窪田 城
 新元号に思う
 今回「令和」が新しい元号と決まった。典拠は『万葉集』の大伴旅人による「初春の令月、気淑く風和らぐ」と聞く。確かに「令月」や「風和」と書くと「令」も「和」も美しい意味合いをもつ。
しかし、漢字というのは、同じ字でも置かれたところで全く違う意味を持つという曲者的特徴を有する。
 漢文の授業でよく引かれる例を挙げると、「端」という字は、「端然」や「端麗」の場合と「異端」や「極端」の場合とでは全く意味が違ってくる。
 「愚」という字さえも「愚直」と「愚昧」では、プラスとマイナスほどに違うイメージを与えかねない。「令和」という言葉は生まれたばかりで、意味が定まるのはこれからである。
 政府は世界に向けて“beautiful harmony”という解釈を発信しているが、本当にこの意味が世界で受け入れられるか否かは、今後の日本人の行い次第である。
 上からの「和」を統治の手段とした「明治」への回帰を図るかの如き上から目線の政治が続けば、政府は国民に「和を令する」となり、トランプ詣でが過ぎれば、隣国から米国が「和(日本)に令している」と揶揄されることにもなりかねない。
 誰がこの言葉を案出したのかは知らないが、彼は、次の世代に「美しい調和」の時代の実現を託したのであろうか、それとも一筋縄では行かない皮肉屋なのであろうか。無理な相談であることは承知で、行く末を見たいところである。