夏の那須あれこれ
      川村 知一 

 8月8(火)~11日(木)(3泊4日)、那須のホテルに滞在、主目的は年に数回、息子家族と合流して共に過ごすためである。忘れかけてしまったが、コロナ禍の時期は2年半ものご無沙汰があった。
*息子家族と合流してディナー(しばらく前までは、食事は黙食、常時マスク着用、記念写真でマスクを外す、であった。)

8月8日(火)
 10:45発→常磐道(守谷SAでブランチ)→北関東自動車道→東北道→那須街道→15:00ホテル着
*従来は外環→東北道を利用していたが、渋滞が予想される時には、距離は少し長いが、渋滞無しの常磐道経由を使う。

8月9日(水)
 孫の希望で那須湯本先の“殺生石”へ、続いて“那須サファリパーク”へ、今回、老愛犬はホテルで留守番(サファリパークはペット禁)。
 数年前の冬に殺生石が割れたニュースがあった。参考に割れる前(2015年2月27日)、7歳の愛犬と撮った写真を参考まで。
*芭蕉が「奥の細道」で殺生石を訪れ、「石の香や夏草赤く露暑し」と詠んだ。
 当時は有毒ガスが強く、緑の草が赤く枯れ、露が熱く沸騰し、周りには昆虫の死骸があった、とされる。

 那須サファリパークは3回目であったが、孫がキリンに餌をやりたいなどで再訪。
マイカーで回ったが、3回目にして、絵になる雄ライオンが撮れた。

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写真1.殺生石1

写真2.殺生石2

写真3.芭蕉の句碑

写真4.湯の花採取場跡

写真5.2015年2月27日

写真6.秋の気配ススキ


写真7.ライオン1

写真8.ライオン2

写真9.ライオン トリミング

写真10.キリン餌やり1

写真11.キリン餌やり2

写真12.日本鹿

写真13.バイソン

写真14.シマウマ

写真15.アルパカ

8月10日(水)
 中学生の社会の教科書(全国版)に、那須疎水公園*があるとのことで、車で30分+徒歩10分で訪れた。明治初期の水利事業であった。公園には家族連れが川で水遊びに来ていたが、駐車場は10台ほどで、夏休みには不足の感じであった。
 夕食後、夜空が快晴で夏の大三角を撮影した(月齢5日で好条件)。ただ、慣れないカメラ(ミラーレス一眼)で露出を少々失敗した(~23:20撮影→温泉:0:00まで)。
*日本3大疎水の一つ。南一郎平は松方正義に招かれ、内務省の土木部門で働き、安積疎水(福島県)、那須疎水(栃木県)、琵琶湖疎水(京都府)の土木工事に関わった。


写真16.那須疎水公園1

写真17.那須疎水公園2

写真18.那須疎水公園にて

写真19.実りの秋

写真20.夏の大三角

8月11日(木)
帰路(常磐道経由)→16:00帰宅
      令和6年8月18日