ベトナム土産ジャコウネコ・コーヒーなど
川村 知一
 はじめに
昨年12月初旬、ホーチミン現地3泊5日の旅で、メコン川クルーズ、市内観光を楽しみ、ホテルも快適であったので、12月中旬に再度ツアーを申し込んだ。
ツアーは2月初旬、今年に入って武漢の新型コロナ騒動が日に日に拡大して、海外旅行は雲行きが怪しくなり、残念だが1月末日キャンセルした(キャンセル料20%発生)。

ベトナムは比較的早い段階から規制を行い、休校などは日本より1カ月早く、結果、数字を見る限り抑え込みに成功しているように見える。

 ベトナム土産ジャコウネコ・コーヒー(フレーバーコーヒー)
ベトナム土産の中にコーヒーがある。ベトナムはコーヒーの生産量が世界第2位で、独特のジャコウネコ・コーヒーがある。

現地レストランのコーヒーは日本人観光客にも好評で、特製のアルミ製ドリップ器具のまま出てきて、客は自分好みに砂糖とミルクを入れて飲むのが一般的である。 (写真はクリックで拡大)

写真1.
器具付きコーヒー1

写真2.
器具付きコーヒー2

写真3.
「ナポレオン」

写真4.
「ボナパルト」
土産に3種類のブランドのコーヒー(粉)を買ってきた。最高価格の箱には「ナポレオン」とあり、個装には「ナポレオン・ボナパルト」とある。

 朝食後のコーヒー
私は朝食後、ミルで豆を手挽き、ペーパードリップでコーヒーを飲む。
近くに自家焙煎の店があり、「ブルーマウンテン」、「ハワイコナ」(ブレンド)などが容易に手に入る。

手始めに「ナポレオン」からトライ、入れ方は普段通りのペーパードリップ。
粉の量は試行錯誤で、2人前の場合、大さじ山盛り2杯弱程度が適量。
普段飲むコーヒーとは味も香りも異なり、バニラでもなくココナツのような香り、人によって好き嫌いが分かれる感じである。

 ジャコウネコ・コーヒーの由来
かつて東南アジアの国々の多くが欧州各国の植民地であった時代、現地人はコーヒー園で奴隷として働き、コーヒーは飲むことを禁じられていた。
コーヒーが実るころ、何処からともなく雑食のジャコウネコが寄ってきて、コーヒーの実を食べて未消化の種を含んだ糞を出す。現地人が糞の中から種を拾って焙煎して飲んだところ、結構な風味で広まった。

現在は商業化され、ジャコウネコを飼育して、コーヒーの実を強制的に食べさせて糞から豆を集める、1匹のジャコウネコから1日3gしか取れないので高価、広告には「ニセモノに注意」とある。
今回の「ナポレオン」の説明では、ジャコウネコ・コーヒーの香りは胃の消化酵素によるもので、人工的に製造した酵素を使用している、とあり「―-もどき」であった。

 
 追記(など);レコード鑑賞
レコード鑑賞は学生時代からの趣味である。先日15年ぶりにプレーヤーを更新した。機種はアレコレ調べてデノン(昔の電音)DP500Mに決定、ネット発注したら翌日届き驚いた。
カートリッジはデノンDL103(MC、NHKとデノンが共同開発、放送局で現役)、アンプ、CDプレーヤーはマランツ、スピーカーはB&W、音質が良く満足している。

写真5.
オーディオセット
 主なLPレコードと思い出
① ベートーベン交響曲1~9、大学時代に月賦で購入したが、さすがにキズが多くなり、15年ほど前に高田馬場の中古レコードショップで新品同様を12,000円で買い直した。
ドイツグラマフォン、カラヤン指揮、ベルリンフィル、録音技術が素晴らしく、コンサートホールの一番良い席で聴いている奥行きも感じる臨場感である。

写真6.
カラヤン指揮
② モダンジャズ、1968-1973年、小山の独身寮で2つ隣のI君に感化されて購入したLP10枚ほど、米国製のLPは日本で縦置きしておくと夏の高温多湿で反りが出てダメになり(特にVerve)、残るはImpulseとAtlanticなど半数になった。
写真7.
コルトレーン

写真8.
ブラックエンジェル
③ ハワイアン、1984年、ハワイに家族旅行した時、帰り際ABCストアーで購入した。
写真9.ハワイアン
④ ディスコ・ミュージック、1985年、日光の山の中からNY5泊出張、42nd.St.周辺に間口の広いレコードショップがあり、女性店員が2人、「今人気のディスコ・ミュージックは?」と聞くと、ジャケットに赤ん坊の写真が付いたLPがでてきた。
(現在ユーチューブでライブ映像を無料で視聴できる。Robin Scott )

写真10.ディスコ
⑤ ルーマニア民族音楽
1970年12月から6か月プラント輸出で滞在したルーマニアの民族音楽、各地方でいろいろな民族音楽があり、伝統のパンフルート演奏で有名な曲「ひばり」が1曲目。
1971年5月、首都ブカレスト唯一のデパートに立ち寄り、記念に買ったレコード。

写真11.
ジャケット表面

写真12.裏面
あとは趣味の写真撮影などで大人しく過ごしている。 
      令和2年5月7日