はじめに
16代将軍候補であった水戸徳川最後の藩主、徳川昭武が29歳で引退後(新政府と微妙な立場にあったとされる)、別邸として戸定邸を建設、庭は庭師を欧州に派遣して、日本最初の和洋折衷とした。
庭は6年ほど前に国の名勝となり、復元工事を行い2年前に完成した。度重なる盛り土を削る作業を行い、庭先にあった見事な戸定黄梅(水戸の偕楽園にも無い品種)を根こそぎ掘り起こして保存した。近年は観光バスが訪れるようになり、行幸啓もあって、観光バスも数台留まれる大規模な駐車場が新設された。
昨日訪れると戸定黄梅は何と駐車場の入口に移植され、木の大きさも小さくなり、庭先にあった気品ある姿の変わりように驚いた(花は5分咲きであった)。
おそらく昭武と頻繁に訪れたとされる異母兄弟、徳川慶喜が梅の季節に愛でたであろう経緯を無視した、無粋な結果が残念に思われた。
なお歴史館では2月1日より、水戸徳川から分家した松戸徳川の美術展が行われていて見学した。昭武と慶喜はともに写真を趣味としたので、多くの写真を残したが、今回は家族写真が多く展示され、コーヒーなども共に趣味としたので食器や嗜好品などが目を引いた。
昭武は将軍の名代としてパリ万博に派遣され、ナポレオ3世に謁見、妻子との交流があり、2度目はパリ留学し、幾何学などフランス語のノートが展示されていた。
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2016年20、21日の写真 |