北部アゼルバイジャン州の州都タブリーツ変電所までの、水平鉄塔1回線ルート送電プロジェクトに転用することになった。
そして1981年7月に、ゼアラン―タブリーツ間総長432km鉄塔数1079基の400kv水平1回線鉄塔送電線プロジェクトのフルターンキー方式の受注契約が成立した。
今回の話はこのプロジェクトに関わるものである。

CONTENTS
1. 水場の難工事
2. 禁酒国イランでウオッカ醸造した話
3. ミヤネ町の郊外のモンゴル橋とお城

平成21年9月