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アルバムで見る美術館(最終回):NYメトロポリタン |
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川村 知一 |
<序>
2003年9月、街を歩いていると、JTBの店外パンフレット棚に「松井選手、ヤンキー・スタジアム野球見物チケット付き」が目に入り申し込んだ。
(写真はクリックで拡大) |
写真1.JTBパンフレット |
<2003年9月26日~10月2日(日本時間)>
2001・9・11,NYテロから2年、NYではまだ緊張感が漂っていた。
マンハッタン上空は飛行禁止(ミサイルで撃墜)、夜間、Wall街へ通じる道路は全て軍用車両で閉鎖、自由の女神のLiberty Island行きフェリーのセキュリティーチェックでは、靴を脱ぎ、ベルトを外して100mほどフェリーまで徒歩(エアライン乗客の靴底にプラスチック爆弾発覚以降)、空港でも同様、さらにスーツケースの施錠禁止、など。
自由の女神を見物して、バッテリー公園で屋台のホットドッグを食べて、地下鉄でグランド・ゼロを訪れた。
周囲は高さ2.5mほどのフェンスで囲まれ、犠牲者約2000名の名前が銅版に刻まれて、物静かな雰囲気の中、人々は犠牲者の名前に見入っていた。(カメラを取り出せる雰囲気ではなかった。)
NYは1979年、1985年に次いで3度目であったが、1985年にはツインタワー最上階のレストラン“Windows on the World”を訪れて、30m下にエンパイアステートビルを眺めながらのディナーを経験したので、感慨もひとしおであった。
かつてポルノショップが並んでいた42nd Street周辺や治安が悪かったソーホー地区などは、ジュリアーノ市長の努力で見違えるようになり、地下鉄の落書きが消えて比較的安全に利用できた。
ヒルトンニューヨークに5泊、野球見物、観光、ミュージカル、ジャズ、そしてメトロポリタン美術館を訪れた。
<メトロポリタン美術館>
メトロポリタン美術館は古代エジプト出土品、彫刻、浮世絵など多分野にわたるが、馴染みのある西洋絵画をアルバム順に紹介します。
カメラは初期のデジカメ、コニカKD-500Z(7万9千円):500万画素、ISO100のみ、メモリーカードは、わずか128MBの時代、フィルムカメラ同様、慎重にシャッターを切った。
ISO100のみ、美術館内フラッシュ禁止では、シャッター速度1/8程度、よく撮れたものである。
写真; |
写真2.ゴヤ1 |
写真3.ゴヤ2 |
写真4.ベラスケス |
写真5.レンブラント |
写真6.モネ1 |
写真7.モネ2 |
写真8.ピカソ |
写真9.セザンヌ |
写真10、ルノアール |
写真11.美術館にて |
<追加;ニューヨークではアレコレ楽しめた。>
・2003年は松井秀喜選手ヤンキース移籍初年、JTBはレフト外野席を確保していた。
2003年はヤンキース100周年でもあった。 |
写真12.レフト松井選手 |
写真13.3塁上の松井選手 |
・自由の女神、厳戒態勢で内部には入れず。 |
写真14.自由の女神 |
・Wall街ではBullと記念写真(株式相場用語、Bull:角で上げ相場、Bear:手で下げ相場)
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写真15.Wall街のBull |
写真16.NASDAQにて |
・ロックフェラセンターではTakashi Murakami
のオブジェが。
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写真17.プロメテウス像
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写真18.Takashi Murakami |
・エンパイアステートビルではエレベーターホール、
展望台から自由の女神方向を撮った。 |
写真19.エレベーター
ホール |
写真20.展望台から |
・ミュージカルは当日券で“42nd Street”、新人女優が大スターに
なっていく物語。
観客の90%が男性、それもそのはず、本場の見事なラインダンスが
見られた。
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写真21.PLAY BILL |
・NYのLive JazzはBlue NoteとVillage Vanguardが有名だが、後者にした。 |
写真22.Village
Vanguard |
・セントラルパークではブランコに |
写真23.パークのブランコ |
<まとめ>
海外の美術館では写真撮影が出来たので、アルバムを見ると忘れかけていた事柄を多々思い出せた。
現在のコロナ禍と年齢を考えると、再び訪れることができるかどうか大変疑問である。
<活躍したコニカ>
活躍した初期のデジカメ、コニカを購入したのが2003年春、さっそく古河庭園のバラを撮りに行った。映像素子はCCDで発熱があり、ファインダーは光学、コンパクトで写りも良い。今でも使えるが、SDカードの上限が1GBで購入不可である。
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写真24.古河庭園 |
写真25.活躍したコニカ |
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<完> |
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令和3年3月26日 |
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