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アルバムで見る美術館(その3の序):トスカーナ地方 |
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川村 知一 |
(その3:ヴァチカン美術館のイントロです)
1999年12月、イタリア旅行ではトスカーナ地方を訪れてアッシジに1泊した。
添乗員は商社を定年退職したばかりのイタリア通の男性。
フェレンツエからバスで、ペルージャ、サン・ジミニャーノ、シエーナなどを回りアッシジの小さなホテルに到着、それぞれの集落はいずれも小高い丘の上にあった。 |
写真1.シエーナ大聖堂 |
写真2.鐘楼 |
写真3.カンポ広場 |
写真4.シエーナ土産 |
アッシジは1997年9月に2度目の大地震があり、日本人牧師がいるサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ壁画が崩落するなど被害があり、見学できなかった。
翌朝、ホテルを出て徒歩で1㎞くらい離れたサンタ・キアラ教会へ。
フランチェスコ聖堂の広場には、クリスマス時期、世界最大のプレ・セピオ(キリスト誕生場面の模型)が目を引いた。
道中、フランチェスコの生家を見学、広さは10畳間くらいの石の床。若いときには悪ガキで、その後改心して聖職者に。 |
写真5.
手前プレ・セピオ |
写真6.古い街並み1 |
写真7.古い街並み2 |
キアラはアッシジの名門貴族の娘、16才の時、道端で説教していたフランチェスコと出会い、最初に帰依した一人とされる。教会の地下に安置されたキアラの棺を見学した。 |
写真8.
サンタ・キアラ教会 |
徒歩の途中、添乗員の説明に一言あった「先住民エトルリア人」が気になり、最近になって調べた;
エトルリア人は高度な文化、政治制度、文字を持っていて、ローマ帝国の初期には王となったが、その後、ローマ人に代わり、エトルリア人の功績はローマ人によって意図的に消し去られ、文字も残されていない。
ローマは湿地帯であったが高度な土木技術で土壌改良を行ったのはエトルリア人、ローマ建築のアーチもエトルリア人の技術。
近年、エトルリア人のDNAを調べると、周辺のインド、ヨーロッパ系と異なり、家畜の牛も同様で、由来にいくつかの説がある。
説の一つはトルコ周辺、飢饉で住民の半分が、くじ引きで移住をすることになり、辿り着いたのがトスカーナ地方。
ルネッサンスで大きな功績があったレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロはトスカーナ地方出身である。(つづく:→ローマ、ヴァチカン) |
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令和3年3月7日 |
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