霧降アイスアリーナ“The Ice”→金谷ホテル→奥日光
      川村 知一 

7月25日(火)~26日(水);
 日光霧降アイスアリーナにてアイスショー“The Ice”を見物、日帰りではもったいないので久々に金谷ホテルに宿泊、翌26日(水)は奥日光を訪れた。

7月25日(火);
9:00発→外環→東北道→日光高速→12:30霧降アイスアリーナ着

アイスショー“The Ice”( 開場13:30、開演14:30);
 アイスショー“The Ice”は愛知公演に続き日光公演(7月25,26,27日)、初日のチケットは5月中旬にネットで購入した。
 出演はTVなどでお馴染みの世界トップ・スケーター(高橋、宇野、友野、坂本、三原、りくりゅう、外国人スケーター、ネイサン・チェンなど20人ほど)。
 アイスショーの進行は国際的雰囲気アナウンス、照明設備・技術が素晴らしく、男子外国人スケーターは普段見られないバックフリップ(競技では禁止)を多発、演技を楽しんでいた。(公演中撮影禁止)

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写真1.The Ice

写真2.チケット(SS席)

写真3.リンク内風景

写真4.26日下野新聞

 日帰りはきつそうなので、25日(当日)朝ネットで予約(格安)、久方ぶりに金谷ホテルに宿泊した。朝食時、女性一人(旅)のテーブルが多く、従業員に聞くとアイスショー目的で宿泊、との話であった。
 館内の掲示物を見ると、戦時中、古河電工で働く女子挺身隊の宿舎になった記述が目に留まった。

*余談:丹勢“挺身隊”社宅
 終戦まで、丹勢に“挺身隊”と呼ばれた社宅があった(後に風呂を後付けして一般社宅になった)。
 丹勢社宅入口、石の階段(1条通り)の左10戸ほどが該当し、階段から1軒目が共同浴場であった(昭和27年頃撤去)。
 昭和30年頃まで、丹勢の子供達は、その社宅一帯を意味不明のまま“ていしんたい、ていしんたい”と呼んでいた。

写真5.ホテル夜景

写真6.新装の別館

写真7.戦時中の歴史

写真8.館内の鏡

7月26日(水);

5:30起床→神橋→朝食→11:00チェックアウト→清滝→明知平→華厳の滝→龍頭の滝→帰路→蓮田SA(渋滞調整1Hr.)→21:30帰宅

 朝(6:00)の神橋を撮りに行くと無人で、河川敷に私の影が映っていた。
 そのうちカメラを提げた女性が来たので、神橋を入れてシャッターを押してもらい、会話を始めると山登りをする話であった。

写真9.神橋

写真10.名物モーニング

写真11.ロビー西から男体山

写真12.日光連山の図

 清滝の町に入るとシャッターが閉まり人気が全くなかった。精銅所正門に行くと和楽祭の準備が進められて、今年は行幸啓第110周年、創業第117周年の門柱があった。
 (写真のアップは一考しましたが、PRとしました。)

写真13.精銅所正門

 イロハ坂を登り明知平に着くと、ロープウェイ乗場が閑散としていたので数10年ぶりに乗ってみた(先般、宙づりトラブルあり)。
 展望台からは夏の緑の中禅寺、華厳の滝、男体山が良く見え、東を見ると、下界に精銅所、旧アルミの工場が見えた。
 夏の旅行シーズンであったが、外国人観光客と高齢者がほとんどで、閑散としていたのが気になった。

写真14.ロープウェイ

写真15.展望台1

写真16.展望台2

写真17.下界に工場

 明知平を後にしてトンネルを抜け、華厳の滝の駐車場を見ると混雑なく、これも数10年ぶりにエレベーターで展望台に行った。
 滝の水量は適度で、外国人観光客、小学生の団体が主、日本人観光客は少なかった。

写真18.華厳の滝1

写真19.華厳の滝2

写真20.観光客

 華厳の滝から竜頭の滝へ、遅い昼食、滝を見ながら湯葉山菜蕎麦+団子。
滝つぼの上空にはトンボの群れ数100匹が乱れ飛んでいた。

写真21.竜頭の滝

写真22.団子と滝

写真23.トンボの群れ

 足の向くままの旅を終え、帰路に就いたが日光市内の道路に渋滞はなく、観光日光の人気がいまひとつなのか?気になった。

相変わらずの駄句;
“今時は蜻蛉の群れドローンかな” 松戸馬笑
      令和5年7月30日