A: |
アラムート川からガザルハーン村へ向う道路から撮影した。一瘤ラクダが首を地面に付けて跪く姿に似ている。遠方に聳えるのがハウデガーン山である。 |
B: |
ガザルハーン村の高台から城の西先端を撮影した。 |
C: |
ガザルハーン村から歩道を登って、溶岩丘に来たところである。写真左の絶壁の上に宮殿が建っている。 |
D: |
溶岩丘からジグザグして登ってくると城門が設けられた城壁があったとされる場所が城壁の根付の遺構で判る。(84年には根付けに石灰でレンガを付けた痕跡があったが、今はない) |
E: |
もし私がスルタンに対して好意を抱いていなかったとすれば、床の上に立てられたこの短剣は貴下の胸に突き刺されていたでしょう。この岸壁の頂上から私は貴下の周辺の人の手を遠隔操縦していることを承知あれと語らせた風景である。生きて帰らぬ刺客を見送ったり、ファーテイマ朝の要人に信徒の信心深さを証明する為に信者をこの絶壁から飛び降りることを命令した場所でもある。 |
F: |
トンネルの西口から宮殿を撮影したが、調査局の足場やぐらや事務建物があって、イランの遺跡発掘調査の意気込みが感じられる。 |
F’: |
1995年にほぼ同じ場所から撮影した昔の宮殿の姿である。 |
G: |
位置としては写真Bの尖った先端の頂上から山側へ入った所である。手前の敷地も狭いが次第に先細りになっている。貯水槽が2箇所あって、その調査のために足場やぐらが組まれている。英国隊調査では、この辺にはブドウ畑、井戸室があったとある。 |
モスク1、2: |
現在掘削調査中であり、看板の説明のようには全体像がつかめないが、近い将来全容が解明されるだろう。 |
貯蔵庫1、2: |
貯蔵庫2の看板説明でも、この写真の地下が倉庫だと書かれていた。貯蔵庫1も調査中で具体的な構造がまだ表されていない。 |