霧降大橋から望む日光連山
川村 知一
 はじめに
1月31日、無風快晴、所用があって北関東を訪れ、寄り道して日光に1時間滞在(11:00から12:00)、霧降大橋から日光連山を望むと、新雪でトッピングされた美しい姿があり、20㎜広角レンズで撮影した(24㎜では全景が入らず)。

 日光名物を求めて(11:00から12:00)
日光高速を日光口から出て、日光小学校周りで神橋を左折、事前に電話で問い合わせた“油源”は臨時休業、少し下って“三ツ山羊羹”の駐車場に入り、「水ようかん」を求めて道路を渡って店に入った。
最近、TVでTOKIOの松岡とヨネスケが、お散歩で日光を訪れ、“三ツ山”に寄ったためか、客が次々と、店に入ると左の部屋では女性3人が、黙々と水ようかんの箱詰めに忙しそうであった。TVの効果は大きい。車を駐車場に置かせてもらい、神橋を見物、撮影した。

写真1.神橋
次に、いつもは“油源”で買う「山椒の若葉煮」であるが、昨年は量が少なく既に売り切れの電話情報であった。神橋の見物を終わって歩道を下ると、「山椒の若葉煮あります」の表示がある竹内物産店が目に入った。間口の広い店内は消灯され真っ暗、ご用の方はインターフォンで。
暫くすると女性が現れて店の照明をON、冷蔵庫から「山椒の若葉煮」を2パック。
「昔、丹勢社宅に20年住んだ」話をすると、「懐かしい、丹勢社宅あたりの山椒は気温が低いので、香り・味が強いです」の会話になった。
この店の「山椒の若葉煮」は新芽が細かく、香りと味が強く美味しかった。

次に、少し下って“ふじや”の揚巻湯波を買い、次に東武日光駅売店で“油源”で電話予約した「湯波ちらし寿司」を受け取ると12:00になっていた。

霧降大橋から日光連山を見物、撮影
東武日光駅を出てタクシー乗り場付近で日光連山(赤薙山、女峰山)を入れて写真を撮ろうとすると、タクシー運転手が「シャッターを押しましょう」と現れ、さらに日光連山の解説をしてくれた(こちらの素性は言わなかった)。
「右に見えるのが赤薙山、その左、女の人が寝ているような姿が女峰山、小真名子、大真名子、見えないが左に男体山、信号を右に曲がって橋(霧降大橋)の上から全部見える、橋に車を止められないから、過ぎた所に止めて、昨日は雲が出て、今日は快晴で運が良い」。

言われた通りに東武バス車庫手前に車を止めて、橋の中央に行くと連山全体が見えた。
カメラは2台、ニコン・フルサイズDf+シグマ20㎜1.4、Z5+24-50㎜、24㎜では全景が入らず、20㎜で撮影した。

写真2.日光連山全景

写真3.トリミング1

写真4.トリミング2

写真5.
清流を入れて
 幼児期、丹勢社宅で見た赤薙山
丹勢社宅は昭和15年に建てられ、私は昭和16年から21年まで4年半、6条通り丹勢社宅の北西端の社宅に住んだ(その後2条通りに)。まさに人の住む関東の北西端、山また山を越えれば新潟県、と言うようなロケーションであった。
戦時中および戦後、テレビも電話も車もない時代、道路は砂利道、ゴム不足で靴が無く足袋に下駄の幼児期、走ることなど考えられない環境、日中は母子の2人暮らしであった。

社宅は東に6畳茶の間、東に窓があり北東を見ると赤薙山が顔を出していた。赤薙山を見ていると、下の方から雲が湧いてきて、雲は山から出来るのか?などと考えたりしていた。

 赤薙山の溶岩(郷土史家:星野理一郎氏著「日光の岩石」を読んだ記憶より)
ガリ刷りで挿絵のある冊子で、15年以上前に読んだ記憶によると、「裏見の滝は赤薙山の溶岩、滝の西には男体山の溶岩が迫っている」、赤薙山の溶岩は清流寺の脇、清滝まで来ている、の記憶である。

華厳の滝についても書かれていて、滝の下半分と上半分は溶岩が2層になっていて、境目から湧水が流出している:なるほどである。

星野理一郎氏は私が清滝小学校に入学した時の校長先生、間もなく退職され、送別には学童約1,500人が清滝の沿道両側に立って(よろずや付近まで)お見送りした。
黒塗りの乗用車に乗った小柄な校長の記憶である(次は上吉原校長)。

 まとめ
新雪でトッピングされた美しい日光連山全体を暫くぶりに見た(当日の走行距離400㎞)。

追加写真

写真6.
“三ツ山”

写真7.
水ようかん

写真8.
“竹内物産店”

写真9.
揚げ湯波調理後

写真10.
湯波ちらし寿司

写真11.中身

写真12.
帰路の富士山
令和3年2月8日