15.鳳凰と生命の木絨毯
(1)   購入時期:2004年10月
(2)   製作年代:20世紀中頃
(3)   製作地:コム
(4)   寸法:1.5x2.0m
(5)   染料:化学染料
(6)   織り耳:丸型
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:絹
(10) 横糸:絹
(11) パイル:絹
(12) ノット数:80 ラッジ

購入の経緯

   ゴルダニ サラサリが安かったので、現金が残ってしまった。
   テヘランバザールの中央入り口から進むと雑貨や宝石売り場のあたりから、日本人と見ると片言の日本語で絨毯を買わないかとハエの如く近づいてくる若者がおり、あまりに執拗に迫るので、最初の大きな絨毯店に逃げ込んだ。
   ここの店主の息子はアメリカに留学したので、英語が上手だった。
   2階の展示室で物色したが古い遊牧民の素朴なデザインを都会的なセンスの色調で纏めた生命の木やバクテイヤリデザインを見せられた。一般受けは良いかもしれないが、僕の目にはいずれも特徴がなくて物足りない。階段の壁側にこの鳳凰の絨毯が掛っていたが、しばらく観察しているうちに、この高貴なつがいの鳳凰が大きく羽を広げて枝に留まろうとしている姿に躍動感を覚え、また鳳凰という鳥の勇姿や地上に戯れる鹿やウサギの可愛らしい姿に魅せられて、値段を聞いてしまった。6,000ドルと答えが返ってきた。
   直感でこれは日本の小売値だ、とても承服できないので、3分の一の2,000ドルでどうかというと当然拒否された。それなら欲しくないから帰るといって階段を下りたところで、親父がデスクに座っていた、上での話を聞いていて、3,500ドルでどうかと親父が言ってきたが僕は欲しくないと扉を開けて出ようとしたら、親父が2,600ドルでどうかと畳み掛けた。息子と親父は其の時なぜそんなにまけるのかと口論をしていたが親父は俺がここの責任者だ、文句を言う権利はお前にはない、みたいな発言があり、この値段なら受けよう、しかし現金はホテルで払うから送ってくれと送らせた。
   生命の木デザインは砂漠で生きる遊牧民の生活にとって緑豊かな田畑や果実のなる果樹園、水の流れが絶えない緑の庭園で小鳥が囀り、梢に巣を営む光景が理想的な憧れの楽園であり、イスラム教では死後の極楽浄土のイメージとして捉えられている。
   昔から家庭で敷かれる絨毯には休息の場として、この様なデザインの絨毯が強く求められ、多くのヴァリエーションを伴って作られてきました。この作品には巣の営みが見られないのが残念であるが、全体の構成は地上には鹿や草木の種類にも変化を持たせてデザインを単調にさせない配慮がうかがえる。主役の生命の木は2本で(動物の雌雄を意味する)、互いに絡み合って仲睦ましい様子を表現し、小鳥も皆そのしぐさ、体の捻りを可愛らしさの象徴のような表現になっている。上部に全体を生命という荘厳なデザインに重さを与える為にツガイの鳳凰がダイナミックな姿勢で描写されている。この絨毯は植物も動物もみなツガイを意識してデザインが進められたことが読み取れる。デザイン的には兎角浮ついた派手なものになりがちなところを色数も限定して、色彩も抑えた味わい深い色調を使うことによって重厚さを出している。
   遠目から見ると判るがボーダーの赤はフィールドの“からし色”やデザインを浮き立たせる額縁の役目を十分果たしていることが認識されよう。ボーダーのデザインはパルメットと小鳥のツガイ、アヒルのような鳥が大きくウエーブする鶴巻枝の内側に描かれ、繰り返しながら繋がっている。このようなデザインは繰り返し文様とは違って、織りの間違えは許されない。フィールド内のデザインには左右対称とか上下対象とか繰り返しの文様がなく、絵画的なデザインなので、間違いが発生し易い。もし間違えると形やデザインの連携が不自然で滑稽な姿になってしまう。
   従ってベテランの織り師が十分時間を掛けて完成するために価格が非常に高くなる。
   このデザインは日本ではバラの総花文様絨毯で有名なラジャビアンの父のものと言われている。上部にあるカルトーチには“ラジャビアン”の銘が入っている。ボーダーの詳細図は下図のようで、鳥は全部で21羽描かれており、8種類ある。

 
16.アラク製ゴルダニ サラサリ絨毯
(1)   購入時期:2004年10月
(2)   製作年代:20世紀中頃
(3)   製作地:アラク
(4)   寸法:2.0x3.0m
(5)   染料:化学染料
(6)   織り耳:丸型
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:綿
(10) 横糸:綿
(11) パイル:毛
(12) ノット数:40 ラッジ

購入の経緯

   イスファハン バザール内の辺鄙な地下街に店を構えている絨毯商に出会って、バザールの案内をして貰った。バザールの南入り口付近の小さな絨毯店内に敷かれていたものがこの絨毯である。ゴルダニ サラサリを探していたので、埃にまみれてベージュ、赤、緑が柔らかな色彩に見えて気に入ってしまった。値段を聞いたら、店主は意外そうな表情で、微笑みながら、ちょっと間をおいて700ドルですと答えた。埃を大量に吸って白っぽい粉が表面を覆っていた。翌日出発しなければならないので、その日の内に洗浄乾燥させなければならず、絨毯商を通して洗濯屋に依頼したが、顧客が外人だと判ったこと、さらに短時間で仕事を完了しなければならい、約束の時間にホテルに届けるなどで吹っかけられて50ドル取られた。(現地通貨では37万リアルと大変な金額である。)
   しかし後で考えると15ドルで絨毯商に案内させたために、店主もいい加減な値段を付けられず、700ドルは結果的に安い買い物になったと思われる。
   同じバザールの道路沿いのビル2階にセーラフィアンの専門店に案内された。
   ここにはハッサン セーラフィアン氏のゴルダニ サラサリ(1.3x2m)の中古品が埃にまみれ置かれていた。
   値段は3,300ドル。一見して地味で図案が沈んでいるように感じたので、先に見た本絨毯の方が色気と艶を感じて、とてもセーラフィアンを、この値段で買う気持ちになれなかった。
   しかし洗浄したら意外に落ち着いた奥行きのあるシックな作品だったのではないかと心残りがした。
   作られた場所アラクは昔イランのイラク族の町、スルタナバードとして知られた。テヘランから西に285kmにある。この町はカジャール王朝時代のファトハリ王の要請によって19世紀に建設された。200年足らずの短い絨毯製作歴しかないにもかかわらず、100年以上にわたって、もっとも重要な絨毯の輸出基地の一つに成った。1883年イギリスのマンチェスターから来た外国企業がスルタナバードに事業所を開設して、彼らの好みの色調やデザインの絨毯を発注するようになった。それ以降地元の伝統的なものから、“アメリカ風サルーク”とかイラン名“バーフアメリカ”と呼ばれる絨毯が大量に輸出されるようになった。サルークはアラク(スルタナバード)北部にある村で最初に作られたが、今日ではこの地方の最高品質絨毯にはこの呼び名が与えられる。
   この地方の赤色は他の地方の物と違って、ドウーヒ赤と呼ばれるアカネの根から抽出した赤色染料で染色した材料をヨーグルトと水の混合液に得られる色で独特な色彩を持っている。

デザイン

   このデザインはゴルダニ サラサリ文様別名ゼロ ソルタニとも言われ、フィールドはドウーヒ赤の花瓶から可愛らしいピンクと赤のバラが立ち上がり、その左右に小鳥のツガイが向き合っている文様が淡いベージュのフィールドに市松方向に繰り返されて、イスラム教から来る中近東独特の空間を図案で埋め尽くす趣向が良く表れている。花瓶の両脇に一対の鳥が留まっているのはこの文様の定番であり、可愛らしい温かみのあるデザインで、見る人にホッとした安らぎを与えるペルシャ絨毯ならではの作品である。
   この花瓶や主ボーダーの地の赤はドウーヒ赤が使われている。ボーダーには淡いブルーのパルメット文様の両脇にピンクのバラが配置され上部の空間にヒヨドリのような鳥が2羽向かい合ったデザインを連ねたものになっている。

 フィールド
      ボーダー                                      フィールド拡大
 
17.ペアーのバクテイヤリ族絨毯
(1)   購入時期:2003年10月
(2)   製作年代:20世紀中頃
(3)   製作地:バクテイヤリ
(4)   寸法:1.5x2.0m
(5)   染料:天然染料
(6)   織り耳:丸型
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:綿
(10) 横糸:毛
(11) パイル:毛
(12) ノット数:40 ラッジ

購入の経緯

   イランはイラク人、アルメニア人、トルコ系、クルド族、蒙古系、アラブ系など多民族国家である。これらの民族の中でも特にペルシャ絨毯に大きな影響を与えた民族はイスファハンの西方、ザグロス山脈の東側で遊牧生活をしていたバクテイヤリ族とシラーズの西方で、ファルース地方で遊牧生活をしているカシュガイ族である。特に「11.フェリアンのバクテヤリ絨毯」で述べた様にバクテイヤリ族のデザインは創造性に富み、全く独自のデザインを次々に創出して、世界の絨毯愛好家を虜にした。中でもこのパネルデザインは最も人気の高い代表的なもので、全国の絨毯製作地で作られている。この絨毯はイスファハンバザールで古い絨毯を専門に扱っている店に展示されていたものである。最初は1枚かと思ったら、ペアーだから2枚でセットであると言って、奥からもう一枚出して来た。見た瞬間これは天然染料で、バクテイヤリ族の家庭で織られたものではないかと想像出来るほど、色、織り、品質も素朴で実用性を重視して作られたものだと判断したので、買うことにした。この絨毯から遊牧民の生活の匂いとか、単調な、色の少ない生活環境でも、せめて家の中にはイラン人の理想とする自然の楽園を敷物の中に実現しようと編み出したもののように思われる。
   年代は不明ですが使われた古い絨毯で、色調も天然染料ならではの柔らかで、色同士が馴染み合っている。
   値段は2枚で1,700ドルだった。安いか高いか判断できなかった。

デザイン

   これはヘシテイ(レンガ)とかパネル、庭園デザインとか呼ばれている。このデザインのモチーフは庭園から来ている。砂漠の遊牧民は豊かな水と美しい花が咲き、たわわに果実が実る樹木のある庭園が楽園だと信じているから、せめて1日の疲れを癒す部屋の中にもそれを求められても不思議ではありません。
   碁盤目のような格子の枠の部分には川が流れているイメージで、枠の内側が庭園、花が咲き、小枝に鳥が留まっているとか柳の木、糸杉の両脇にデホルメされた花の咲く木、花満開の下で駆け回る犬、アーチの形に花を咲かせた木など遊牧民が日頃目の前で見かける動物や植物を幾世代にも受け継がれて、次第にデザインが抽象化され、デホルメされて現在のような形に定着した。
   だから一見理解できないデザインになっているが彼らにとってはオリジナルがしっかり認識されている。10種類のデザインがあり、1種のパネルの周りに2種類のパネルが各4個づつ合計8個で4辺形を中心に、その上下に1種のパネルに柳のパネルを4枚上下左右に置いて、放射線上のコーナーには2個の3段の傘を持つ松と祈祷用の方位を持たせた生命の木を描いた2種のパネルで構成されている。両脇に別な組み合わせのパネルの一部が描かれている。ボーダーにはシャーアッバス文様を挟んで、両側に鳥が向かい合っている。


中央文様                                         コーナー文様
 
 
18.祈祷絨毯
(1)   購入時期:2005年10月
(2)   製作年代:20世紀初期
(3)   製作地:不明 
(4)   寸法:1.3x2.0m
(5)   染料:化学染料
(6)   織り耳:丸
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:綿
(10) 横糸:綿
(11) パイル:毛
(12) ノット数:42 ラッジ

購入の経緯

   2003年10月にペルシャ絨毯の歴史の中に燦然と輝く独創的で、色彩の魔術師といわれるほど変幻自在な色のハーモニーを織り込んで、世界の指導者の群像を描いた絨毯など製出したケルマンラヴェール、ケルマン市を訪れて、そのような絨毯の出会いを求めたが、残念な結果であった。その後ケルマン州にある世界的な歴史遺産アルゲ バム城塞都市(あかがね会HPアラカルト参照)を見学した。その2ヶ月後の12月21日に大地震に襲われ崩壊してしまった。
   帰途イスファハンに立ち寄り、バザールの小さな店に展示されていた祈祷用の絨毯を見て、日頃から、祈祷絨毯を探していたので、ようやく出会えた喜びで、現物の良し悪しをあまり検討することなく決めてしまった。店主も若くて世慣れしていない明るい活気のある青年で、同行した20年前から工事で雇用していた運転手兼クラークのアスカリプール氏と交渉した結果700ドルだというので、すぐ買った。その日の内にテヘランまで帰らなければならず、急いで梱包して車に積んだ。その夜ホテルでしげしげと観察すると、よくもこんなに汚れたものを展示したと呆れるぐらいひどいものだった。翌日日本に帰るので、来年取りに来るから絨毯屋にクリーニングさせてくれと運転手に頼んで来た。翌年彼の家に招待されて、絨毯を受け取ろうとして、再会した絨毯がどうも様子がおかしい。デザインも、織りも柔らかくて、薄くてスカスカした粗悪品を出してきた。これは僕の絨毯ではないと言って、受け取らずに帰ってきた。2007年9月に再訪した際別件の仕事で彼を使ったので、報酬を多めに支払ったところ、家に招待を受けた、奥さんや娘が歓待してくれた後、いよいよ絨毯の話をし出すと、旦那がすごすごと打ち明ける話で実は女房があの絨毯を非常に気に入り、毎日クリーニングして大切に保管し、3度の祈りの際に使っていたので、どうしても手放せなかったので安物を出してしまった。日本人なら“まことに申し訳ない”と率直に謝るのだがイラン人はまじめな彼でも正面きって自分の非を認めることはめったにない。
   奥さんはニコニコしながら、丁寧に白い布でぐるぐる巻かれた絨毯を運び出して、僕の前でゆっくりと開いてくれた。もう一目で“これが僕の買った絨毯だ”と叫んでしまった。
   奥さんにはよくぞこんなに綺麗に使ってくれてありがとうと言って、また彼女の祈りが染み付いたこの絨毯と飛行機に乗れば絶対に災難には合うはずがないよね。といってお祈りと綺麗に使っていただいた御礼に100ドルを渡した。
   彼らは来年長女の結婚式のため、日本と同様に嫁入り道具に箪笥、冷蔵庫、レンジなどを準備する習慣で、お金がいくらあっても足りないらしく、目を細めて微笑しながら感謝の意を表現していた。結局800ドルになった。祈祷用絨毯は個人が作らせるため、資産家の場合すばらしいものが作られるが滅多に市場に出されることはない。この作品は並みの物なので、市場に出たが優品は展示されても非売品が多い。2007年にテヘランバザールのある店の店主のお爺さんが使っていたというアンティーク(100年以上)の祈祷絨毯(非売品)を展示してあったので、添付する。

デザイン

   祈りの方向を示すため、方位が与えられるデザインを施している。写真の上部の茶色のコーナーと濃紺のフィールドによって、方位が描かれている。一般に祈祷用絨毯は主ボーダーにカルトーチで枠を設けて、その中にコーランを表現する場合が多い。また色合いも濃いエンジ、濃紺、ピスタシオグリーンのような重厚なイメージになる。
   しかしこの絨毯は女性が好みそうな可愛い小さな花が生命の木に降りかかり、絨毯の下部祈祷者が立つ足元から、額を置く方位のあたりに向かって、左右から伸び上がっている。
   いかにも祈祷者が額づいて、美しい花園に抱かれたいような誘惑に駆られるような幻想的なデザインである。基本的には縦軸上の中心に方位に方向性を持たせた変形メダリオンがあり、上下には小ぶりなサブ トランジが描かれている。足元には大きなシャーアッバス1個が命の源のように多彩な色で描かれて、メダリオンへ繋がっていく。
   日ごろの生活苦や疲労の後の心と体の休息を3度の祈りの中で、このような花園に浸ることで解を見出すイスラムの信仰心はかよわい人間にとって、何物にも代えがたい救いなのだと理解される。
                         
                     方位                                       中央メダリオン
                   
19.ケルマン絨毯
(1)   購入時期:2010年10月
(2)   製作年代:20世紀中期
(3)   製作地:ケルマン
(4)   寸法:1.5x2.3m
(5)   染料:化学染料
(6)   織り耳:丸
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:綿
(10) 横糸:綿
(11) パイル:毛
(12) ノット数:42 ラッジ
(13) 色数:12

購入の経緯

   学友の山本さんとシラーズのペルセポリスを案内した際シラーズのバザールで、探していたデザインの中古絨毯に出会った。最初800ドルと言って来たが600ドルにしてくれと申し出ると700ルでどうかと言うので欲しかったから手を打った。
   よく状態を調べて欠陥があったら値引きしようと思ったが、友人が待っているのでそれが出来なかった。
   店主にテヘランバザールのラスールへ電話を入れてもらい、現物はテヘランで受け取る話になっていた。
   ところがテヘランに着いてラスールに会ったら現物はまだ来ていないと告げられて驚いた。 直ぐに電話を掛けさせたが相手の電話番号がわからず、シラーズの絨毯組合に連絡して日本人がケルマン絨毯を買う約束をした店を割り出してもらった。
   10月30日までには届かず2週間ぐらいしてラスールの事務所に届いた。
   調べてもらったらボーダーが膨らんでいたり、変色部分があったりして修理をしていただいた。結局ラスールは修理費に10万円かかるかも知れないので払って欲しいと言うので支払った。もし修理費が余れば大阪のハミッド経由で払い戻すとのことだった。
   この場合差額があっても要求するほどの金額ではないので、10万円+700ドルで買ったことになった。
   このケルマン絨毯のデザインは非常に有名であり、日頃欲しいと強く思っていた。
   少し狙っていたものと違っているが、それはハッジ ハノム文様が中心に三個描かれている点だ。でもケルマンラヴェール製の大変優れた絨毯に同じものが発見されて、望外の喜びになった。絨毯の質はあくまでも実用の水準であるが、このデザインはなかなか見出せないのではないかと自負している。下段の写真がが非売品の欲しかった絨毯である。
 コーナー文様は上下で少し異なっていることが確認できる。
 上 コーナー           下 コーナー             
 欲しかった絨毯

 
結び

 駆け足で19枚の絨毯の歴史を巡ってきたが、この説明文は実は購入した時に一枚ずつ記録していたもので当時は結構ペルシャ絨毯を勉強して書いていた。しかし84歳になって、読み直すと今書いてみろと言われると全く忘れて何も書けないと思わされた。
 この歳になってイランに行けと言われても肉体的にも精神的にも『しんどい』と感じています。そう言う意味ではこの様な趣味は70歳代までだと思うと人生は短いと思いました。
 このコレクションを今後どう生かすか思案しているところです。


参考資料
   Oriental Rugs in Colour 著者 Fresen Liebetrau
   ペルシャ絨毯の道 坂本 勉著
   The History of Carpets 著者 Essie Sakhai
   Oriental Carpets (Buyer’s guide)著者 Essie Sakhai
   Persian Carpet 著者 テヘラン絨毯美術館 
   ペルシャ絨毯文様事典三杉隆俊 佐々木聖著
   絨毯 シルクロードの華 群馬県立歴史博物館  杉村 棟著
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 2021年5月13日