ボランティア&アルピニスト:旧知K氏からの手紙
      川村 知一 

はじめに
「日精会たより」を毎回拝見している。
新年号にはK氏“山とボランティアの人生”が目に留まり、旧知の関係にあったので手紙を書いたが住所がわからず、共に日光山岳会に所属するG氏に仲介をお願いし、間もなく返信をもらった。
紙面によると、定年になった年に東日本大震災で3か月間(車中泊)にわたり現地でボランティア活動を開始、さらに各地の被災地を巡り活動を続けている様子、また毎年海外の山に挑戦している話であった。

旧知の関係
私は昭和57年(1982)にアルミ日光工場鋳造課長に就任し7年間勤務した。
K氏は身軽ですばしこく、愛称“チータ”で親しまれ、鋳造作業を担当していた。
彼が登山を趣味にしていることを知ったのは昭和60年(1985)ころ、K「スイスの山を登りに行くので3週間休暇を下さい」、私「は――?渋々承諾した」。

約30年間のブランクとK氏あて手紙+海外の山の写真
その後、私は本社に転勤になり彼とは全くのご無沙汰になった。
今回、私は手紙と手持ちの海外の山の写真を同封した。

① アンカレッジ:マッキンリー(現デナリ)の写真
1970年12月25日20:00羽田発KLM、DC8、アンカレッジ経由アムステルダム行き、アンカレッジ着陸態勢時、ニコマート+50㎜1.4で撮影。

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写真1.ピンクのマッキンリー

② ローマ→ジュネーブ:ヨーロッパアルプス
1971年7月3日12:00発スイスエアB727、ローマ→ジュネーブ行き、無風快晴、飛行機はフランス領アルプスからモンブラン直上を飛行、シャモニーの大氷河メールドグラスを下に見て間もなくジュネーブ空港に着陸。

 
写真2.アルプスの山々
 
写真3.メールドグラス

  ③ 1971年7月4日
       モンブラン:エギーユ・デュ・ミディ(仏領)展望台→エルグランデ(伊領)展望台ロープウェイ
 片道約30分間の超雄大な空中散歩を往復経験した。快晴に恵まれ、雪を被ったモンブラン周辺の山々が印象的であった。
 
写真4.エルグランデにて
 
写真5.ロープウェイ帰路
 
写真6.旧式なゴンドラ
 
写真7.ツールロンド
 
写真8.巨人の歯
 

④ 1996年インターラーケン→ユングフラウ登山電車

 
写真9.牧歌的風景
 
写真10.雲隠れのアイガー  

K氏からの返信(山について)
デナリ(旧マッキンリー)は行きたいと思ったことはありましたが、私には決断することが出来ませんでした。
ヨーロッパアルプスは登山に3回(約1か月/回)。最後は2年前にアイガーを登りに行きましたが敗退でした。シャモニー、ツエルマート、グリンデルワルドの町を起点にモンブラン、マッターホルン、ミディ周辺の山、メールドグラス氷河周辺の山、ユングフラウなどを沢山登りました。
写真7はツールロンド(3792m)で正面雪稜を急登するルートで登りたかった山でした。
写真8はダン・デユ・ジュアン(巨人の歯4013m)です。ヨーロッパアルプスは後一回行きたいと思います。

おわりに
定年後の人生にはいろいろな形態が存在するが、K氏の奉仕活動と冒険には脱帽の限りである。ここ2年間はコロナ禍で活動の中断を余儀なくされている話であるが、今後の更なる活躍に期待したい。
      令和4年1月28日