「第二海堡」上陸見学記 
稲葉 浅治
明治から大正時代にかけ、東京湾に建設された「第二海堡」に上陸できるツアーが、令和元年5月より始まったので参加した。
富津市の富津岬から、西3、5キロの東京湾にある「第二海堡」は、首都を守る火砲を据えるために、他の二つの海堡と共に、明治14年から40年かけて建設され、今まで一般の立ち入りが禁止されてきた。

「第二海堡」は、横須賀市の三笠桟橋より、チャーター船に乗り、約30分で到着する。
主な見所は次のとおりである。

1.防空指揮所跡
  ひときわ目をひく円形の建物で、すぐ下に27㎝カノン砲が置かれていた構造は珍しいものである。

2.レンガ造掩蔽壕
  レンガ造えんぺいごうはアーチ形の入口が見え、この上に15㎝カノン砲が設置されていたところ。

3.灯台
  搭の高さが12mあり、初点灯は明治27年9月と書かれている。

4.倉庫
  壁はレンガ、天井はコンクリートで作られ、防水のためにアスファルトとモルタルが塗布され、さらに土を
  のせている構造物。

5.地下要塞入口
  島内の地下にはりめぐらされていた要塞の入口として、現存している唯一の入口。

6.砲台跡
  15㎝カノン砲のあった場所で、この地下には弾薬庫があったところでレンガとコンクリートとアスファルト   で作られている。

7.間知石
  南の桟橋付近に、波力に耐え得るため間知石けんちいしが積まれている。

「第二海堡」の面積は41300平方メートルで、建設に携わった職工人夫は延495855人で、総工費は791647円と記録されている。
これは現在の約65億円と推定されるものである。