学会誌「軽金属」の随想:数学者・矢野健太郎など
川村 知一
はじめに
学会誌「軽金属」6月号に、投稿してあった〝記憶に残る、代ゼミ夏期講習で聴いた数学者・矢野健太郎の講義" が掲載された。(文末にコピーを掲載します。)

数学者・矢野健太郎(1912-1993)と言えば、今でも理工系大学生のほとんどが、背表紙に彼の名がついた教科書で数学を勉強している。しかし彼の経歴については、あまり知られていないように思う。

彼が数学を専攻したきっかけは、小学生の時アインシュタインが来日して(1922年)、相対性理論のニュースを聞いたことにあった。相対性理論を理解するには微分幾何学を理解しなくてはならない、ということで1936年パリ大学に留学し、戦後はプリンストン高等研究所に在籍し、同高等研究所にいたアインシュタインと親交を深めた、とある。

昭和35年(1960)、私は浪人生で、彼の特別授業を代ゼミ夏期講習で受けた。
講義の内容はシンプルで、先生が黒板に一本の直線(アナログ)を描き、0~10の目盛を振った。次に生徒達に数字(デジタル)を使って、一本の直線を埋め尽くさせようとするのだが、極微小部分は埋め尽くすことができず(直線として繋がらず)、「穴だらけである」というのが結論であった。

随想のストーリーは、私の趣味であるアナログレコード鑑賞の音質が、デジタル音では出ない艶やかで繊細な音色である理由として、「デジタルは穴だらけ」を思い出して記述したものである。

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余談(相変わらずアレコレ)
2011年4月、東日本大震災の1か月後、既に予約してあった箱根宮ノ下富士屋ホテルに宿泊した。ホテルは日光金谷ホテル創業者の次男が婿入りして(山口正造)、立派な国際的ホテルに仕上げたので、建物、レストランなどは日光金谷ホテルと類似した設計になっている。

日光金谷ホテル同様、かつて宿泊した有名人の写真、記録がホールに展示され、アインシュタイン、チャップリン、ヘレンケラー、蒋介石、戦後ではジョンレノン家族など。

注目されたのは、アインシュタインの直筆に並んで、蒋介石(蒋中正)直筆の色紙があった。
色紙には「天下為公」(国は民のためにあり、為政者のものではない)とあり、調べると古くから中国に伝わる語句で、日本に滞在した孫文が好んだ語句であったとされ、並んだ二人の写真も見られた。
 
写真1.アインシュタイン直筆
 
写真2.蒋介石直筆
 
 
★話はさらに飛んで、古河関連の伝記「古河従純君」を読むと;
氏が米国留学(ハーバード大)後、ヨーロッパ各国を歴訪した折り、蒋介石の次男と宿を共にした記述があった。二人はナチスのパーティーに招かれて、ヒトラーに謁見した。その時の蒋介石次男の言葉「ここにいる連中は皆白人である、いずれ我々も――(東洋人も――)」が強く記憶に残った。

古河従純氏はヒトラーに謁見した際、ヒトラーから「ドイツをどう思うか?」質問され、無難な返事をしたが、心の中では「工場を見学すると、働いているのは老人と女性ばかりで、若い男は全て徴兵され、いずれこの国は――」の
記述が注目された。

★父から聞いた話として;
アルコアとの契約時、アルコアは調査団を日本に派遣して、古河と住友を比較評価した。
古河従純氏にはアルコア調査団との応対や、古河アルミ設立にあたって、三水会の根回しにご尽力いただいた、
と聞いた。
 
 平成26年7月11日