墓を作る  
竹内  理
 この3月 我が家の墓を作りました。

 場所は手賀沼を見下ろす柏側の台地の一角にあります。
手賀沼の対岸の我孫子市には、一時志賀直哉、武者小路実篤等の白樺派の拠点として、多くの文人が集い、さらに柔道の創始者加納治五郎、民芸運動の創始者柳宗悦・兼子夫妻、ジャーナリスト杉村楚人冠等々が居を構えました。
湖の柏市側には手賀の丘公園というかなり広い公園があり、その近くにあまり大きいとはいえない600余基程度の霊園があります。その中に我が家の墓を作りました。

 手賀沼周辺には結構、古墳が多く点在しており、われわれの霊園の隣の林の中にも2基の古墳(北の作古墳)があります。大きい方は全長30mの前方後円墳で4世紀後半のものと推定され、この地域では最も古い古墳と言われております。昔から、人はこの辺りの地に眠りたいと思ったのかもしれません。

 30年ほど前、この霊園が売り出された時、妻の希望もあって墓地の権利だけを取得しました。最近になって、いよいよ必要に迫られ墓石を建てることにしました。形状は地震を考慮し横型とし、墓石の真ん中には茶道の言葉である「和敬清寂」から引用した「和敬」の二字を彫り、満開の桜の花の模様も添えました。

 私は今まで死後の世界について、あまり深く考えたことはありませんでした。
宗教の世界においてはもちろん、歴史や文学のジャンルにおいては、大きく取り上げられておりますが、自分自身のこととなるとあまり切実感がなく、死後の世界には天国も地獄もなく、無の世界だと思っておりました。般若心経のいう無とは違うのかもしれませんが。
しかし、今年80才という節目を迎える年ともなると、少し考えが変わってまいりました。「天国はもう秋ですか お父さん」父を亡くした小学生の詠んだ句ですが、彼の中にはきっと天国という別の世界があるのでしょう。最近われわれと同年代の身近な人が亡くなることが多くなってきました。そんな時、あの世に行けば、既に亡くなった人に会えるのだと思っている人が、結構多いことに気が付きました。

 そうした環境の変化もあって、否でも応でも、死というものを身近に考えるようになってまいりました。お墓に対する考えも変わってきました。少し前まではお墓など無くても良い。どうせ死んでしまえば無の世界。弔いの形式などどうでもよいと思っておりました。最近、今度の墓地に何度か足を運んでいると、やはり現世と違う死後の世界が存在して、遠からず自分もここで暮すのだと感じるようになりました。そうなった時は、あの世で、毎日手賀沼を眺めながら、古代人と共に暮らすことになるのかもしれません。

                                                                                                 おわり 
2014.3. 9