都心の話題:絵画館前の銀杏並木、帝国ホテル、小学校のクラス会
      川村 知一 

12月4日(月)
 前夜宿泊の帝国ホテルを12:00チェックアウトして、(車はH駐車場に残して)タクシーでR246、青山絵画館通りの銀杏並木を見物に行った。
 前回は11月9日(木)、小学校のクラス会のあと訪れたが、黄葉は5分であった。今回は少しピークを過ぎた感じであったが、落ち葉はまだ少なかった。

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写真1.銀杏並木1

写真2.銀杏並木2

写真3.銀杏並木3

写真4.花桃1

写真5.絵画館

写真6.国立競技場

写真7.五輪聖火台

12月3日(日)
 50年前の昭和48年12月3日、初めて帝国ホテルに宿泊した。帝国ホテルは今年開業100周年とあり、50周年の時であった。ちょうど第一次オイルショック時で、年の瀬12月上旬のホテルは閑散としていて、特別大サービスで100㎡はあろうかと思われる豪華な応接間付きのスイートを安価で提供してくれた。
 ディナーを検索すると、コース料理は結構な値段(円安スライド?)であり、老人の食は細いので、本館17階のアフタヌーンティーを発見、18:00~21:00まで3時間、都心の夜景を眺め、ピアノ演奏(20:30~21:00)を聴きながら軽食を堪能できた(安くてお薦め)。
 ピアノ演奏は(ウェイトレスの話で、人気がありリピーターも多い話)、イタリア(ベネチア)系オーストラリア(パース:Perth生まれ)人であった。演奏後、しばしイタリアの話など歓談した(in English)。
(*Perthといえば、Alcoa Australiaがある都市、昭和40年頃、私の父が日光の中古2HTを購入しに行ったことを思い出した。)
 ホテル内はクリスマスの装飾で、ロビーでは新婚の撮影などで賑わっていた。

写真8.開業100周年

写真9.建築家ライト氏

写真10.宿泊した有名人

写真11.クリスマス1

写真12.クリスマス2

写真13.エントランス

写真14.赤いバラ

写真15.ピアニスト

写真16.ピアニストと

11月9日(木)小学校最後のクラス会

 コロナ禍で4年ぶりに、昭和29年卒、永田町小学校(現在廃校)最後のクラス会が恒例の赤坂「うまや」で行われた(ランチ+飲み物=3,800円)。クラスは49名であったが、連絡がついたのは19名、欠席通知4名、出席は7名(男3名、女4名)であった。
 今回の主な話題は戦後間もない頃、かつて住んでいた家の話、(国会議事堂周辺は国有地が多く、焼け野原が残って、粗末な平屋の官舎から登校する児童が多かった。);
 Sくん(紀尾井町で焼け残った大きな平屋のお屋敷):戦後は家の半分を米軍に接収されて米国大使館の職員が住んでいた。占領後の昭和27年頃、私がお宅に行った時、当時珍しい洋式トイレで困惑したことがあった。
 Oさん(父親が逓信省の役人):当時は逓信省の官舎に住んでいた、場所は今の首相官邸。
 当日欠席のOさん、Iさん(父親が皇宮警察、一人は昭和天皇の運転手)は皇宮警察の官舎に住んでいて、級友がときどき遊びに行った。官舎の場所は現在の東宮御所内(現在、秋篠宮邸がある)にあり、警護のいる門から入っていった。
 など珍しい話が出た。クラス会は会の名前は終了して、今後は有志が集まることになった。

写真17.廃校(自民党本部前)

写真18.東宮御所(タクシーから)

相変わらずの駄句;
“競技場若者どもの夢のあと” 松戸馬笑
“柿食えば金が成る成り永田町” 詠人不知
      令和5年12月16日