1923年、祖父が渡ったナイヤガラの滝の鉄橋
川村 知一
はじめに
昨年12月22日、クリスマスバージョンの東京ディズニーランドに行った時、記念写真を受け取るコーナーの壁に、古いナイアガラの滝の写真があり、現在では見られないような鉄橋が写っていて、謎が半分解けたように思われた。(写真1.ナイアガラの滝と鉄橋)

写真1.ナイアガラの滝と鉄橋

祖父の日記
私の手元に、大正12年(1923)4月から5か月間欧米出張した祖父の日記があり、サンフランシスコから大陸横断鉄道(途中シカゴとデトロイトで乗り換え)でナイアガラの鉄橋を通過、列車は5分間停車して乗客に観光サービスした記述がある。便利な世の中なので日記をスキャンして紹介してみたい。

日記
私の祖父は大正12年、石川島造船所の技師として5か月間欧米の多数の大企業や港湾インフラなどを見学して情報取集し、旅と業務を兼用した日記を残した。

備考
母方の祖父は京都大学機械工学科1ケタ卒で、石川島造船所の(日本初の)クレーン設計技師で、1914年9月には、第一次世界大戦で青島のドイツ軍要塞攻略に工兵隊少尉として参加した。
日記を残した欧米出張後はスカウトされて昭和電工の尿素プラント(アンモニア高圧合成)設計に携わった。
戦争中は蛍石からのアルミ精錬、石炭液化による航空燃料製造、速射砲の油圧式弾丸装填設計(耐久性に優れ、戦後、米軍が図面を持っていった。)など。

ナイアガラの橋の歴史
ナイアガラの滝の近くには南北戦争後、@石と木で出来た最初の橋が作られ、観光客が多くなり1897年にはA最初の鉄橋ワールプール・ラピッズ・ブリッジが作られ、1941年には滝近くに3番目の橋Bレインボーブリッジが作られた。(祖父が渡ったのはAになる。)
(写真を見ると多少合成写真?の疑問も残る、)

日記のスキャン紹介
(いずれもスキャンイメージナンバーの下4桁をクリックすれば表示されます。また、表示画面の左上にある矢印[←]をクリックすれば、この画面に戻れます)

1. 米国大陸横断鉄道の旅(サンフランシスコからニューヨーク)
・シカゴの一日(早朝到着→市内観光→夜行でデトロイトへ)
・デトロイト→ナイアガラ→ニューヨーク
(スキャンIMG 2016 0204 000100020003000400050006

2.企業訪問の一例
・東京商工会議所会頭、藤原雷太氏の従者としてVickers(英国)など見学
(IMG 2016 0204 0009)
・パリSomua工場にて、スイス滞在中の部下の土光君に手紙
土光敏夫氏(後の経団連会長)はスイスでタービンの技術を勉強していた。
(IMG 2016 0204 0007および0008)
平成28年2月4日