5.エルヤシ工房 シルク絨毯
(1)   購入時期:1998年7月       
(2)   製作年代:20世紀中期        
(3)   製作地:コム           
(4)   寸法:2.0x3.0m     
(5)   染料:天然染料          
(6)   織り耳:丸
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:絹
(10) 横糸:絹
(11) パイル:絹
(12) ノット数:70 ラッジ(幅7cm)

購入の経緯

   この絨毯はエラミ工房と同じく、メデカルチ氏の店で購入した。
   動機はフィールドのワインカラーとフィールドに散りばめられた小さな花模様がメダリオンの中心に放射状に広がって、あたかも宇宙の星くずのように見えた。
   メダリオンの上下に配置したサブトランジも伝統的なデザインで、他の絨毯にも良く見かけるものであるが、メダリオンとサブトランジの地色が濃紺でフィールドのワインカラーと実によく調和している。
   何といってもエルヤシの色彩感覚の素晴らしさに心を動かされた。
   エルヤシ氏はクムの絨毯界ではそれほど有名ではないので、価格はエラミより安かった。
   メデカルチ氏がドイツのハンブルグに出掛けていたので、値段を問い合わせたところ11,300ドルだった。その後テヘランのバザールでエルヤシ氏の専門店でほぼ同様の作品を確かめたところ8,500ドルで売られていた。

デザイン

   デザインはイスファハンなどで多く採用されているメダリオンコーナーである。
   特にサブトランジの2羽の鳥が背中に蝶の羽のようなものを背負っている図案はコム市のラシュテイザデイ氏のメダリオンコーナー絨毯にも見られる。
   エルヤシ氏の最も特意な点はコーナーにも如実に現れているように色の組み合わせの妙が際立っている。
   外側にピスタチオグリーン、次に薄茶系のグリーン、明るいベージュ、ワインカラーのグラデエーション、そしてその間隙を濃紺のドラゴンヘッドのあるブルーのエスレミで繋いで、全体の図案にメリハリを着けている。
                       


メダリオン                 サブトランジ                   コーナー               ボーダー      
6.セネー絨毯
(1)   購入時期:2000年4月        
(2)   製作年代:20世紀初期        
(3)   製作地:サナンダジ          
(4)   寸法:2.0x2.0m       
(5)   染料:天然染料          
(6)   織り耳:平織り            
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:トルコ
(9)   縦糸:絹 ハフトラング(7色の房)
(10) 横糸:絹
(11) パイル:絹
(12) ノット数:90 ラッジ

購入の経緯

   この絨毯はテヘランバザールのラスール エスハーギ氏の店で購入した。
   丁度彼は大阪の弟の店に出掛けて留守だったが、カマチ代理人が取り計らってくれた。
   何時ものように僕が事務所にいると、こちらから意思表示しなくても近所の事務所の事務員が色々なアンティーク絨毯を持ち込んでくる。この日はこの一枚だけだった。
   縦糸がハフト ラング(七色)で、珍しい絨毯だと思って店前の広場に広げて見たら、絨毯にしては厚さが3mmぐらいで薄すぎる。しかしフィールドの黄金色、四個の糸杉で構成されるメダリオンの色彩は重厚で光沢があり、デザインの複雑さを絶妙な色彩のハーモニーで処理されている。ただ呆然と見とれているだけだった。どのような動機が、これ程までに濃密な絨毯を作らせているのか知りたくなった。しかもサナンダッジ市はイラン、トルコ、イラクの国境にまたがり、自国の建設のため、いつも反政府組織が活動するクルド族の多い町である。サナンダッジはペルシャ絨毯の歴史上、非常に重要な製作基地で、この街で織られるセネーデザインはペルシャ絨毯でも個性的で独特な製品が作られて、イランの絨毯界に影響を及ぼした。
   カマチ代理人と外の光の下で観察しようと広場に広げて、しばらく観察後絨毯を畳んで事務所に戻ったら、二階の絨毯商が降りて来て、さっきの開いていた絨毯を売ってくれないかと言って入ってきた。カマチ代理人はイヤ“この日本人が買うのでだめだよ”と伝えたが、代理人の話ではあの商人も兄弟がアメリカに店を出しており、古くて珍しいものを探しているとのことだ。オーナーの出し値は1万2千ドルだった。
   最後は8,550ドルまで引かせた。帰りに高級絨毯街にあるメデカルチ氏の店に立ち寄ったとき、ドイツのハンブルグに出店している絨毯商に出会ったので、この絨毯を見せたところ、絨毯の裏側を見て、すぐに“この絨毯は手放さないでほしい、すばらしいもので、美術館行きだよ”と言っていた。
   この時には突然の出会いで彼の名前も顔も知らなかったが、坂本勉著『ペルシャ絨毯の道』のP119にこの時に会った人物(添付写真)が出ていたので、びっくり仰天した。多分メデカルチ氏と商売仲間であろう。空港での通関が心配だったが、スーツケースは検査するがショルダーバッグや手持ちのものはフリーパッスだったので問題なかった。それほど薄くて軽かった。
   兎に角世界の絨毯美術館を訪ねて観たが、縦糸に7色の房を使った絨毯は見た事がなかった。
   多分この絨毯は地元テヘランバザールの卸市場だからこの値段で入手出来たがロンドンのオークションに出品したら、いか程の値が着くのか想像するだけでも楽しくなる。

デザイン

   横軸に六角形のメダリオンが三個並んでいるが両端は半分に分割されている。
   同じメダリオンの上下に小さなサブトランジが一個ずつ並んでいるが両端は半分になっている。
   メダリオンには2個の糸杉が配置され、その糸杉には濃紺の縁取りで黄金色のフィールドに拡大写真でわかる通り、何とも表現ししょうがない複雑な紋様である。一方残されたフィールドの形は擬似六角形に近く、メダリオンを引き立てるようにフィールドを明るい黄金色でその中にエンジ、濃紺、ピンク、濃い緑の四個の糸杉が描かれている。繰り返すが縦軸に並んだ濃紺の六角形メダリオンによって残されたフィールドには黄金色の擬似六角形の大きなメダリオンで四個の糸杉で満たされている。一見すると大きな擬似メダリオンの方が本命の様にも受け取られるかもしれない。
 この黄金色の華やかな擬似メダリオンに対して複雑な花々が濃密な茶系の色彩で描かれたメダリオンが対象的に並んでお互いにハーモニー奏でている。
   このような民族の生み出したデザインは長い時間と彼らの生活環境の変化、他民族との結婚による文化の融合などにより、複雑に変化してきた。
   この微妙な織の色彩変化にはパイルの色だけではなく7色の縦糸の選択にも隠された技術的な要素があるのではないか。なぜ7色の縦糸を使ったのかその疑問は今だに解けない。
   デザインを言葉で表現することが空しくなるほど、この絨毯の文様は複雑である。
   使われている基本的な文様はアーカンサスの葉、パルメット、鶏冠のある小鳥、シャーアッバス文を単純化して、枝に結びつけたデザインなどが何の違和感もなく、お互いに結び合わさり、空間を隙間なく埋め尽くされている。このデザインは初めていきなり創造されたのではなく、長い時間と多くのデザイナーが生み出したデザインを組み合わせたり、新しいものを付け加えたりして、生まれたものだろう。
 四個の糸杉メダリオン  糸杉拡大  二個の糸杉メダリオン

 
          7色の縦糸                         AFKHAMIの銘(ペルシャ語)
 タスレミー氏はこのサインをアファッミと読んだが     

製品証明書

   この絨毯も「1.スーフ織カシャーン絨毯」と同じように2010年シルクペルシャ絨毯の世界展に出品して鑑定と証明書を取得した。
7.タブリーツ絨毯
(1)   購入時期:1979年6月       
(2)   製作年代:20世紀初期         
(3)   製作地:タブリーツ          
(4)   寸法:2.0x3.0m      
(5)   染料:天然染料          
(6)   織り耳:丸              
(7)  横糸本数:2本 硬め
(8)  結び方:トルコ
(9)   縦糸:綿
(10) 横糸:綿
(11) パイル:毛
(12) ノット数:50 ラッジ

購入の経緯

   イラン送電線建設プロジェクトが開始されたのが1978年4月である。1979年1月16日パーレビ国王夫妻がイランを出国してパーレビ王朝は崩壊した。2月1日ホメイニー師がイランに帰国した。この革命が成就されて以降、一時絨毯の輸出が禁止された。
   三越、高島屋で販売されている多くのペルシャ絨毯は三井物産がイラン全土で仕入れて日本に輸出していた。ところが輸出がストップしてテヘランに在庫が溜まってしまった。
  一方送電線建設プロジェクトを担当するわが古河電工はプロジェクトに関する資材、工事設備、車両などの日本からの輸出、イラン国内への輸入手続き、資材、輸送などの保険、外貨、現地通貨の借り入れ、送金などを三井物産に委託していた。
   その関係で、在庫絨毯を現地の駐在していた古河電工社員に売りさばこうとしていた。
   ある日興味があって物産のテヘラン事務所を訪れたら、通された大部屋に絨毯がうずたかく積まれていた。当時興味はあったが、仕事の合間をぬって、出掛けたので時間不足、勉強不足で絨毯の選択眼は全くなかった。
   見せられた絨毯の中で動物の描かれたものが直感的に面白いと思って決めてしまった。
   駐在員は現地の通貨リアルを給与として受け取っていたので、月賦のリアル払いで要請したら285,000リアルだった。当時1ドルが70リアルだったので4,071ドルである。
1ドルが223円であったから円貨で約900,000円であった。
   今から思うと高い買い物になった。恐らくバザールなら半値で買えただろう。

デザイン

   代表的なペルシャ絨毯のデザイン、メダリオン コーナーである。
   タブリーツ絨毯の最も顕著な特徴は動物の絵柄が沢山描かれていることである。
   枝葉の中で大型の冠鳥が首を捻って餌をついばむ姿や森の中で座っている羊の姿が見られる。
   メダリオンを上下にあるサブトランジはザクロのような形をしている、回りを種のような文様で囲まれて、何か豊穣さを感じさせる。このデザインの左右から伸びている小枝を蛇が巻きつくように描かれているが、これは中国から採り入れた雲型デザインである。
   主ボーダーはシャーアッバス文様やパルメットを枝葉で繋いでいる。
                         
  コーナーデザイン              
 
8.ナイン絨毯
(1)   購入時期:1980年2月        
(2)   製作年代:20世紀初期         
(3)   製作地:ナイン            
(4)   寸法:1.38x2.0m     
(5)   染料:天然染料          
(6)   織り耳:丸              
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)   縦糸:綿
(10) 横糸:綿
(11) パイル:毛、絹
(12) ノット数:56 ラッジ

購入の経緯

   1978年9月に妻が家財道具一式を持って、東京からテヘランに引っ越してきた。
   テヘランの中心地から北東の比較的安全で、静かな町、ザファール街に借家を決めた。この街には日本人学校があった。
   ところが先にも触れたが、この年の11月からパーラビ王朝の執政に対する国民の不満が高まり、全国で反政府デモが勃発した。翌年の1月16日パーレビ国王夫妻はエジプトに出国。
   これによりパーレビ王朝は崩壊した。替わって1月29日にパリからホメイニー師がイランに帰国した。ここからイスラム教による国家運営が始まった。イラン側の顧客であるイラン電力省も人事が変わるだろうし、今後このプロジェクトが続行する政策が新政府によって決定されるまでは時間がかかるし、社会的にも不安定な状況が続くと判断して、家族は一旦帰国することになった。女房は記念に一枚のペルシャ絨毯を持ち帰りたいというので、彼女とザファール街にある絨毯店を訪ねたら、ウインドウに飾られていた絨毯が気に入ったので、買ったのがこの絨毯である。
   この頃は絨毯の値段は全く無知だった、当然言われるままの価格で手を打った。
   確か140,000リアルだったと記憶しているので、当時1ドル70リアル、1ドル223円だったので、446,000円ほどになる。
   彼女は鍋釜類の家財道具は一切持たずスーツケースにこの絨毯を入れて、僕と別れて帰国した。 東京杉並の社宅に空飛ぶ絨毯を敷いてヨガ体操にふけっていたと言う。
   当時東京の三越で同じサイズでナインの絨毯が150万円していたといって驚いていたことが思い出される。バブルの絶頂期1988、9年ごろのペルシャ絨毯はイランの市場価格の7,8倍に達したと思われる。   例えば2010年頃に札幌グランドホテルで開催されたペルシャ絨毯展示即売会で(4)エラミ氏、(5)エルヤシ氏のオールシルク絨毯(2mx3m)は現地値の4倍の約600万円だった。それでもバブルよりは相当安くなっていた。

デザイン

   メダリオンコーナーデザインである。ナインの絨毯歴はイスファハンより少なくて、地理的にもイスファハンに近いため、イスファハンの影響を強く受けてきた。
   イスファハンとナインのメダリオンデザイン絨毯を並べて違いを見分けるのは少し骨が折れる。でも違いを指摘することによって、ナインのデザインの特徴が理解されるだろう。
  
絨毯製作市名 ナイン イスファハン
縦糸材質 綿
エスレミ(渦巻きの線) 使わない 必ず使う
シャーアッバス文様の使われ方 フィールドの内側に向かってアッバス文様が並ぶ フィールドを構成するためにはアッバス文様は使わない
 
    
                                                             メダリオン             内向きシャーアッバス文様         
                   
9.カシャーン祈祷デザイン絨毯
(1)   購入時期:1996年6月
(2)   製作年代:20世紀初期
(3)   製作地:カシャーン          
(4)   寸法:1.85x2.5m      
(5)   染料:天然染料           
(6)   織り耳:丸              
(7)   横糸本数:2本 硬め
(8)   結び方:ペルシャ
(9)  縦糸:絹
(10) 横糸:絹
(11) パイル:絹
(12) ノット数:84 ラッジ

購入の経緯

   この作品は典型的な都会の工房で作られたものである。84ラッジクラスの細かさでは遊牧民や地方の主婦が自家用に作る絨毯ではないことを意味する。
   従って多くの場合工房主(デザイナーか織りの経験のある者)が出来高払いの専門織り師を雇って集中的に作業を進めている。
   この絨毯もテヘランバザールのラスール エスハーギの店で出会った。もともと彼の店には絨毯の在庫はほとんどなくて、大阪の店から売れそうなサイズ、値段、種類の絨毯を買い付けて、発送するとか仲介を主としている。日本人が行くと何処からともなく、いろいろな絨毯が運び込まれて品定めをすることになる。時にはラスールがめぼしい店に連れて行ってくれることもある。この絨毯に魅せられたのは色彩の鮮やかさ、配色の妙、デザインが派手すぎないで、慎ましいがイスラム教からイラン人の空白を忌み、空白充填の情念の凄さを聞いてはいたが、花のパルメット文様、シャーアッバス文様、雲形リボン、アーカンサスの葉などで空白を埋め尽くす執念がこれほどまで徹底するのかと感心させられた。
   天井と隅の三角形の部分にも茶系、モスグリーン、エンジ赤、などの配色の妙が素晴らしい。似たような作品を大阪店で見たが、その徹底ぶりはこの作品には及ばなかった。
   染料はすべて天然のものと期待していたが、やはりエンジや緑、紫青など、どう考えても鮮やか過ぎて天然では出せない色調だと思っている。
   84ラッジだから縦糸も細いし、パイルもかなり細いもので、絨毯の厚さも3mmぐらいだ。デザインは祈祷用の方位を描いているので、メーラビ(祈祷)デザインである。
   しかし大きさから判断して祈祷用絨毯ではないと思う。
   祈祷用絨毯は、約0.8mx1.5mか1.2x2m 現地語でザロニムかドサールと言われるものである。
   方位の下にぶら下がっているランプにも色鮮やかな可愛い4本の花束で天井に繋げられ、その下には人が想像できる、あらゆる色の組み合わせの花束が描き出される。また自然にはない人工的な美しさをトコトン追い求めた結果であり、それはイラン人の先天的な感覚だと思われる。一方アフガニスタンやインドがイランを占領支配した際に絨毯工を多数自国に移住させ絨毯作り技法を引き継いで発達したパキスタン、トルコ、アフガニスタン、インドの絨毯にはこのような色彩の妙は見られるのは稀だ。
   花瓶を下から受止める青紫の飾りによって全体の上中下のバランスを取りながらフィールド全体に広がる細かなドラゴンヘッドのアラベスク文様が各主要な飾りを繋いでいる。
   主ボーダーは大振りのシャーアッバス文の両脇に小さいパルメット文をドラゴンヘッドの付いた太いアラベスクで繋いでいる一般的なデザインである。フィールドのベージュの地色は特にカシャーンで好まれて使われる。
 
 


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 続く