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奥鬼怒温泉郷について
平成24年(2012)12月3日記録作成 玄梅 
「八丁の湯」
   大正の末までは、川俣温泉の奥八粁に日光澤温泉が一軒ポツンと在っただけであるが、昭和二年今市の挽物屋である富次郎が現在の場所に在った営林小屋の傍に温泉の、湧出しているのに目をつけ二階建ての小屋を建て、二階から屋根伝いに裸体で背後に湯滝の落ちている小屋脇のコンクリート造りの露天風呂へ下りて行ける仕掛けにしつらえた。日光澤から八丁(1丁=109.09m)あるところから「八丁の湯」と名づけて開業した。
   現在は、ログハウスに改築され昔の登山客に親しまれた風情はなくなってしまった。日光精銅所山岳部(現・古河電工日光山岳部)の常宿であった。


「加仁湯」
   加仁の湯は、八丁の湯から四丁上流で、付近に澤蟹が多くいたので「蟹生」と名づけたのが「加仁」となったもので、以前は岳人小屋として登山者に最も親しまれていた。現在は、改築して温泉宿風になってしまっている。
   大相撲の春日野部屋の夏合宿所にもなっていて川の縁に土俵が作られている。
   昭和30年ごろには、山椒魚を乾燥して、一連(十匹)にして孫太郎と称して小児の疳の薬として東京の黒焼屋へ出していたそうだ。


「日光澤温泉」
   日光澤は、更に四丁上流である。
   現在も、山小屋風の造りを残し、栃木県山岳連盟高校体育連盟登山部指定の宿となっている。鬼怒沼への登山口でもあり、根名草山、温泉岳から日光湯元温泉への登山道分岐でもある。
   昭和30年代には日光澤温泉では、湯の花を採取して硫黄まんじゅうを作りお土産にもくれて、自宅に戻り風呂に入れて溶解して入浴するというわけだ。
   古河電工日光山岳部の納会は、ここ数年日光澤温泉で行っていて今年(平成24年)も9名の参加者で愉快に思いで残る納会が開催された。
   すぐ近くに日光澤と日光澤の滝があるところから名が付いた。


「手白沢温泉」
   東京で洋傘屋をやっていた宮下夫妻がこの山中に住み着いて営業をしている温泉で大きな白タイル張りの風呂場があり、上流に湯澤瀑が落ちている。
   現在は近代風温泉宿に改築して、予約制となっている。数回利用したが露天風呂はプール並みの大きさがある。手白澤と手白山が近くにあるところから名がついた。
   鬼怒川源流にあるこれらの秘湯は、いずれも露天風呂で星を仰ぎながらの湯に浸れるのが特徴。含硫黄炭酸泉で野趣満々の風情が楽しめるので都会の人には人気がある。以前は、どこの露天でも混浴を楽しめたが、現在は水着や湯浴衣、時間制限の入浴となっている。(TVの影響?・・・・)


日光澤温泉を除き、「八丁の湯」と「加仁の湯」へは、送迎バスが在ります。
(記事の一部は、昭和30年6月「山と渓谷社」発刊の登山地図帳より抜粋)