世界の名画を撮る
川村 知一
 はじめに
HP、今月の作品紹介では藤田欣也氏の「モネの庭」が紹介されていて興味を持った。
有名なモネの「睡蓮」に似ているが、爽やかなブルー系で水面の睡蓮の代わりに、日本の橋の欄干に白い藤が描かれている。

モネの作品では1996年に訪れたパリのオルセー美術館と2003年に訪れたNYメトロポリタン美術館が頭に浮かぶ。

日本の美術館では撮影禁止がほとんどであるが、海外ではフラッシュを使わなければOKが多い。
もっとも数年前、ルーブル美術館で写真撮影が禁じられた時期があった。ところが反対の抗議に押されて再開された。
YouTubeを見ると、最近では、年間数百万人が訪れるルーブルで、モナリザの手前には数m隔てて柵を設け、柵の外側では数百人の来場者がスマホを掲げて異様な光景になっている。

 1996年12月
2度目のルーブルからオルセーへ美術館のハシゴ、さすがに記憶はおぼろげで、写真で記憶を呼び戻すレベルである。
カメラはフィルムのEOS650、デジカメのように現場で画像をチェックできない時代、ましてやスマホなど無く。
撮影した中のいくつかを紹介します。  (写真はクリックで拡大)

写真1.モネ「睡蓮の池、緑のハーモニー」

写真2.
ルノアール1

写真3.
ルノアール2

写真4.
写真4.ルーブルで「モナリザ」の撮影再トライ(前年はシャッタースピードが遅く、手振れで失敗)したが帰国後再びガッカリ、二重の防弾ガラスに写り込みがあり失敗(偏光フィルターを使用してマニュアル・フォーカスにすべき、デジカメなら?)

 2003年9月
ヤンキース松井選手初年、野球見物を目的にNYを訪れ、ついでにメトロポリタン美術館を訪れた(MoMAは改修休館中であった)。
カメラはデジカメが出始めたばかり、7万9千円で購入したコニカKD-500Z、当時としては高画素500万、しかしISO100しかなく、室内撮影ではシャッタースピード1/8、よく撮れたと思う。

写真5.モネ「睡蓮の池に架かる橋」

写真6.
モネ「睡蓮の池」

写真7.
ルノアール

写真8.
セザンヌ
 その他;
 1995年12月

今は無きダイエーの旅、ブルージュ2泊、パリ2泊、添乗員同行、ツアー客6人、15万円、観光バスは大型ハイデッカーに客6人、現地観光ガイド付き、ホテルは三ツ星クラス。
途中アントワープに立ち寄り、ツアーの指向はダイアモンド研磨工場見学および+α、ツアーが15万円で15万円以上もするダイアモンドなど買うメンバーはなし。
近くにアントワープ・ノートルダム大聖堂があり入場、日本では「フランダースの犬」で有名なルーベンス「キリスト降架」「キリスト昇架」がある。
クリスマスの朝、少年ネロと愛犬パトラッシュが教会に入ることが出来ず(多額の献金が必要)凍死。
英国の女性作家の作品であるが、物語があまりにも悲惨なので子供には良くない理由で、現地ではほとんど知られていない。(日本人観光客のために離れた所に銅像がある話であった。)

写真9.アントワープ・ノートルダム大聖堂

写真10.ルーベンス「キリスト降架」

 1999年12月
イタリア旅行、ミラノでは12月の寒い朝早くからサンタ・マリア・ディッレ・グラツィエ修道院入口に並び入場、「最後の晩餐」を見学したが、読売新聞が出資して修復中であった。
第二次世界大戦中、ムッソリーニが拠点としたミラノを連合国が猛爆撃してイタリア国民を厭戦気分にさせた。土嚢で「最後の晩餐」を大空襲から守った話があった。
(写真撮影無し)
フェレンツェ、ウフィツィ美術館(当時は写真撮影禁止であったが、最近OKの情報)
これまた12月の寒い朝、すでに数百人の列、記憶は土産物売り場くらい、ラファエロ「ヒワの聖母」聖母の顔の部分の立派なレプリカを購入した(サイズ43㎜×33㎜×20㎜)。

写真11.ラファエロ「ヒワの聖母」レプリカ:見ているとホットする聖母の顔である。

写真11.
 1971年7月(50年前)
ベルサイユ宮殿の絵画、ニコマートで撮影(初回は観光バスで、2回目1996年はパリ市内から地下鉄で訪れたが写真は割愛)
 
写真12.ベルサイユ宮殿の絵画1
 
写真13.ベルサイユ宮殿の絵画2
 
 まとめ
美術館での写真撮影には賛否両論あるが、現実的にSNS時代の今日、情報伝達で効果的な観光PRになっている。
海外の大規模な美術館は、自己所蔵の美術品主体であり写真撮影許可を自己判断できるが、国内で開催される多くの展示会の場合は、借り物主体であり困難であろう。
これは美術館という定義にも関係する、という意見もあった。
   令和3年1月5日改訂版1