第 4 4 2 回 講 演 録

日時: 2017年02月13日(月)13:00~15:10

演題: 武蔵野東学園物語 ~日光電気精銅所に芽生えた心の教育者・北原キヨ~
講師: 学校法人 武蔵野東学園 理事長 寺田 欣司 氏

1.はじめに 武蔵野東学園のこと

ご紹介いただきました武蔵野東学園理事長の寺田でございます。

「武蔵野東学園」は東京都武蔵野市にある私立学園です。昭和39年に幼稚園を開園以来、小学校、中学校、高等専修学校を次々と開校し、さらにアメリカ・ボストンに「ボストン東スクール」を開校して今日に至っております。

学園は現在、幼・小・中・高合計1600名ほどの児童生徒を預かっておりますが、そのうちの460名ほどが自閉症または自閉傾向を持つ学習障害児です。

つまり健常児と障害児を同じ学園の中で教育しておりまして、これほどの規模で障害児を預かっている学校、そしてこのようなユニークな教育システムを持つ学校は世界広しといえどもこの学園しかありません。学園はまた「教育センター」を併設していまして、ここには630名の障害児が通っていますので、学園全体では1000名を超える障害児の教育を行っています。

2.古河電工と武蔵野東学園

(1)古河電工と学園創立者北原キヨ

学園の創立者は北原キヨです。キヨは大正14(1925)に、古河電工日光電気精銅所の技師であった父・永長念吉の三女として生まれ、自らも精銅所付属の幼稚園を卒園しています。

後年、キヨは夫・北原勝平の支援を受けて、学校法人武蔵野東学園を設立して教育活動に専念、世界の自閉症児教育界に多大の影響を与えました。本日はこの古河電工さんに縁の深い世界的教育者北原キヨの足跡をたどり、またキヨが開発した自閉症児教育についてお話をしたいと存じます。

余談になりますが、私は古河電工の孫会社である富士通に籍を置いたことがありまして、ここにおられる古河電工OBの村松正好君、そして数代前の富士通社長・黒川博昭君とは大学時代のクラス仲間です。また私の50年来の親友に近藤さんという弁護士がおりまして、彼の祖父は古河電工日光電気精銅所第六代目の所長・近藤和作さんという不思議な縁もあります。

(2)北原キヨの生い立ちと学園設立まで

北原キヨは日光電気精銅所の幼稚園を卒園後、「日光第二尋常小学校」に入学しましたが、その怜悧さは時の校長、教師たちを驚かせたようです。小学校卒業後古河日光電気精銅所の事務員となりましたが、小学校の校長だった星野理一郎先生がその才を惜しみ、自分の手元で教育しようと、キヨを小学校の事務員に採用しました。そしてこの才豊かな子を教師にと考え教員免許の取得を勧めました。キヨは星野校長の期待に応えて16歳の時に見事に試験に合格、日本最年少の小学校教師となりました。

キヨは国民学校令の公布により「日光町第二国民学校」と改称された母校の小学校で最年少教師として終戦まで教壇に立ちましたが、子どもたちに慕われ、親たちに頼りにされ、また先輩教師たちから一目も二目もおかれる存在だったそうです。

終戦後家族は東京に移り住むことになりましたが、キヨは東京でも立川の小学校教師を勤め、傍ら夜間大学に通って中、高の教員免許も取得しました。その後縁あって東京武蔵野市で鉄工所を経営する北原勝平と結婚、夫の工場経営を支えてきましたが、教育に対する情熱は止まず、夫を説得して鉄工所を閉鎖、それを幼稚園に改築し自らは幼稚園園長として再び教育の世界に戻りました。これが昭和39年のことです。

この幼稚園でキヨは初めて自閉症という障害を持つ子どもと出会いました。そして平成元年63歳の若さでこの世を去るまで、その生涯を自閉症児教育にささげたのですが、その教育活動はアメリカ政府から星条旗を贈呈される栄誉を受けるなど、偉大な功績を残しました。

ところで驚いたことに、75年前、日光町第二国民学校で永長キヨ先生の教え子だった方が、今日この会場に来ておられます。元古河電工専務の北島正和さんです。これは奇跡のような出会いです。

(北島さん発言: 私は小学校2年と3年の時、キヨ先生が16歳、17歳の時に、先生が教師になられて最初の教え子となりました。その後、三、四十年後に武蔵野東学園創立の時、学園を訪問しました。その頃のことは今も鮮明に覚えています。本日のお話しを楽しみにしております。)

3.自閉症という障害について

さてここで「自閉症」という障害について、少しお話申し上げます。

(1)わが子がおかしい

赤ちゃんのとき、あやしても笑顔を見せない。母親と目を合わせない。さらに二歳を過ぎた頃になっても言葉を発しない。同じ行動を繰り返す。他の子とは違う遊び方をする。親とのコミュニケーションが成り立たないからいつまでもしつけができない。これが幼児時代の自閉症児の特徴です。

そして二歳から二歳半くらいのころ、こうした行動を見て医師は自閉症と診断します。母親はパニックになり、自分の何がいけなかったのか、極端な例では自分または自分の両親が悪い遺伝子を持っていたのではないかとさえ考えます。外に連れ出せる年頃になっても、奇妙な行動を繰り返すわが子を見る周囲の目が恐ろしくて連れ出せない。自閉症児はどこにもいるわけではありませんから、同じ悩みを抱える親と語り合う機会もない。母親は暗闇から出られないような気になるのです。

自閉症について知識がないおじいさんおばあさんが、悩む母親の傷口に塩を擦り込むような言動をすることがあります。目に入れても痛くないかわいいわが孫が、自分にちっともなつかない、あやしても笑わない、声をかけても振り向かない、声を発しない、排便排尿の自立が出来ない、手づかみの食事、これは嫁の育て方が悪いのではないかなどと考えてしまうのです。しかし違います。こうした子どもの行動は自閉症という障害ゆえに起こるものであり、母親には何の責任もありません。

(2)高い能力と特異な行動

幼児の頃これだけ親を悩ませた自閉症児でも、障害の程度があまり重くなければ、幼稚園に入園し適切な療育を施すことで、しつけも徐々に利くようになり、親を一安心させます。ところが成長期、特に中学生年代になりますと、自閉症児の別の特異さが顕在化してきます。自閉症児には健常児には見られない、特異な能力を持った子が少なからずいて、中学生頃になってその能力がはっきり見えてくるのです。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、など五感の一部が異常発達している例が多いのです。

視覚: プロの画家がうなる色使い、難しい漢字を覚る幼児、フォトグラフィックメモリー(画像記憶)

聴覚: 生まれついて絶対音感、一度聞いた曲をピアノで弾く、駅アナウンスを暗記、一方で大きな音には異常反応する。

触覚: 皮膚感覚が鋭い、細密な切り絵、細密画、陶芸が得意。

味覚: 鋭く味わいわける。だから特定の食事にこだわる、偏食。

驚異的な計算能力: 遠い過去や未来の特定の日の曜日を瞬時に答えるカレンダーボーイ。脳波検査で曜日を記憶しているのではなく計算することが分かっている。

常識にとらわれない発想: 普通の人が思いつかないような発想をする。

完ぺき主義: 忍耐力、集中力に優れデータ入力など定型的仕事に強い。

しかし、このような能力を発揮する自閉症児であっても、人と目を合わせない、他人の存在に無関心で人と対話しないなど、社会的能力の欠如という問題は抱えたままです。他人の気持を理解しないから物言いがストレート、場の空気が読めないといった集団生活に溶け込みにくい性向が一生ついて回ります。また極めて限られた分野にしか興味を示さない、一度決めた手順を頑なに守ろうとする。同じしぐさを延々と続ける、話し相手が発した言葉をオウム返しするなど、健常者から見ると理解しがたい行動を取ることも彼らの特徴ですが、これも生涯直りません。

こうしてみるとこのような子たちには社会自立の道はないのか、という疑問がわいてくるかも知れませんが、自閉症児に見られる特徴に、純粋で、人をだますことを知らない、うそをつくことがない、人と争おうとしないがあります。自閉症児たちに共通するこの性格は、“ずる”をしたり、他人といさかいを起こしたり、サボったりする健常者より役に立つ社員になります。さらにその特異な能力が発揮できる仕事に恵まれれば、職場で一目置かれる社員にもなります。当学園を卒業していく自閉症児の50%以上が毎年企業就労を果たしていますが、彼らの職場での評判も大変良いのです。

(3)アスペルガー症候群について

ところで「アスペルガー症候群」という言葉を聞かれた方は多いと思いますが、これは自閉症の一態様です。高機能自閉症児とも呼ばれます。

アスペルガーの子は知能程度がとても高く、また集中力、持続力に優れていることが多いので、勉強が非常によく出来ます。ただ人とのコミュニケーションに難があることは普通の自閉症児と同じで、他人の気持ちを忖度することに無頓着です。ですから友だちの中で孤立しがちです。それでも学生時代まではよく勉強ができる少し変わった子で通ります。ただ社会に出て組織社会に入ると、せっかく高い知能を持ち仕事の能力も高いのに、人付き合いに関心を示さないために周囲から疎外され、サラリーマンとして失格になりやすいですね。

しかし、この子たちが他人との関わりがあまり重視されない仕事、たとえば専門職、技術職、研究職などにつきますと、持ち前の高い知能に加え、持って生まれた性格である、強い探究心、集中力、持続力を発揮して、その道で大成することもしばしば見受けられます。

アスペルガーの人たちは、自分が興味を抱いたある分野に集中するとき、常識とか通説に囚われず、他人の批判も気にしない傾向があります。ですから彼らの性向は、ユニークな理論形成や発明、発見、あるいは革新的な技術開発に適しています。

ノーベル賞級の発明発見を成し遂げた人々の多くはアスペルガーだといわれることがあります。ちなみに大物理学者ニュートンもアインシュタインも、その伝記を読む限り、間違いなくアスペルガーでしょう。IT業界の革命児マイクロソフトのビルゲイツさんは「自分はアスペルガーだ」と公言しています。うちの学園にはビルゲイツさんの、自筆サイン入りポートレートが理事長室に飾られています。当学園のことを知ったご本人が送ってこられたのです。

(4)「自閉」の言葉が生む誤解と偏見

ところで「自閉症」を「引きこもり」とか「うつ病」と混同される方がいます。「引きこもりも」も「うつ病」も、他人と関わることを極度に嫌い、自分を社会から引き離し、自分の殻に閉じこもる人々です。一方「自閉症児」は共通して社会的能力が欠如しており、他人との対話とに関心を示しません。それが自らを閉ざしている子のように受け止められ、引きこもりとかうつ病などと勘違いされるようです。

自閉症児は自分が関心を持ったことに強く執着します。自閉症児には「鉄道少年」が多く見られます。この子たちは一日中電車を眺めていたり、終日電車に乗っていることを楽しみにします。首都圏の駅名をすべて暗記したり、日本のすべての電車の型式を覚えていたり、いろいろな駅のホームのアナウンスや車内放送をすっかり暗記します。そうなんです。自閉症児は家に引きこもる子ではなく、自分が興味を持ったことに関しては、社会に向けて大きく眼を開いている子なのです。

(5)いまだ究明途上の自閉症発症の原因

さてこの不思議な障害はどうして発症するのか。遺伝的要素はほとんど見受けられない、というのが研究者のこれまでの調査研究で明らかになっています。兄弟とも自閉症児という例もあるにはありますが極めて少数で、ほとんどの自閉症の子供は健常の兄弟を持っています。

発症原因の究明に役立ちそうな現象に、自閉症の発症率は女の子より男の子の方が5倍高いという事実があります。これを大脳生理学的にみると、胎児から幼少期における脳神経細胞の形成は、男の子の方が女の子より遅いことが分かっていまして、ということは男の子の方が脳神経細胞の発達期間中に、外的な影響を受けやすいということです。

視覚が異常に発達しているある自閉症者の脳の中を見たところ、通常の人に見られないような太い視神経細胞が観察されました。常識的に考えて健常者は五感をつかさどる神経はバランスよく発達するはずです。それがその自閉症者ではそうではないのです。

ここから一部の脳神経細胞の異常発達が、他の機能をつかさどる脳神経細胞の発達を阻害していると推測されます。しかしそれがどうして社会的能力の欠如につながるかの究明は今日の脳科学でも明らかにはされていません。現時点では自閉症はじつに不思議な障害というしかありません。

つまり自閉症の発症原因は明らかではなく、当然のことながら医学的に確立された治療法も症状を改善する薬も見つかっていません。自閉症は一生治らない障害です。しかし先ほどお話しましたように、障害を持ちながらも一般企業就労を果たし、職場の仲間に暖かく受け入れられ、社会自立する自閉症者も少なからずいるのです。

4.武蔵野東学園の自閉症児教育

さてここまでは自閉症の基礎知識編です。ここからは学園はこのような多種多様な特性を持つ自閉症児をどのように教育しているかについてお話します。

(1)混合教育のはじまり

武蔵野東学園の設立は昭和39年の幼稚園開園です。その園児募集のとき5人の、どの幼稚園にも受け入れてもらえない幼児を持つ親たちが入園を希望してきました。園長の北原キヨはその5人の入園を許可しました。5人はみんな自閉症児でした。これが学園の自閉症児教育のはじまりです。

当時、自閉症児は教育困難な障害児とされ、また親のしつけの問題ともされていました。しかし、北原キヨには自閉症児教育のノウハウがなかったため、予断を持たずに5人の子どもの心のうちを覗く試みを始めました。一緒に食事し、自分の懐に抱いて添い寝しと。排便・排尿ができない子供に対しては、辛抱強く繰り返しその生活習慣付けの訓練を施しました。そしてこれを「生活療法」と名付けました。「生活療法」はコミュニケーションが成り立たない幼稚園児の自閉症児を相手に、途方もない時間をかけて、健常児であれば当たり前の「生活習慣」をくりかえし植え付ける教育法です。言葉で教え込むというよりは体に染みつかせると言った方が良いかもしれません。

ところで、東幼稚園には健常の園児がたくさんいて、その子たちの声が四六時中にぎやかに園内に響いています。他人に無関心で言葉を発しない自閉症児も、それには反応することが分かりました。そうです、自閉症児には同年代の健常のお友達からの刺激に反応するのです。

そこで北原は言葉を発しないこの子たちを、健常児と一緒にして体育や音楽の授業を行うことにしました。これが「混合教育」のはじまりです。そうしているうちにそれまで人とコミュニケーションすることを一切しなかった障害児が、教師からの働きかけに対し反応するようになりました。

当時の障害児教育の世界の考え方は、自閉症児は最も教育の難しい障害児であり、社会から引き離し、余分な刺激を与えず、真綿でくるむようにやさしく接することが大切というようなものでしたから、北原キヨの「生活療法」も「混合教育」も当時の自閉症児教育の常識とは正反対のものでした。

幼稚園開園わずか数年でその教育効果が自閉症児の親たちの耳に入るようになり、入園を希望する自閉症児が全国から殺到し、幼稚園は一気に膨れ上がりました。

しかし、幼稚園を卒園し小学校に入った自閉症児に「退行現象」が報告されるようになりました。「退行現象」は自閉症児によく見られるもので、一度身に着いた生活習慣も、環境が変わると元の木阿弥になる現象です。そして卒園児の親たちから小学校を作ってくださいの声が大きくなりました。

(2)平たんではなかった学園の道のり

北原キヨはそうした親たちの切なる願いを受け、小学校開校を目指しましたが、それは大変な事業でした。金がない。親たちは寄付活動を始め、夫の勝平は自分の財産の大半を学校に提供しました。都の認可が下り、校舎建設着工のめどが立つと、今度は「気ちがい学校を作るのか」という地域住民の心ない反対運動が始まるという始末でした。それでも昭和52年、5年に及ぶ努力が実を結び、無事開校にこぎつけることができました。学園はその後10年ほどの間に、中学校、高等専修学校と次々に開校したのですが、その背景にはいつも親たちの強い願いと支援活動がありました。

小学校を開校して数年後、学園が行う自閉症児教育の噂がハーバード大学のケーガン教授の耳に届き、ドクター・ケーガンは自分の目で確かめたいと来日、小学校を訪問しました。ケーガン教授はアメリカに戻るとさっそく武蔵野東学園の教育成果をアメリカの研究者たちに伝えました。

以来、北原キヨはアメリカのみならずヨーロッパ諸国からも招請を受けて、自閉症児教育についての講演を重ねることとなり、各国の研究者たちから大きな称賛を浴びました。ちなみにこの北原キヨの活動をアメリカ政府が高く評価し、アメリカ国会議事堂に一度掲げられた星条旗を、北原キヨに寄贈してその功績をたたえました。この星条旗は今も学園の資料室に大切に収められています。

(3)ボストン東スクールの開校

北原キヨの講演を聞いたアメリカの自閉症児の親たちの中から、直接先生の指導を受けたいと、海を渡って日本に子供を連れてくる親が続出しました。

そこで学園に「国際学級」をもうけ、青い目の自閉症児たちを受け入れることとしました。一時期30名を超える青い目の自閉症児が学園に在籍しました。

しかし彼らは英語圏の子どもたちであり、しかも会話に障害を持っています。そうした彼らを日本で教育するのはあまりにも無理があると考えた北原キヨは、かつて小学校に来校し自分の教育の意義を高く評価してくれたハーバード大学のドクター・ケーガンを頼り、アメリカに自閉症児教育専門の私立学校開校を目指しました。幸い何人もの有力者や研究者の支援も取り付けることができ、昭和62年、ボストン郊外に「ボストン東スクール」を開校することができました。現在140名ほどの自閉症児が主として寄宿制で教育を受けています。ボストン東スクールはその後「全米最優秀私立学校」として表彰されるなど、アメリカの自閉症児教育界で突出して著名な学校となりました。

北原キヨはボストン東スクール開校の二年後、病を得て惜しくも63歳でこの世を去りました。幼稚園開園からボストン東スクール開校までのほぼ四半世紀、「鬼神もこれを避く」の勢いで、全財産、全精力を傾けて自閉症児教育の発展にまい進し、自閉症児教育に多大の功績を遺した偉大な教育者だったのです。

(4)自閉症児教育の実際

武蔵野東学園の自閉症児教育は、この子たちを三歳児の段階で付属の幼稚園に受け入れるところから始まります。幼稚園の教育の基本は「生活療法」です。健常児ならば当たり前に出来る「生活習慣」を、自閉症児たちに繰り返し反復訓練し体にしみこませるように教えるのが「生活療法」です。

また10名程度を上限にしてクラスを編成し「集団教育」を行います。さらに体操やお遊戯などは、健常児と共にさせることもしばしば行います。こうした集団教育であり健常の園児との交流が、自閉症児たちがこれまで全く関心を示さなかった周囲に目を向けるきっかけとなるのです。

ではこうした環境が健常児たちにどのような影響を与えるかということですが、健常の子どもたちが自閉症の子たちを差別したり、仲間外れにしたりすることはありません。幼稚園年代の子どもはお友だちを好きか嫌いかだけで判断し、障害があるからと言って差別することもしませんし、自分たちと違う子だと言っていじめることもありません。

今日ご承知のように小学校や中学校でいじめ問題が深刻ですが、それは子どもというものは年とともに、心ない大人の言動の影響を受けて、だんだん人を差別するようになり、またいじめも起こるようになるのです。つまり小学校や中学校におけるいじめの問題は、実は学校内の問題である以前に、大人社会が作り出しているのです。自閉症児と健常児を同じ園舎で教育している当学園から見ると「いじめ問題」はそのように映ります。

自閉症児の態様は実に多種多様です。ほとんど言葉を発せず、おとなしく教師の言うことを聞いている子もいれば、まだ排便・排尿・自立が出来ていない子、食事も手づかみの子もいます。てんかん症とか食物アレルギー体質など、他の問題を抱えている子もいる、という具合で、教師たちの仕事は大変ハードですが、多くの子は「生活療法」と「集団教育」により徐々に生活習慣を身に付けます。

小学校に入りますと障害の程度に応じてですが、学習指導が始まり、教師とのかかわりが格段に濃密になり、教師や友だちと対話することを徐々に習得してゆきます。もちろん全員ではありません。重度の自閉症児の場合、他人と対話をしないという傾向は大人になっても続きます。

この時期の自閉症児教育では「体育」を重視します。健常児に比べ体力的にひ弱な子が多いこと、彼らが体を動かすことで精神的安定を得る傾向がみられるからです。ランニング訓練を多用し、一輪車乗りにも挑戦させます。三年生くらいになると多くの自閉症児が一輪車を操れるようになります。

武蔵野東小学校の教室は、健常児クラスと自閉症児クラスが隣合わせに配置されています。ですから休み時間には健常児と自閉症児が廊下で一緒に遊ぶなどという光景が日常的に見られ、自閉症児たちはこうした交流を通じて社会的能力をつけてゆくのです。

一方、健常児たちは日ごろから自閉症児たちと濃密に接触し、自閉症児の存在を空気のように感じていますから、偏見を持ったり、いじめるなどは一切なく、自閉症児を自分たちの仲間として扱い交流します。これが学園の特徴である「混合教育」で、自閉症児の成長に好影響を与える一方で、障害ある友だちを分け隔てしない健常児たちには、生きた福祉の心が育まれるという効果があります。

さて彼らが中学生年代になりますと、先ほどお話したような自閉症児の「能力」が見えてきます。「高機能自閉症児」や「中程度の自閉症児」の中には、視覚、聴覚など一部の五感が鋭敏で特異な能力を発揮する子が少なからずいます。

視覚が発達している子には突出した映像記憶力があり、一度見たものを映像のように記憶して忘れません。特異な色彩感覚を持ち絵画に才能を発揮する子がいます。聴覚が発達している子には絶対音階の持ち主がいます。触覚が鋭敏な子は、被服、工作、陶芸、細密な切り絵などが得意です。英語とか数学など特定の学科に限ってですが、優れた学習能力を発揮する生徒もいます。

こうした個々の自閉症児が持つ能力を見極めて、その特性に応じて、通常の学習と平行し、絵画、陶芸、被服、器楽、コンピュータ、手芸、クラフトなど、将来の社会自立、つまり就労ですね、それを見据えた訓練を施します。

中学生年代の健常児は、教師に言われるまでもなく積極的に自閉症児を手助けし、また彼らとの交流から貴重な刺激も受けます。特定の学科に限れば健常児である自分よりはるかに勉強が出来る障害児がいる。自閉症児たちは共通して集中力、持続力そして忍耐力がすごい。自閉症児たちのほとんどは学校を休まない。健常児たちにとってこれは大きな刺激です。

ちなみに武蔵野東中学校の健常児の卒業生は、ほぼ全員外部の高校を受験しますが、その合格実績にはすごいものがあります。毎年超難関高、偏差値が高い高校に多くの生徒が合格します。その裏にはこのような自閉症児たちから知らず知らずのうちに受ける刺激があると私は見ています。

また「混合教育」をしている学校にわが子を入学させる親御さんは、これこそわが子の健全な成長を促してくれる教育環境だ、と考えます。そうした親御さんに育てられた子どもさんたちはいい子、資質の高い子であることが多いですね。おかげで当学園はとても雰囲気のよい学校です。

(5)教育センターの開設

平成16年「教育センター」を開設しました。武蔵野東学園は「自閉症児の東大」といわれるほど自閉症児にとって入学が難しい学校となっています。そこで、これを何とかできないものかと考えたのが教育センターの開設です。学園内で行われている自閉症児教育を、教育センターが行う教育プログラムを通じて学園外の自閉症児や自閉的傾向を持つ児童生徒の教育を行うという試みです。

開所以来早10年が経過しましたが、現在教育センターに通う自閉症児をはじめとする発達障害児の数は630名を超えます。学園に在籍する障害児が460名なのでそれよりも多いのです。しかも年々その数が増えています。

教育センターに通う子供たちは、通常は普通の学校に通い、週一回、二回と決めてセンターで教育を受けます。障害児を持つ保護者間で大変好評で、春、夏、冬の長期休暇期間に開く集中プログラムには、全国各地から参加者が集まり盛況です。教育センターでは保護者教育にも力を入れています。子どもは学校よりも家庭で圧倒的に長い時間を過ごします。どんなに学校が良い教育をしたとしても、家庭教育がしっかりしていなければ、子どもの健全な成長は期待できません。特に自閉症児の場合は特別な家庭教育、また家庭環境つくりが必要です。学園に在籍する自閉症児の親に対して行っているのと同じ「保護者教育」も教育センターの重要な機能です。

5.武蔵野東学園のもう一つの顔

(1)武蔵野東高等専修学校について

ここまで当学園の自閉症児教育について、幼、小、中、そして教育センターと順を追ってお話してきましたが、武蔵野東学園の自閉症児教育の最終課程は「高等専修学校」です。この学校では「混合教育」が別の機能を果たしています。つまり武蔵野東高等専修学校には、武蔵野東学園の別の顔が見えます。ここからはそれについてお話いたします。

高等専修学校は自閉症児の社会自立を支援する職業訓練学校として開校したものですが、いま在校生の半数は健常児です。健常児といっても、障害児を教育する学校に入学してくるような健常児は、何らかの問題を抱えている生徒、具体的には中学時代不登校だった、引きこもり、友達からいじめを受けて苦しんだ生徒、問題を起して補導された生徒、高校に進学したものの不適合を起して高校を中退した生徒たちなど、心に何らかの傷を持つ生徒たちです。

このような生徒たちが、自閉症児と同じ学校で生活すると、何が起こるか。こうした生徒たちに共通することは、自分の居所が分からなくなり、自分の明日が見えないということです。そんな生徒が高等専修学校に入って、初めて自閉症児という存在を知るわけです。

自閉症児は共通して、嘘がつけない、他人をだますことも意地悪するとも出来ない、人をねたむことも、差別すること考えない、天使のような実に純粋無垢の人たちです。健常の生徒は高等専修学校に入って、今まで自分の周囲にいた仲間とはまったく違う友だちを見つけるのです。これまで常に周囲の目を気にして仲間との交流を避け、世の中にすねてきた自分にはっと気がつきます。そして純粋無垢な仲間、自閉症児たちに近づき、彼らの純粋さに触れて自分の心を開いていきます。

高等専修学校には「バディ」と言う仕組みがあります。バディとは日本語で「相棒」のことで、健常児と自閉症児が相棒を組んで一緒に学園生活を過ごすのです。健常児は実にけなげに自閉症児の相棒の世話を焼きます。自閉症児は一度自分で決めたことを飽きることなく、延々と続ける傾向がありますから、ほとんど学校を休みません。中学校時代不登校だった健常児の相棒はそれに釣られて休みません。卒業時になって気がつくと三年間皆勤していたという例がいくらも見られます。

一時は自分を見失っていた健常児たちが、こうして大学や専門学校への進学、あるいは就職と全員が進路を決めて卒業していきます。彼らの中には早稲田、慶応など一流大学に合格する生徒もいます。卒業生にニートはいません。高等専修学校は自閉症児の職業訓練校として発足したのですが、いまや心に傷を持つ生徒のためのサポート校にもなりました。「混合教育」の成果です。

さて、今日は武蔵野東高等専修学校の学校紹介ビデオを持参しました。ここまでお話してきましたことを映像でご確認いただきたいと存じます。

(2)DVD放映(約20分)

(3)生徒の就労支援とアフターケア

高等専修学校は非常に緻密な進路指導を行い、手厚い就労支援体制を引いています。健常児、自閉症児を問わず全員が進路を確定して卒業していきます。

自閉症児たちは中学時代からの継続で、さまざまな分野で職業訓練を受けます。通勤の方法、ネクタイの結び方、挨拶、電話の受けかた、上司に対する接し方など就労に必要なこまごまとしたスキルもまた教師から教わります。そして教師の就職指導を受けて企業就労を果たすのです。

これまで当学園の高等専修学校卒業生は、開校以来自閉症児の一般企業就労率は開校以来50%を下回ったことはありません。日本のどの障害者就労支援機関にも例のない、驚異的な企業就労率を維持しているのです。これは、高等専修学校が授産施設として機能していることと、教師たちが就労先の開拓に奔走し、在学中からインターンシップにより就労見込み先での研修を行い、また就労後も企業との緊密な連携を取っているからです。

自閉症児の場合就労後職場で問題を起こすことが時折あります。こうしたとき、教師たちは企業に対策を依頼し、また、必要な時にはその卒業生を引き取り、別の就職先をあっせんします。

また学園は友愛寮という名の企業就労を果たした自閉症児のための通勤寮を持ち、現在40名がこの寮に寝泊まりしています。多くの自閉症者は企業就労を果たしても、親が手元に置きたがるため家族との生活から離れて自活するチャンスが少ない。これでは親亡き後の生活自立がおぼつかない。そこでこうした寮をもうけ、ウイークデーはこの寮に寝泊まりし、週末は家に帰って家族と過ごす、これが自閉症者の生活自立の道をつけるのです。

6.自閉症者と社会のかかわり

(1)手厚さを増す国の支援

自閉症という障害は社会的能力の欠如で、一生治らないとさきほど申し上げました。では彼らは社会自立できないのか、ということになりますが、ここまでのお話でお分かりのように、そうではありません。武蔵野東高等専修学校を卒業する自閉症児の半数以上が毎年一般企業に就労します。

その背景にはわが国の障害者行政の充実があります。平成17年に「発達障害者支援法」を制定し、障害者が社会に適合できないのは、本人の障害によるものではなく、周囲の理解や配慮の問題だという画期的な考え方が示されました。平成23年には全ての障害者を対象に、障害者差別解消法が制定。教育、雇用など障害者のあらゆるライフステージで障害者を支援し、彼らへの偏見差別をなくすという法的な枠組みができました。

数年前障害者の法定雇用率が引き上げられ、50人以上の従業員を雇う会社は、その2%以上の障害者を雇用する義務を課しました。従業員が200人以上の会社の場合には、法定雇用率を下回ると人数に応じて国への納付金支払義務が生じます。法定雇用率充足への努力が認められない会社は、国が会社の名前を公表することもできます。一方で法定充足率を超える企業に対しては、報奨金、助成金などを交付しています。

一般大企業の場合、会社業務の中の一部門を切り分けて専業子会社を設けることが多く、企業がその子会社で障害者を雇用した場合、その数を親会社の障害者雇用数に算入できるという特例子会社制度が認められています。国は健常者と障害者が共生できる社会の実現に向けて様々な施策を打っており、障害者の就労機会は着実に増加しています。

今日障害者雇用はこのように国と企業とが協力しながら推進する仕組みができているのです。こうした動きは「自閉症者」に取って大きな福音です。彼らの特性を理解する人々が以前とは様変わりに増え、自閉症者に対する理解が進み積極的に雇用する企業も少なくありません。

(2)一般企業就労を果たす自閉症児たち

自閉症児は高齢者介護施設、清掃などメンテナンスの仕事、定型的な仕事を黙々とこなすのが得意です。雑念がない。きっちりと手順を守る。陰日なたがない。休まない。企業筋からはこうした自閉症児の特性が職場を明るくすると評価する企業も多いのです。自閉症者の特性を理解した企業筋は、継続的に自閉症者を採用してくれています。自閉症児の卒業生の就職先その主な先は

東大(園芸、施設管理清掃、データ入力): 15

なるみや(子供服の在庫管理): 14

パソナ(ノベルティーグッズの製作): 23

ベネッセスタイルケア(高齢者施設、保育園): 13

今申し上げた企業は雇ってみると自社の役に立つことが分かり、自閉症者の特性を生かせる仕事を開発してそこに自閉症児を配置します。好循環が生まれるのですね。

自閉症者を採用してよかった/ 失敗だった

期待過剰: 一つの手順を教えれば一心不乱に仕事、勤勉、正確、陰日向がない。熱が出ても休まない。大きな声で挨拶。職場が明るくなる。職場の上司はこれを見てその能力に期待を持ち、仕事の幅を広げようと考えがちです。でも一度に複数の仕事はできません。一つ一つ手順を追い、一つ片づけたら次の仕事、というのが彼らの得意とするところです。

管理職登用: 管理職は人使い仕事、部下の反応から部下の心を読まなければならない。自閉症者はそれが最も苦手です。平社員として有能でも管理職になった瞬間に、自分はどう行動してよいのかが分からず混乱します。管理職登用は避け、特定の分野に特化して仕事をしてもらうのが適切です。彼らは自己完結的な仕事で力を発揮します。

7.自閉症者と社会のかかわり終わりに

さて私の持ち時間もなくなってきましたので、ここでまとめに入ります。

当学園の「自閉症児の就労」による社会自立に向けた教育は一応の成果を上げているといえるでしょう。しかし自閉症者はうそがつけず、人を疑うことを知りません。親の存命中は親がそれをカバーしても、いずれ親は死にます。その後は親の遺した財産も管理しなくてはなりません。

当学園の二代目理事長は日本の障害児教育の泰斗、故安部歳夫先生で、その先生の口癖は、「障害児教育は悪人との戦いである」でした。障害児を抱えて藁をもすがる思いの親をだます悪人、悪意を持って障害者を雇用し搾取する悪人、言葉巧みに障害者に近づいて財産を詐取する人々。悲しいことですが、社会的弱者を食い物にする悪人がこの世から絶えることはありません。

障害者を悪人から守る方法は一つしかありません。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、障害を理解する善意の人々で取り囲むことです。しかし自閉症という障害は、健常者にとって非常に理解しにくい障害です。健常者にはあまり見られない高い能力を持っている一方、外見だけでは障害者に見えません。これが健常者の自閉症者理解を妨げていることは否めません。一生治らないコミュニケーション障害があって、他人の気持ちを忖度できずストレートな物言いをし、奇妙な受け答えをして健常者を戸惑わせる彼ら。しかし彼らと接したとき、彼らが生涯失うことの無い純粋さに心を打たれ、俗塵にまみれ、いつしか彼らの持つ純粋さを失った自分に気が付くことがあると思います。

本日私の話を皆様はどう受け止められたでしょうか。いつまでも純粋さを失わない彼らのことを。皆さまが本日の私の話を聞き、自閉症という不思議な障害への理解が少しでも深まったとすれば、望外の幸せに思います。ご清聴ありがとうございました。

Q & A

Q1:混合教育で健常児と障害児の比率を2:1にされている理由は?

A1:この2:1の比率は特定の理論に基づいて決めているものではありません。当学園の50年の混合教育の実践過程から得られた経験則によるものです。教育に必要なのは技術と実践で、理論は要りません。私は教育理論を振り回す教育者はあまり信用しません。日本の教育行政は理論先行で行なわれているように思います。ゆとり教育がその典型です。怠惰な教師が喜んだだけです。

Q2:この学園の入学金・授業料はどの程度かかりますか?

A2:授業料は年間百万円(*)程度で、現在の東京の私立中学の平均より少し下かと思いますが高いですね。学園の性格上生徒一人当たりの教師の数が普通の学校より多いため人件費がかさみまして。(*この金額は純粋の年額授業料40万円に、教材費、冷暖房費、特別講習費、合宿訓練費、修学旅行費などに加え、入学時に払う「入学金と施設維持費」の3分の1を加算すると、中学校の場合、1年次平均で約百万円になると計算したものです)

Q3:自閉症で産まれてくる子供は全体の何%程度ですか?

A3:自閉症の発症率については現在議論を呼んでいて、かつては千人に一人と言われていましたが、それがいつしか五百人に一人といわれるようになりました。海外では百人に一人という説もあります。自閉的傾向を持つ学習障害児を含めると三百人に一人ともいわれています。自閉症はもともと発症の態様が多様で明確に定義することが難しいので、現在は単に「自閉症」ではなく「自閉症スペクトラム」と呼ぶようになり、「少しおかしい」程度の軽度のものから重度の障害まで、広範囲な症状を包含するようになりました。その意味でこの質問に正確に答えることはできませんが、五百人に一人程度としておけば当たらずとも遠からずでしょう。皆さんのお身内などに自閉症の疑いがある子がいましたら、診断の専門家がいつでも相談に応じますので、当学園の教育センターにご連絡下さい(相談料は5千円/時間程度)。

Q4:武蔵野東学園のような混合教育を行なっている学校は全国で他にありますか?

A4:武蔵野東学園のような混合教育を行なう教育施設は、日本国内だけではなく世界中でここにしかありません。当学園は50年の歴史があるので障害児が全国から集まってきますが、新たな施設で適切な数の障害児を集めることは困難と思います。海外では当園を卒業した教師がお手伝いをして、ブラジル・サンパウロに障害児教育施設が作られたと聞いていますが。

Q5:私は斬絵七宝作家ですが、カルチャー教室などで切り絵を教えています。武蔵野東学園で、触覚に優れ、細密な切り絵などを得意とする自閉症児に切り絵を教えることができるでしょうか? ある教室で登校拒否の小学生に切り絵絵手紙を教えたところ、素晴らしい作品を作ったので、褒めてやったら、その子が学校に行く意欲を見せたという経験をしました。

A5:当園ではそのようなご支援は大変助かります。あなたのような篤志家は大歓迎です。

(記録:井上邦信)