日光路面電車の歴史
川村 知一
 はじめに
HP“地方の便り”に玄梅氏の旧日光路面電車展示の話題があった。
小生は6年前(2014年2月11日)東向島にある東武鉄道博物館で開催されていた「なつかしの日光路面軌道」展を見学に行った。(写真1)

*以下写真はパンフレットより。
*2,014年2月、アラカルトに投稿しましたが、思い出して纏め直しました。

始まりは、足尾の粗銅を日光精銅所に運ぶため、足尾から細尾峠を越える索道が使用され(写真2)、その後、足尾に鉄道が敷かれて日光駅まで運搬、日光駅から精銅所まで牛車鉄道で運搬されていた(写真3 写真4)。

明治43年に電気軌道が開業されたが(写真5)、大正天皇の行幸時には日光町内は牛の糞尿で汚れていて、町内総出で清掃した話があることから、電車と牛車の併用であったと思われる。





                                     写真5
以下、昭和初期から廃線まで、写真6~13
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写真1

写真2

写真3

写真4

写真6

写真7

写真8

写真9

写真10

写真11

写真12

写真13

見学当日に撮影した日光路面電車の外観と車内、写真14、15

写真14

写真15
 まとめ
足尾の粗銅運搬から始まった歴史であり、足尾―精銅所間の物流の苦労の歴史が偲ばれる。
牛には大変な重労働であったであろう、当初の鉄道は大谷川沿いにあったとされ、急勾配を避けたようである。
令和2年3月27日