イラン病患者からのレポート第九話
イランのゾロアスター教寺院
 北島 進
   イランはゾロアスター教(拝火教)の発祥地である。この宗教は世界でも最も古い宗教の一つとされ、その成立は紀元前600年頃と言われている。その神殿の跡がイラン全土に散在しているが、中でも最も注目されるものはイランのほぼ中央にあるヤズド市のゾロアスター教の大本山である。その他規模の大きいものはシラーズ市のアケメネンス朝時代の宮殿ペルセポリス、イスファハンのアーテシュガーフ、アゼルバイジャン州にあるササン朝時代のタクテイ ソレイマンなどである。
  平成15年10月、送電線工事以来の友人である、アスカリプール氏の車で、テヘランから東南へ国道を約671kmのヤズド市の大本山と沈黙の塔を訪ねた。  
 ヤズド市に向かう車中で、アスカリプール氏が次のように語った “ゾロアスター教徒が多く住むヤズド市では事件や事故が不思議なくらい少ないことで国内でも有名だ”という話を聞いていた。ヤズド市の中級のホテルのフロントの若い女性も英語がわかり、ゾロアスター教徒かと尋ねると躊躇することなく微笑んで、そうだとうなずいた。                                                            
  すっかりセム族のアラブ人の血が多く混ざり大雑把で繊細さに欠けた最近のイラン人と比較すると、フロントの人々の印象から、この宗教にはアーリア人の何か秘められた教えがあるのではないかと興味を抱かされた。
  この宗教が歴史上に大きくクローズアップされた出来事はアケメネス王朝の三代目キュロス二世(BC559-530)がイラン高原を支配していたメデイア王国、トルコの西部のリュデイアを征服して、BC537年現在のイラクを支配していた新バビロニアのナポニダス王を滅ぼした。その結果BC586年に新バビロニアがユダヤを征服して、半世紀にわたってバビロンに強制移住させられて、囚われていたイスラエルの数万のユダヤ人が捕因から開放された、そしてキュロス二世はユダヤ人にエルサレムへの帰還と、神殿の再興を許された。ユダヤ人はキュロス王の寛容な計らいを大いに称えて、彼の信奉するゾロアスター教に強い関心を抱かせた。この辺の歴史的な変遷は旧約聖書(エズラ記)のエズラの時代に詳しく書かれている。
  寛容な計らいの理由は、新バビロニアのナポニダス王が執った異常とも思える昔の宗教に関する制度に回帰させる政策が帝国の内部分裂を招いたという失政の原因を彼は知っていたから一般の被征服民衆の感情、特に宗教に対しては細心の注意を払って、他宗教を認めたのみならず、復興、発展を促した。
  今でこそイランのアハマドネジャト大統領が率いる革命防衛隊中心の政府はイスラエルに対して敵視政策を執っているが、前述の歴史的な美談があり、革命前のパーレビ王朝は中近東諸国の中では最もイスラエル寄りの国であった。
  現在でもイラン国内に二万五千人のユダヤ人が平和裡に暮らしている。
  送電線工事プロジェクトに於いてもイランの主要な下請け会社ザンゲニー プール率いるイラン パッツエルの副社長マトハ氏、三井物産テヘラン支社から派遣されて、エルブールス山頂越えのカンダヴァントンネルの下の古河ギャチサール事務所で日本語通訳を担当したハシミ氏などはユダヤ人であった。その他タブリーツ線ではマハブというイランコンサルタントの現地技術者が自分はアッシリア人だ(アッシリア系イラン)と名乗り出たが、それはネストリュウス派のキリスト教徒であることを暗示していた。
  またテヘラン古河本部にもベギヤンというアルメニア系イラン人が居たが、彼もギリシャ正教系のキリスト教徒で、このような異教徒の少数民族も誇り高いペルシャ人の社会に比較的寛大に受け入れられて共存している。
  そのような歴史的な背景から、旧約聖書にはゾロアスター教の話は一切触れられていないが、多くのユダヤ人がこの宗教の実態に触れて、それに感化された人々が情報をイスラエルに持ち帰ったと伝えられている。
3世紀から7世紀にかけて栄えたササン朝ペルシャ時代にはこの宗教がイランの国教とされた。
  現在教徒はイラン全土でも約五万人、ヤズド市の人口が約十万人に対して、ゾロアスター教徒はわずかに六千人である。憲法でユダヤ教、キリスト教、バハイ教とともに少数宗教徒として、法の範囲内で彼ら自身の宗教行事、私的事項、教育を彼らの教義に従って行うことは自由であると定められている。


1. ゾロアスター教の主な教義 
1.1  人は精霊を持って生まれた。
  人は生身の肉体のほかに、生まれる以前から天界でデザインされた各人の善的個性、人格、才能の精霊を持って誕生すると説く。
1.2 人は創造主アフラ マズダーによって作られた。 
  デザインした神はアフラ マズダー、即ちゾロアスター教の主神、創造神である。 
1.3 性善説 
  人は本来善的な精霊を抱いて生まれたのであり、理性的で良心的な性格の動物である。自分自身を見詰め、与えられた精霊を認識して、それを十分生かしながら生活をし、社会に貢献する義務があると説く。 
1.4 善悪二元論 
  天界にも善悪の二つの霊があるが、現世にも善悪の霊が人の心の中で、戦っている。人は善霊を持って生まれてくるが、現実の社会の狭間で、悪霊に捕まり、良心、理性を失って常道を逸してしまう。また本来の才能、個性、人格を失った生活をしている。このような時に精霊とは単なる観念的な心象ではなくて、霊能ある者(司祭者、神官など)はその人の精霊を通して具体的な姿をイメージすることが出来るそうである。それによって教導することが可能になる。 
1.5 人の生きて行く指標 
  寄って生きるべき指標とはいったい何かというものを明確に提示している。
それは所謂三徳と呼ばれる善思、善語、善行(思考、言語と行為)を保持励行しなさいと説く。 
1.6 現世の賛歌 
  この宗教は出家、禁欲、解脱のような業を忌み嫌う、このような業は悪魔に奉仕するとみなす。
現世で生を十分に楽しめと語り、一日の三分の一は学問をし、三分の一は生活のために働き、三分の一は食事と休息と娯楽に使えと説く。この地上の生活には神の創造にかかわる多くの良きものがある。己れ自身がアフラ マズダーの被造物であることに感謝して、これらの良きものを享受せよと説く。 
1.7 信徒の社会的な規範 
  人は本来理性的な思考が可能で、倫理的な存在だと見抜いていた。だから悪と戦って、道徳に適った生活をしなさいというのが最も重要な教えである。
それは親切、謙譲、同情、感謝、家族愛、友情のような美徳を尊び、他者を尊敬し、社会を尊敬しなければならない。環境を尊び、動物を愛護しなければならない。神に生贄を捧げることを禁じる。懸命に働き、他者を歓待し惜しんではならない。これらはすべて三徳に通じる。 
1.8 教徒の日常生活の義務や生活の規範 
  “生めよ殖やせよ”即ち生殖行為は神の創造の重要な一部分であり、その喜びは神聖なものだとする。正しい男女の結ばれた喜びは悪魔を駆逐する。また結婚して子孫を残すこと、大地を耕すこと、家畜を酷使しないで、正しい仕方で飼うことを諭す。現世の悪のはびこりで、多くの戦う戦士が必要だからアフラ マズダー軍団に加わって、悪の神と戦うことが求められた。それによって世界から悪を追放して、善を完遂することがゾロアスター教の究極の目標だと説く。
  人間心理と社会に対する人間の行動原理を深い洞察力で分析し、人間社会を如何に平和で安定したものに導こうかと考え抜かれたのが、この教義である。この宗教の誕生は諸説あるがBC600年ごろとされているので、この古の時代にこれだけの思想が生まれたことに驚嘆せずにはいられない。
  しかもこの教えは現代人にも全く違和感がない、むしろ既存の宗教よりも現実感を持って受容しやすいと感じられる。
  一方仏教、キリスト教のような神に身も心も捧げて信仰に励めば救われるとか、念仏百万遍唱えれば念願成就するとか言った他力本願的な救済思想はこの教義の中にはあまり見られない。
  しかし霊能者が軌道を逸した教徒を軌道に戻すとか、司祭が教徒の病気をある種の霊薬を使った祈祷によって、癒すとかマントラ(真言)を唱えて奇跡的なことが起こせる霊能者が救済活動を行っている。
  信徒のコミュニテイの結束が非常に強く、お互いに信頼醸成して助け合うと同時に、異教徒に対しても開かれるように志している。
  ヤズド市のホテルフロントで出会った若い女性の人間味の豊かな姿にこの宗教の精神的なバックボーンがよく機能していることを実感した。
  一方意外感のある掟として、近親結婚を認め奨励するとか信徒同士の結婚しか認めないといった現代人にとって違和感のあるものが昔はあった、前者は草創期に民衆から強い反発を受けて、取り下げられた。後者は信徒の数も減って、最近では妥協されて、夫が信徒の子は信徒になれるが、異教徒の夫の子は教徒になれないという掟になっている。


2. ゾロアスター教の大本山
  ご覧の通り、大本山と言っても建物はレンガ積みの平屋で人の大きさと比較しても、小さくて簡素、宗教発祥の地の大本山にしてはヤヤ貧相な感じは否めない。
  しかしこれはこの宗教の本質的で厳格な教義に基づけば当然の結果である。虚飾、虚偽は悪であり、悪魔に味方していると説くからである。ゾロアスター教の聖火は寺院で保たれている。そして寺院には三つの段階があり、最高位の寺院を“火の大聖堂”(アーテイシュ バフラーム)と呼ばれて、世界で十箇所ある中で、イランには二箇所しかない。その内の一つがヤズド寺院である。
  寺院の庭内に入ると身体の露出している部分を清める水場がある。寺院の建物に入ると中央に火の部屋があるが、そこには金属製の大きな火鉢があり、BC600年以来絶えることなく火は燃え続けているとされている。火は司祭が定期的に世話をしている。このクラスの寺院の火の部屋には秘儀を極めた司祭のみが入ることを許される。観光客や市民は寺院に入ると火の部屋との間にギャラリーがあり、部屋の火鉢全体を見通すこと出来る大きさの窓があって、そこから聖なる火の儀式を観ることになる。
  火の部屋には絵や像のような飾り物は一切ない。                 
  ゾロアスター教は集会を重視する宗教ではないが、年に新年(3月21日をノールーズと言って現在のイラン暦はゾロアスターのものである)と六大祭を大本山で集会を開く。在家信者は個人、家族各自自由に一日5回朝、昼,夕、晩、夜、聖典アヴェスターのマントラ(真言)呪文を唱えて礼拝する。
  この礼拝の時間帯と回数はイスラム教と全く同じである。
  最もポピュラーな格式の三段階の寺院では司祭は常駐していないが火は在家の人々が沐浴をして清潔な体で管理している。
結婚式、葬式、入信式のようなときは司祭が来て、火の前で儀式、礼拝を行う。寺院に入って建物以外で、すぐに目に付くのが前庭の池と左側のザクロの林である。ザクロは種が多いので、子孫繁栄を招く、ゾロアスター教の豊穣の女神アナヒーターを象徴して植樹したのだろう。
                                     
3.沈黙の塔(別名:鳥葬の塔)  
  沈黙の塔をイラン語で“ダフメ”と呼ぶ。ゾロアスター教では死は悪霊の勝利を意味するので、遺体は最も汚れと穢れの強い状態とみなす。従って死に対しては厳格な儀礼が行われる。まず死期が近づいたことが判ると邪気を追い出すため火が部屋に持ち込まれる。死は穢れの最たるものだから、誰も遺体に触れてはならない。BC600年頃から屍可(日本でいうところの “送り人”)が居て、彼は特別な訓練を受けており例外的に遺体を触ることが許されるが、事後特殊なお祓いを受ける。屍可は遺体を洗浄し、清潔なスドラ(聖衣)クステイー(聖帯)をまとわせる。そして遺体の顔だけを残して、全身に経帷子(きょうかたびら)(死装束)を着せる。遺体は石板の上に載せられて、その周りには結界を引いて遺族や司祭が近寄れないようにする。遺体の傍らに白檀や乳香が焚かれて、邪気を追い払う。司祭がアヴェスター語の祈祷を唱える。ゾロアスターが主神アフラ マズダーから啓示を受けた時の対話の内容を彼自身の手で書かれたものとされている古代の詩篇“ガーサー”の第一篇を司祭が朗誦して儀礼は終わる。この儀礼によって遺体から霊魂は離れたことになる。霊魂が離れた遺体は単なるものになり、あとは処分するだけとなる。遺族は遺体に触れることなく、死者に別れを告げる。
  屍可は金属製の担架に遺体を載せて、家から運び出す。遺体は穢れの最たるもので、神聖な要素である火、水、空気、土を汚すことは許されない。それでゾロアスター教では沈黙の塔で遺体の処分するのが伝統となった。部屋から運び出された遺体は屍可によって、沈黙の塔まで運ばれるが、二人の司祭と遺族が同行する。
  塔の前でもう一度遺族は別れを告げられるために立ち止まる。
  写真の沈黙の塔はヤズド市郊外の砂漠の中で、高さ100メートルほどの丘の頂上に石を積み上げた円筒の石造建物である。円筒の中心には垂直に掘削された井戸があり、その外周の床面に石の台が三重の円環状に敷き詰められている、そしてその台は汚水や雨水が井戸の方に流れるように傾斜している。石と石の間は窪みがあり、遺体からの液体も溝を伝わって井戸に流れ込む様になっている。井戸の底には砂と木炭の層になっており、液体の汚れは濾過されて、大地に戻されるので、汚さないで吸収される。遺体の置き方は外側から男性、中間が女性、内側が子供用となっている。円筒に入れるのは屍可だけである。円筒の中に運び込まれた遺体は石板の上に置かれて裸にされる。これは人が誕生したときと同じ状態で葬るからである。後は猛禽がむさぼり食らうのに任される。遺族は円筒の外で控えていて祈祷を唱え帰宅する。そして帰宅後祈祷と垢離で汚れ穢れを清める。一方猛禽が食い残した遺体の骨は灼熱の太陽と乾燥した空気で白骨化する。                          これらは後日屍可によって井戸に放り込まれて土に戻る。 その後一年間遺族は死者のために祈祷を捧げる。ゾロアスター教の葬儀はこのような調子で進められる。        ヤズドの拝火神殿の管理人の話によると、今はコンクリートや鉄製のお棺で土葬にしている。沈黙の塔を使うのは戦争や疫病で多くの死者が出たときだけであり、もう今は使っていないと言っていた。
  コンクリートや鉄製のお棺なら死骸の汚れは外に染み出さないから土葬しても神聖な土を汚さないということである。


4.ゾロアスター教の呪文
弘法大師が唐時代の中国から招来した真言密教では真言(呪文)が重要であるが、これはサンスクリットでマントラと呼ばれて、神から直接聖者に啓示されたもので、それを唱える者は神秘的な力が賦与されると信じられていた。なぜそんな力が起こるのか、この問いに“ゾロアスター教の神秘思想”の著者岡田明憲氏は次のように答えている。“音声に対する素朴な信仰とともに、マントラの語句が、象徴的な解読法によって、通常の意味機能をはるかに超えた秘密の知恵を開示するからである。”
弘法大師も唐から帰朝後、京都の神泉苑で雨乞いの祈祷を行って、見事成功したと言われているが、これも真言の威力の証であろう。
ゾロアスター教にもマントラに相当する言葉はアヴェスタ語でマンスラである。
マンスラにはいろいろあるが、中でも教徒がわが身の危険を感じた時に、この真言を唱えて神の加護を祈るというアフナ ワルヤという呪文マンスラを紹介しよう。
その効果を次のように言っている。
この呪文の三分の一を唱えると悪魔は恐怖に駆られ、その三分の二が唱えられると地に倒れ、全部唱えられると悪魔は無力になるそうである。
ヤサー アフー ワルヨー ラトウシュ アシャート チート ハチャー、ワンヘーウシュ ダズダー マナンホー、シャオスナナーム アンヘーウシュ マズダーイ、クシャスレムチャー アフラーイ アー、イム ドルグブヨー ダダト バースターレム
ゾロアスター教がBC600年ごろ設立している、一方弘法大師が唐朝から持ち帰った真言密教はAD806年であるから真言という呪文の宗教的な源流はゾロアスター教にあったと判断しても間違いではないそうである。


5.ゾロアスター教のハオマ
  宗教の創始者が草創期に一番苦労するのが、教えを広めて、お布施を集めるなり、スポンサーを獲得して布教の基礎を築くことである。
  その手っ取り早い方法は、まず民衆あるいはスポンサーとして期待される支配者の面前で、病を癒すという奇跡を起こすとか、霊的な力を使った読心術で、人の思い抱いていることを言い当てるといった超能力を示すことであった。
このような魔法使いや奇術のようなオカルト的な作用を引き起こす手段として、ゾロアスターはハオマを利用した。
  ハオマとはハオマ樹の樹液から作られる。ハオマ樹は東西の神話に広く見られる宇宙樹で、生命の木である。
  中でも白いハオマ樹から不死の霊薬が作られるとか死を遠ざけるもの、健康と活力を賦与するものとされた。
  このような飲み物の効能はインド、イランに昔から共通の信仰だそうである。
  ハオマの実態は昔からはっきりしていなかったが、現代の学者は大麻、エフエドラなどではないかとされている。この飲料が強い幻覚を引き起こすものとされている。
ゾロアスターの数々の不思議な光景はこのハオマを飲むことで、もたらされたと説明されている。
  ゾロアスターは霊的な力を使って、見えないものを見る透視術、他人の考えていることを知る読心術に長けていた。されに化学や薬学の知識も豊富で、それらを利用したと言われている。
  その他霊水、護符にも詳しく、それによって盲目を見えるようにしたとか、動物にも治療をしたとされている。
  ゾロアスターはアケメネス王朝以前のカウイ王朝のウイーシュタースパ王の前で一つの奇跡を行った。
  ゾロアスターがウイーシュタースパ王の宮殿に入ってきたときの場面は、宮殿の屋根を粉砕して王の前に現れた、即ちかれは天から降下してきた。また彼の掌には火が燃えていたが、彼の手はそれによって焼かれることはなかった。またインドのバラモン僧との論争で、相手が問いを発する前に、その内容を知って答えた。
  本人の目の前で、奇跡や超能力の実例を体験しないと、このような話を簡単には信じることは出来ないのが普通の人である。
  現代でも人の霊を使って、透視術や読心術を行う魔術師がいることが書かれた本を紹介しよう。
  “秘められたインド”ポール ブラントン著 日本ヴェーダーンタ協会訳。
  第三章 エジプトから来た魔法使い に概略次のような話が書かれている。
  著者がエジプト人の魔法使いにホテルで出会う。
  著者は彼の読心術を試すことを決めて、申し込み承諾されてホテルの一室で対面する。かれは著者に紙と鉛筆を用意させて、かれに何かお尋ねしたいことをその紙に書きなさいと命ずる。そう告げると彼は数フィート後ろに下がって、背を向けて窓の外を見ている。著者は4年前にどこで住んでいたかという問いを書いた。
  かれはこの紙を四角に小さく折って、鉛筆と一緒に右手にしっかり握れと命ずる。かれは目を閉じて深い精神集中状態に入ったように見える。そしてお尋ねの問いは4年前どこに住んでいたかではないかと答えた。
  著者はおっしゃると通りですとあきれて答える。かれはその握っている紙を広げてみなさいと命ずる。
  著者は紙を平らに伸ばすと調べてみてくださいと言われて、驚くべき発見をした。何者かが見えない手で私が4年前に住んでいた町の名前が書いてあった。エジプト人は勝ち誇ったように微笑して、そこにある答えは間違っていないかと尋ねた。
  著者は不思議そうに、答えは正しいといって、当惑してもう一度試させてくれと申し出る。
  同じように私は2年前には何誌の編集をしていたかという問いを紙に書いた。
  全く同じような情景が展開されるが著者は彼の動きを注意深く監視しながらことを進めた。
  かれは眼を閉じて深い集中状態から覚めて、その問いの答えを言い当てた。同じように紙を広げて見てくれと言われる。紙には不器用な鉛筆文字で、雑誌の名前が書かれている。
  著者はこの秘術を教えてくれと申し出る。
  かれは承諾して話したことは、かれがカイロの学生時代に、近くに住むユダヤ老人に惹かれて、魔術やスピリチュアリズム、神智学、オカルトの実践面の研究を行う協会に案内され、そこで修行、実践をして彼の特殊な才能が開花して最高の指導者に成長した。その後、かれは中東では有名になり、シリアでは迷宮入りになった事件の解決を警察から依頼された。
  かれは常に犯人を発見出来た、なぜなら“私に従っているスピリットたちが、その場面の幻を私の眼の前に描いて見せるものですから、犯人の秘密がわかったのです”続けて“私を一種の、実験を行うスピリチュアリストとお呼びになってもいいでしょう。たしかにスピリットたちの助けを呼び出すのですから”
  著者はあなたの雇い人(スピリットたち)のことを話してくれと頼む。
  “スピリットたちのことですか。ええ今のように彼らを支配しうるようになるためには3年間の難しい修業
が必要でした。われわれの物質界の外にある他の世界には善いスピリットと同時に悪いスピリットがいるのです。中略 スピリットのある者はこの世が死と呼ぶものを通過した人間です。しかし私の従者たちは大部分ジンと言って、人間の身体には宿ったことのない霊界の住人です。中略 私はこのジンという言葉に当てはまる英語を見出すことはできない。“中略 著者曰く”あなたが雇っておいでの人間霊はだれですか“
  “その一人は私自身の弟だ、ということだけを申し上げましょう。かれは何年か前に{亡くなり}ました
  しかし覚えておいてください。私は霊媒者ではありません。霊が私の身体に入ったり、どんな形にせよ私を支配したりするようなことは決してないのです。私の弟は自分の伝えたいと思う思いを私の心に印象付けたり、私の心の眼の前に幻を現して私と連絡をとっています。昨日あなたが紙にお書きになった質問はその方法で知ったのです“その後ジンたちの話が続くのですが、これは実話なので、ゾロアスター教のように、やはり霊長動物の人間には霊界の存在を認めないわけにはいかないのではないかと最近深刻に考えている。


6.ゾロアスター教のよもやま話
  一番面白いのは日本人が日頃使っている“マツダ ランプ”の名前はゾロアスター教の主神“アフラ マズダー”から来ている。善行、善語、善思の三徳を励行して天界(ゾロアスター教的には霊界)も現界も照らすアフラ マズダーの光をイメージした命名は1910年ごろ株式会社東芝が命名したが、当時欧州でもEdison Mazda Lampと呼ばれていたので、このMazdaを引用したのだろう。
  日本の哲学青年の間には必読の書であったニーチエの“ツアラトウストラは斯く語りき”のツアラトウストラはゾロアスター教の預言者である。
  この書に深く感銘した音楽家R.シュトラウスは同じ題名の交響詩を作曲している。


参考文献
ゾロアスター教     P.R.ハーツ
ゾロアスターの神秘思想 岡田明憲著
秘められたインド    ポール ブラントン著

 2010年7月