「楽しみを持って、憂いを忘れる」
香川県多度津町在住  大谷 雅昭   
  66歳半ばで中国から帰国をして、田舎に住み既に5年が過ぎました。50年近く都会及び海外で生活した人間にとっては、既に地縁、人縁もなく、まるで異邦人になったような気持ちでした。また大都市に比較をして、生活の環境、諸施設、文化、開放的な人間関係とは大きな格差があり、やはり故郷は遠くにありて、思うものかと悩むことも幾度かありました。また地域の草刈等の作業に参加をすれば虫にかまれて顔中を腫らし何度か医者通いもし、体質まで都会化をしたのかと周りの人々に対して劣等感も持ちました。
 そのうちに、こんな状況で座して死を待つより、何か自分で出来ることをしなければと決心をしました。
  今までの経験を生かして、自分で出来ることは仕事として関係をしてきた英語及び中国語で何かの資格を取ろうと決めました。
  年を取り、目を悪くなってきており、記憶力も衰え集中力の日々低下する、マルチマイナス条件の中での挑戦となりました。
  結論から言いますと、68歳で英語の通訳案内士の資格を取りました。(これには英語以外に日本語での地理、歴史、政治経済の3科目の試験もあります)。
  71歳で中国語の新HSK6級(最高級を取りました)。HSKは中国の文部科学省に相当する教育部が認定している中国語の検定試験です。(従来は1−11級まで細分化されていましたが、2010年に新HSKの名称で1−6級に再編成されています。いずれも数字の多いほうが、日本と逆で高いクラスになります)。
  地方県ではこれらの資格をとっても、実際は使うことは非常に少ないです、見方によれば自己満足の徒労だったかも知れません。しかし田園の中に埋没することなく、仕事を通じて学んできたことを、一つの形で表現が出来たことは良かったと思っています。
  このマルチマイナス条件の中で継続を堅持できた刺激を与えて下さった方としてあかがね会会員の御両人を紹介します。


  松村徹氏  既に80歳を超えておられますが、俳句に画作に矍鑠として精進をされています。現松山大学の前身の松山高等学校の同級生と句会を持ち、幹事をされ、また有名な俳句雑誌に投稿をされ常に入選をされております。
  そして定期的にこれらの句作を送っていただき、その精進する姿で間接的に教導をして頂いています。「ルーペにて歳時記探る文化の日」の句作もあります。
  年をとってもみずみずしい感性を失わないその精進に力を得ました。


  川添裕明氏  帰国をしてすぐに彼と四国遍路の歩き遍路を一緒に始めました。私は徳島の 18番寺までは回りましたかが、そこで挫折をしました。
   川添氏はその後も休みを利用しては、東京から夜行バスに乗り、着くとすぐに歩き始めるスタイルで、とうとう5年間かけて四国は八十八箇所を踏破、満願成就を果たしました。「団塊おじさんヘロヘロ遍路漫遊記:四国巡礼5年間の記録」のタイトルで自費出版をしています。非常に貴重なユニークな本です。
 川添氏はこの5年間、区切り遍路が終わる毎に、その記録を送ってくれました。18番寺で挫折をした私は、記録を読むたびに、負の意識から、せめて自分の目指している目標を達成しなければならないと、刺激を受けました。
 

  御両氏には改めて感謝をするとともに、お互いの切磋琢磨も大切だと痛感しております。


TIME誌の件
  今回の東日本の震災、津波、原発の事故は日本人に大きな衝撃を与えたと思います。15年前に阪神大震災を体験した、私としてはトラウマ的なショックを再び受けました。同時にあの時、災害を冷静に受け止め、政府の対応の悪さにもかかわらず、人々は畳を持ち出して、薬の散乱している病院に怪我人を担ぎ込み、また窓ガラスが壊れているコンビニでも開店まで行列をして、水、食料を買う人々、必死でボランテアをする若者の姿が思い出されました。
 混迷しているし政局がテレビで放映されていますが、外国の記事は日本人のResilience(回復力、弾力)に賞賛を送って入るほうが多いと思いました。
  TIME(7月25日)に本当に簡単ですが:「今回の震災、災害を経過する事によって、日本は再び新生し、再び活力を取り戻し、更に効率の良い国なると、確信をしていると」非常に短い文章で恥ずかしいですが、気持ちを述べそれが読者欄に載っています。


  いろいろと自己中心にした書き方をして申し訳もありませんでした。
  今後は書を捨て町に出ようと思いましたが、回りは水田が多いです。
  これからは少しでも天地の経が読めるようになれないかと思っています。
  四国は地方県ですが、本州と3本の橋で結ばれており、瀬戸内海という、美しい内海と太平洋に囲まれ、八十八箇所巡礼のあるhealing island(癒しの島)とも言えるかも知れません、実力は本当にたいした物ではありませんが、できればこの少ない実力の範囲内で、英語、中国語を使って世界に発信をしてゆきたいと思っています。そして孔子の「楽しみ持って憂いを忘れ、老いの将に至らんとするのを忘れる」をモットーにやって行きたいと思っています。
  以上簡単ですが近況の報告といたしました。

                                                                                       以上 
2011年8月1日