カメラ三昧(3):完結編
      川村 知一 
  7月3日(つづき)
13:00、ジュネーブ空港に到着、当時のスーツケースには車が付いていない時代、2個、20㎏のスーツケースをコインロッカーに預けた。

手荷物だけの身、バスでジュネーブ中心街にあるスイスエアーの事務所に着くと、外にポツンとデスクがありスチュアーデスが1人、ホテルを紹介してもらった。
ホテルはレマン湖に面した落ち着いた雰囲気のAnglettele、レセプションには品の良い白髪のご婦人が読書中であった。
チェックイン後、翌日のシャモニー行き観光バスの予約をし、国際電話で次の目的地パリのホテルを予約した。ホテルは凱旋門近くのTroyon通りにある2つ星Hotel Troyon。

真夏の15:00はまだ明るいのでレマン湖周辺を散歩すると、かつて絵葉書などで見た美しい光景、交通量が少なく落ち着いた静かな街があった。

往路は12月で服装は冬物スーツ、予定が伸びて帰路は真夏になってしまい、欧州は夏のバカンスシーズン、スーツは場違いなので、ローマでカジュアルなイタリアンファッションに衣替えした。

写真  (写真はクリックで拡大)

1.レマン湖畔1
 
2.レマン湖畔2

3.レマン湖畔3 

4.有名な花時計 
 
5.衣替えAfter
 
6.部屋から夜景

7.日の出  1263 
 
7月4日
9:00、ホテル前から観光バスに乗車、約1時間でシャモニー、現地解散集合、14:00まで自由行動。
モンブラン観光のロープウェイは途中乗り継ぎがあり、後半はほぼ垂直のエレベーター状態、頂上は標高3842mエギーユ・デュ・ミディ展望台。
無風快晴、絶好の観光日和、7月初旬で山々にはまだ雪が残り絶景、さらに超雄大なロープウェイでイタリア領エルブロンネ展望台に行くことにした。

写真 
 
8.シャモニーの街
 
9.土産物屋の少女

10.1段目ロープウェイ 

11.2段目、ほぼ垂直 

エルブロンネはイタリア領でパスポート、ビザが必要、4人乗りゴンドラが3連、約30分であったろうか、高所からアルプスの山々、クレバスを見ながらエルブロンネに到着、入国手続きをして展望台へ進むが、富士山8合目のように10歩も進むと心臓がトキントキン、ゆっくり歩いた。
記念写真を撮って、集合時間14:00に間に合うよう早々に復路のゴンドラに乗った。

写真 
 
12.復路1

13.復路2 
 
14.復路3
 
15.復路4

 16.復路5

 17.記念写真

18.下界シャモニー
 
7月5日
ジュネーブ空港から12:00発スイスエアーB727、1時間ほどでオルリー空港着、タクシーでHotel Troyon着。

ホテル2階から窓を開けると、6か月ぶりに見る若い日本人女性が2人、浴衣姿でホテルから市内へお出まし、スチュアーデスであろうか。
一段落してシャンゼリゼ通りに出て、コンコルド広場まで下った。

写真

19.夕刻のシャンゼリゼ  
 
20.コンコルド広場 

夕食はシャンゼリゼ通りから一筋入った地元のレストランに入ると、10席ほどのテーブルは、ほぼ満席でワイガヤ。
ウェイターが持ってきたメニューを見ると、花文字のフランス語で読めず、ウェイターを呼び戻すと、日本語で解説したメニューを持ってきた。誰か親切な先人が書き込んでくれたようであった。
日本を出て6か月、ステーキなど見たことがなかったので、フルコースをオーダーした。

パリの交差点は放射状になっていて、一筋間違えると迷子になる。これは敵兵の侵入に対する戦略上の策であるという。初めてのパリの夜、帰路は間違えないようタクシーを使った。車種はシトロエンDS、運転手は中年のジャンヌモローのような女性であった。

ホテルに戻り、小さなエレベーターに乗ろうとすると、「May I?」と若い東洋人女性、「Please」で会話を始めると、四国からの長期滞在者、目にした3人目の日本人であった。

7月6日
快晴、9:00発パリ市内+ベルサイユ宮殿観光バスに乗った。バスの屋根中央部は幅70㎝ほど開いていて、走行中に建築物の上部が見えた。
パリ市内ではノートルダム寺院、エッフェル塔、モンマルトルの丘、サクレクール寺院など。
パリ市内全体は低層階のビルで統一されていて、街全体がスッキリと見えた。

写真  
 
21.バス車中から
 
22.バスの中から塔

23.サクレクール寺院 

24.モンマルトル眺望 

市内からバスで30分ほど、ベルサイユに到着、自由行動。
宮殿内部では煌びやかな鏡の間、広いホールの天井画、絵画が目を引いた。宮殿の周りは広い石畳、管理された庭園が広がっていた。

写真 
 
25.ホール

26.鏡の間 
 
27.広い庭園1

28.広い庭園2 
 
29.石畳と観光客

 30.観光バス添乗員
 
7月7日
10:00、タクシーでオルリー空港へ向かい、KLMカウンター近くでタクシーを降り、Duty Free Shopで時間潰し。
12:00発KLM、パリ→アムス(→スカンジナビア半島→北極)→アンカレッジ→羽田行きに搭乗した。
アムスで給油、日本人観光客が10人ほど搭乗してきた。それでも搭乗率は20%ガラガラ。
離陸すると太陽と順行なのでアンカレッジ、羽田(8日着)まで日差しがあった。
離陸して間もなく、機内食に幕ノ内弁当が出てきた。蓋を開けると6か月振りに見る真っ白な白米に感激し、口に入れても飲み込まないで暫くかみしめて味わった。

アンカレッジで着陸態勢になると、彼方に帰路のマッキンリーが見え、DC8の主翼を入れて最後のシャッターを切った。


写真

 31.主翼と
     マッキンリー

 まとめ
*50年前のポジ写真を修復作業していると、走馬灯のように50年前の記憶が蘇ってきた。

*帰国約1か月半後、ニクソンショックで1ドル300円になり、日本の経済界は大混乱。
私がルーマニアを出る時、工場の作業者達が「出国したら直ぐにドルをマルクに両替するよう」繰り返し忠告してくれたが、私は本気にしなかった。
何故彼等はドルの切り下げを予測できたのか、何故日本の経済界は疎かったのか、不思議であった。

*使用したニコマート(50㎜f1.4レンズ付):出発直前(昭和45年12月)に4.5万円で購入、11月の給料は約4万円で足りず、12月のボーナスを加えて購入した。
デジカメと違い、現場で撮影画像を確認できず、帰国後現像してホッとした。
写真
 
32.活躍したニコマート
      令和2年12月14日