成田で飛行機撮影
川村 知一
 はじめに
7月8日、飛行機を撮りに成田へ(現在、新型コロナ感染数は再び増加傾向にあるが、緊急事態宣言が解除され、7月1日からディズニーリゾートも再開、新型コロナ感染数は収束するかに見えた時期であった)。

従来は〟A滑走路北に位置する“成田さくらの丘”でサクラと飛行機のコラボを撮影していたが、季節も変わり指向を変えてA滑走路南に位置する“航空科学博物館”、“ひこうきの丘”、“三里塚さくらの丘”を訪れた。

 7月8日
朝から風雨が強く荒れ模様の天気であったが、午後になると風雨は多少穏やかになり南風、1時間20分ほどのドライブで15:30成田着、まずは航空科学博物館を訪れた。
途中、成田に向かう高速道路は閑散として、第2ターミナルの出発車寄せを通過したが、通常は送迎バス、乗用車、観光客が多数見られるのに、車1台、人1人、異常な閑散ぶりであった。

[航空科学博物館](入口で遠隔自動検温、マスク着用:職員5人、客3人程度でヒッソリ)
館内には航空機の歴史が展示され、屋外には戦後日本の空で活躍した機体が10機ほど展示されていて、馴染みのあるYS11、MU-2の写真を撮った。

私が小山管棒工場に勤務していた昭和43年から52年、YS11の生産が最盛期で、2024、7075合金押出形材が現場を流れていた。検査前では老練の女性2,3人がキズ取り加工、キサゲでキズを薄くそぎ取り、紙やすりとスチールウールで仕上げ、MIL Spec.に準じて製造番号、合金名をアオタケでプリント。
ただ当時はアルミサッシが大繁忙の時代、航空機材は生産性が悪いので機会ロスになるため後回し、季節需要のアルミサッシ閑散期に製造して、納期遅れ半年になることもあった。

MU-2(三菱のビジネス機)では5052-H24コンジット管(電線保護管)を製造していたが、
同様にキズ取りのキサゲ加工の跡が色違いになりクレーム。しかし使用上問題ない筈なので使ってもらうよう名古屋まで単独交渉に行った。相手は品保課長で了承を得て、おまけにMU-2の工場見学をしていただいた。
写真はクリックで拡大

写真1.YS11

写真2.MU-2
[ひこうきの丘](マスク着用)
時折横殴りの風雨もあったが、次第に穏やかになって[ひこうきの丘]に向かった。
新型コロナの時節、展望台には3から5人と閑散として、飛行も20%程度の離着陸、
南風なので離陸した飛行機が頭上を通過していく、通常であれば夕刻は離着陸の繁忙時刻で2,3分おきに離着陸であるが、10分待ちが何回かの離陸頻度であった。
撮った写真を確認すると、画像に黒い「ゴミ?」が、拡大して確認すると「カラス」であった。数秒ズレたらBird Strikeに?でも、と思われた。

発泡スチロールの保冷箱に、コンビニで買ったサンドイッチ、おにぎり、飲料を詰めて、ベンチで広々清々しい外気の中、遅い昼食。

写真3.離陸1

写真4.トリミング1

写真5.離陸2

写真6.トリミング2

写真7.無事のANA機

[三里塚さくらの丘]
帰路に就いて間もなく[三里塚さくらの丘]の標識が見えて立ち寄った。展望台は無人状態で、飛行機は木陰から突如現れるが、夕陽に映えた美しい機体の写真が撮れた。

写真8.JAL1

写真9.JAL2

写真10.ANA1

写真11.ANA2

写真12.アメリカン
令和2年7月21日改訂版1