大正12年、祖父が見た米国東部都市・企業の概況
川村 知一
[ワシントン抜粋]
四月十三日は三井、三菱、領事館を訪問して、三井からHills and Jones会社への紹介状を貰い、領事館にては各会社に宛てたる逓信省の嘱託技師であることの証明書を貰い受けて、四月十四日朝、Washingtonに出立致しました。
午後Washington(New Yorkより約250miles)に着、Washingtonは今や桜花の真盛り、惜しいことには十四日午後より降雪甚だしく、折角の桜花も目茶目茶になった。

翌四月十五日は日曜日、市中見物、Washingtonは申すでもないが其処は米国の首府で歴代の大統領がWhite Houseに陣取って居て、米国上下院のある所で、紐育の如き熱狂的商業地でなく、全く政治の都府であると共に、各街路の交差点にはCircleと云って因縁、由緒のある人の銅像が立てられて街路の両側には種々の樹木が植えられて其れが若芽を出して居る有様は詩と歌の国に悠適して居る思いがある。

丁度New Yorkを大阪に喩えれば、Washingtonは京都である、其故に市民も自ら紳士淑女らしく凡て言語動作丁寧にして伸び伸びした気分があって、之をNew Yorkの生馬の眼も抜き兼ねまじきYankee達と比較すると、雲泥の相違がある、僕はNew Yorkは嫌いだ、Washingtonの方が好きだ、此処に居を決めてあちこちと出張したいと思ったが、便利が悪い為め到々止めにした。

[ボルチモアCoaling Plant 見学抜粋]
四月十七日はBaltimoreに行き、有名なるCoaling Plantを見学に出かけたり、昼頃Baltimoreに着いたれども一向に方角も分からず、Coalhandling plantで徹頭徹尾押し通したら到々探し当てて、其為めTaxi代を六弗取られた。

之れは鉄道構内にあるから押強くノコノコと構内に入って行ったら守衛が居て、汝は何の為に入って来たかと云ったから、石炭を船に積み込む所を見たいから来た、と云うと先生遨然として曰く、此所は鉄道の所有であって、鉄道のSuperintendentの許可を得て来なければ入ることは許されないと云うから、其れでも僕は態々New Yorkから之れを見たい為に来たもので、之れに大変interestを持って居るのだと云ったらば、夫れなら許してやろうと云うから入って行った。

すると変手古な人足みたいな奴等がゴロゴロして居て気味が悪かったが、尚奥の方の機械のある方を目がけて行ったらば、詰所があったから其れに行って技師の人を訪ね、逓信省の名刺を出したら丁寧に案内をして呉れ、写真を撮っても良いと云うから今度は悠々と写真を撮った。
(以下5ページにわたり機械技術的描写になるので割愛します。)

[野球見物]
四月二十一日、土曜日、New YorkのYankee clubとBostonの野球仕合を見に行く、入場見物75,000人と報ず、日本の野球とは少しく段が異う様なり。

◎野球の余談
祖父は一中で、日本で始まったばかりの野球をやって、時には横浜の米国人と試合をしていた。二塁手であったが、球は手縫いで素手、スパイクは高価で、重要な試合の時だけ使用し、練習はワラジを履いた、話である。

[フィラデルフィア抜粋]
(文末に“The Declaration of Independence”のコピーあります。)
四月三十日、九時半、Philadelphia着,此所は米国第三流の都会だと云うので市街に入り込むと紐育程の賑わいはない様だが、市内何れも申し合わせた様に赤煉瓦建築で、玄関附きの白色大理石を入口に用いて居るのが目に附く。

此処は黒人の人数が他市よりも多いとのことで、何処へ行っても黒人が仲々多く働いて居る。
米国と云う国は妙な国で、州が異えば従って法律、刑罰も異うとかで、紐育の弁護士はPhiladelphiaに来ると早速だめだと云うことで、又別の弁護士を頼まなければならないと云う。
刑罰等も従って如斯くで黒白人の衝突では、黒人の私刑だのと云うことが此所では行われて居ると云うことである。(以下技術的記述は省略)

[Pittsburg抜粋]
四月三十日夜十時の汽車でPittsburgにと向かいました。
明ければ五月一日、汽車はPittsburgに着いて居った、川の沿岸四十哩に亘る工場、製作場、数限りなく建てられ絶句なり、噴き出す煙突の煙は天に流し為に天空昼尚暗く、実にPittsburg市繁栄を思わしむ。
此所には世界第一と誇るCarnegie Steel Workが堂々天下を睥睨しているかと思えば、更にJones & Laughlin会社はcorporation以外の旗頭として之れに対抗して居る。

夫で私はJones Laughlin氏の実兄Irwin Laughlinを知って居たので、前々週WashingtonでG.M.Laughlin(President)に紹介状を貰ったから、早速に午後仝氏を訪問して工場見学を申し入れると仝時に、彼の鉄塔製作で有名なるBlow Knox及びAmerican Bridgeに紹介状を貰うことにした、幸い快く受け合って呉れたものだから非常に都合が良かった。

五月二日、Laughlin製鉄所を隈なく案内して貰ったが、日本の製鉄所と大した異いはない、然し製品の分量は格段に違い、年製産高は五百万屯だと云う、日本の四五十万屯に比すれば格段の差がある。(中略)

Blow Knox Co.;
Pittsburgを去ること七哩、川流に沿った水運の便ある工場には極めて便利の位置である、敷地は約四万坪で鉄塔其他鉄工のみをやって居る。
昨年日本に来たGemullと云う技師長に会って、来意を伸べると先生喜んで自ら案内をしてくれた。
尚日本では目下鉄道電化問題に関連して鉄塔Standard Specificationを決める必要があるので、盛んに調査をして居る、夫で鉄塔に経験のある御前の説を聞きに来た、と云うと先生益々得意になり大いに説を述べた。(中略)

[Schenectady G.E.訪問]
五月二十一日、夜十一時の汽車で Schenectadyに出立しました、明ければ朝六時半、汽車はSchenectadyに着いて居った。
早速荷物を停車場にcheckして手ぶらとなって朝食を済し、G.E.に行って芝浦の岸様から紹介状を貰ったRyauと云う人に遇った、仝氏は本年一二月頃日本に来たとか云うので、芝浦の移転、石川島の移転等の事に付いて詳細知って居って、鶴見の埋立ての詳細地図を持って居った。
紹介者が岸さんであったから非常に丁寧に取り扱ってくれた。

仝工場は世界で有名なSteinmetzがいるので、普通の工場と異って何となく有難味が余計あるような感じがした。
聞く処に依るSteinmetz博士は背虫で頗る風貌は挙がらないがSchenectady至る所の労働者、職工、人民等が彼に遇う時はHatを取って、How do you do, Mr. Steinmetz?と云うそうで、又仝氏は禁煙である電車中でもSmokingは許してあるそうで、流石は世界に大偉人である丈けに皆から尊敬の意を表せられている。

芝浦の出張員、大川工学士に遇って案内を乞うた、目下米国海軍の注文を引き受けて居るので、主要工場の見学は禁じられて居って芝浦の人も禁じられて居るとの事、若し犯した者は政府からcaptureされるとの事である。(中略)

当地に着いたら電車のstrikeで市中は電車が通らずtaxiが全部市から駆り集められて10¢にて走って居った。
G.E.の工場を見て夕方Erieに出立せなければならないが汽車がSchenectadyに止まらないのが多い為めに16哩距れたAlbanyと云う所までtaxiに乗ったら普通6弗取られる処なのだが、strikeの時だものから、市からの命令で僅かに50¢で事済んだ。

[ErieのG.E.見学]
五月二十二日の晩十一時、Albanyを出る汽車に乗ってErieに行った。
翌二十三日朝六時二十分Erieに着いて早速G.E.に行って見れば、此処はSchenectadyとは全く違って何でも丁寧に見せて呉れる。
この工場ではSteam Turbine、電気機関車、及び仝付属品のみを作って居る、少しも秘密なしに良く見せて呉れた、同じG.E.でも工場が違えば斯んなに違うから訳が訳からない。

電気機関車は少なからず野心を持って居るから実に詳細を見た。
日本の四日市鉄道から8ton機関車二台注文してあった、電気機関車のmotorは何千台となく、実に数える事出来ない程沢山に作って居る。(中略)

[New Jersey Gyro-Compass社:ジュラルミン・サンプル]
米国出立前、New JerseyのSperryのGyro-Compass社の工場を見学した。
仝工場はcompass(羅針盤)のみならず飛行機をも盛んに研究して居る、飛行機に用ゆるaluminium castingは全部duraluminを用いて居る、cylinderは勿論、frame等に至る迄此金属を用いて居る。

Duraluminはcastingのみならずforgingも出来る、strengthが非常に強いとの事である、この原料は米国のNiagaraの近くのBuffaloという処のAmerican Aluminum Co.で供給して居る、少し其材料を貰って来たから分析して見れば其成分も分かるだろうと思う。

参考:アメリカ合衆国独立宣言のコピーを紹介します。(図.1)
(200~400倍位にしないと読めません。)
図.1
 
 平成25年6月20日