GO TO トラベル(その2):那須、日光 
      川村 知一 
 はじめに
外出自粛が続き、足腰の筋肉の衰えに気付く昨今である。
政府主導のGO TOトラベルでは、10月初旬に箱根、伊豆を訪れ、富士山や伊豆の海のなどの景色を楽しんだ。
今回は所用を含めて、那須のホテル(犬も同室)に2泊3日(10月29~31)、GO TO トラベル(その2)となった。

 10月29日
9:15出発→羽生SA(ブランチ)→13:00那須マウントジーンズ→ロープウェイ頂上→下山→16:00ホテル(夕食後、栗名月と接近した火星を撮影) 
初日は那須マウントジーンズに直行、那須連峰を眺め、ドッグランで愛犬を遊ばせ、五葉つつじの群生の紅葉を楽しみにしていたが、ロープウェイ頂上では既に遅し、中腹の樹齢300年が真赤であった。
夕食(ルームサービス)後、犬の散歩をすると、空には流れる雲の合間から、栗名月と接近してオレンジ色の火星が見えた。 
写真;  (写真はクリックで拡大)

1.展望台から茶臼岳 
 
2.ドッグラン

3.ロープウェイ 

4.老人と老愛犬 
 10月30日
4:00起床→5:15ホテル発→東北道→宇都宮→日光高速→6:35いろは坂・黒髪平→6:50立木観音→7:20半月峠展望台(3℃)→8:30立木観音→観光船乗り場(10:20発が強風のため?欠航)→中禅寺金谷ホテル・裏庭、裏山の紅葉見物→(帰路には早すぎるので)立木観音に戻り徒歩10分で元英国大使館別荘(八丁出島の紅葉などを見物撮影)→11:30いろは坂下り→12:00すでに安良沢から日光駅まで渋滞30分表示→病院でUターン清滝から高速→所用→16:00ホテル
写真; 

 5.黒髪平から

6.半月峠1 

7.半月峠2 

8.半月峠3 

9.金谷ホテル1

10.金谷ホテル2 

11.金谷ホテル3 

 12.老愛犬
 
13.英国大使館1

 14.英国大使館2
  10月31日
01:30~3:30オリオン座および火星の撮影(5℃:満月のため条件悪し)→就寝→5:30起床→ホテル温泉→7:30車で10分、鹿の湯(硫黄泉)→ホテルにて自炊朝食→休憩→12:15チェックアウト→13:00那須塩原・明治の森(道の駅+公園:コスモス)→15:00帰路(連日の睡眠不足で、「眠々打破」)→18:30帰宅
*今回の総走行距離は500㎞であった。
写真;
 
15.オリオン座
 
16.大星雲M42

17.トリミング拡大 

18.火星 

19.鹿の湯 

20.コスモス1 

21.コスモス2 

22.コスモス3 
 まとめ
紅葉はタイミングが難しい、昨年は台風で金谷ホテル裏山のもみじの木が折れ、被害甚大であったが、何とか回復したようである。しかし8年前2012年10月29日の美しさには至らなかった。
参考写真;(2012年10月29日) 

23.金谷にて1

24.金谷にて2 

25.金谷にて3 

26.金谷にて4

 [番外:日光観光ホテル(中禅寺金谷ホテルの前身)焼失の記憶];
昭和25年3月、私は清小2年生、丹勢の広場で遊んでいると、清滝の方から消防自動車のけたたましいサイレンと半鐘が聞こえ、暫くして近隣から駆け付けた消防自動車が2台、3台と上に登っていく様子が聞こえた。狭い社会の日光は情報伝達が早く、間もなく「中禅寺の観光ホテルが火事だ!」。
戦後間もない時期、トラック、バスは木炭エンジン、いろは坂は戦前からの砂利道、消防自動車が急いでも既に全焼。 
 
27.       
ロビーにある写真
私は焼失前年の夏に母の同級生(都心の女学校:おそらく戦争未亡人、宇都宮に疎開したまま)に連れられて観光ホテルを訪れていた。当時、日光では観光する進駐軍の若い米兵が多数見られた。街中の交通は木炭トラック、木炭バス、荷馬車であったが、米軍の軍用バス(ガソリン)が頻繁に走っていて、米兵は手を上げて乗車するシステムであった。
同級生と私は丹勢下で手を上げて軍用バスに乗り観光ホテルで降りた。中に入るとアメリカの住宅のような作りになっていて、床はグリーンのリノリウム張り、北側に大型冷蔵庫のある台所、南側にリビング、滞在は30才くらいの白人女性と5才くらいの男の子(おそらく司令官クラスの家族)であった。
同級生はご婦人の洋服の仕立てで、出来上がった洋服の寸法直しに訪れた。ご婦人は同級生と私と子供にガラスのコップに(日本では珍しい電気冷蔵庫で作った)氷の入った見慣れぬ茶色の炭酸水を出してくれた。飲むととんでもない味であったが、子供はお代わりを要求してダダをこねたが、ご婦人は与えなかった:初めてのコーラ?私は飲み物を残して氷だけいただいた。懐かしい記憶。 
    令和2年11月13日改訂版1