古河電工vs NYコスモス:ペレのバナナシュート
      川村 知一 

昨年末、12月29日、ブラジル・サッカーの「王様」ペレが亡くなった。
思い出すのは1977年9月10日、国立競技場、サッカー日米親善試合(ペレ引退試合)第1戦、古河電工vs NYコスモスの観戦。

膠着状態の後半終了間際、NYコスモスがフリーキックを得た。位置は右サイド、ゴールまで4,50m(ミドル)、キッカーはペレ選手、蹴られたボールはスライスが掛かりゴール右隅に吸い込まれた(バナナシュート)。観客の驚きと歓声は言うまでもない。

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写真(ネット共同通信写真より);

写真1.ペレ選手と奥寺選手
 
写真2.字幕

1976年、古河電工は日本リーグと天皇杯の2冠を達成、その結果、第1戦は古河電工が対戦相手になり、第2戦は全日本であった。
会社では2冠達成を記念して「ネクタイピン」を作成、社員に配布すると共に広報課の「粗品」として得意先などに配布した。(いまだ大切に保存してあります。)

写真3.「粗品」
 
写真4.ネクタイピン(表面)

写真5.二冠記念(裏面)
 
追記;
歴史に残る、古河電工vs NYコスモスを観戦できたのはラッキーな経験であった。

小生は1977年6月、工場勤務から本社転勤になり、横浜三ッ沢社宅4号棟108に転居、すぐ西隣は三ッ沢競技場であった。
当日は赤子を実家に預け、2才の娘を連れて夫婦で観戦、当時のアルバムを探したが、競技中の写真は残念ながら見つからなかった(ネガは山の中)。

その後、4号棟に奥寺氏が入居され(103or104?)、挨拶を交わし、奥寺選手は間もなくドイツFCケルンへ移籍された。

相変わらずの駄句;
“ペレならばバナナシュートもたたき売り” 松戸馬笑

      令和5年1月5日