日光たより(400号):東照宮秋季大祭(東照宮神輿渡御行列)より
 日光・玄梅正明 
こんにちは

≪この度の台風19号で甚大な被害を受けた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。≫

平成20年からはじめた「日光たより」も今回で400号に達することができました。毎号、皆様のご愛読に感謝申し上げます。

17日、快晴の秋晴れの下、日光市山内の表参道で東照宮秋季大祭・神輿渡御祭・御旅所祭が行われた。日光たより400号は、記念号として東照宮の祭事を発信します。
また、祭事所役53種の内、画像にできた数種を行列の解説を添えて発信します。

今から約400年前の元和二年(1616年)四月十七日に亡くなられた徳川家康を静岡県の久能山から日光へ改葬した際の「遷御の行列」を再現した神事で、秋季大祭は江戸時代から臨時祭として斎行され、五月の春季例大祭に比べて規模はやや縮小・簡素化されている面もあるが、ハイライトの「百物揃千人武者行列」には参道を埋めた観光客は、豪華絢爛な時代絵巻を堪能した。

行列に供奉(ぐぶ)する産子(うぶこ)の日光市民は約800名ほどで春の例大祭より400名少ない。祭りの所役は春・秋とも53種におよび、「御旅所」までの約1㌔を渡御行列、午後の還御行列が厳かに練り歩いた。いつものことながらご奉仕する人々の顔は皆誇らしげだ。
先頭をきって産子会幹事長、同幹事長、日光市長が騎馬で進み、後に53種の取りものや装束を着用した威風堂々の行列がつづく。

・行列先導(写真は毎日新聞提供)・・各行列の先導は、産子会幹事や各町内の世話人が務める。(中央は本人)
・先導の後の鉄砲持ち・・緋羅紗の袋に入った火縄の付いた鉄砲を担ぎ大小の二刀を差し法被股引姿(はっぴももひきすがた)。
・鎧武者・・行列で一際目を引く、緋縅(ひおどし)の鎧・楯を前に立てた兜はすべて金色。現在の価値で一領が500万と言われる。
・稚児行列・・子供12名(幼稚園児から小学4年生くらいまで)花瓔珞(ハナヨウラク)に、ね・うし・とらなどの干支(十二支)を表すものを頭につける。
・掛面・・キツネ・おかめ・赤鬼・青鬼など妖怪変化のお面は日光山に住む諸々の化け物が東照宮の神様に敬意を表す形と言われる。
 赤い帽子や袖なしは緋ラシャ、またはお猿の猩々緋などと言って徳川時代には外国から輸入された非常に高価な布地である。
・御さし羽(御翳)・・ウチワの大きなものを「サシハ」と言って長さ八尺(2m40cm)で、お神輿の上に差し掛けるもの
・斎鉾(いみほこ)と祭旗(さいき)・・三種の神器の御鉾ともいわれ第一の鉾が宝剣で、第二が日輪、第三が月輪で高さは4mある。祭りを表す旗。
・三品立七十五膳(さんぼんだてななじゅうごぜん)・・久能山に見立てられた御旅所に到着して行われる神事で、神前に海の幸・山の幸・野の幸の神饌が供えられ、日頃の感謝と祈念の祝詞が宮司より奏上される。
 神饌を供える役の人は、神饌に息がかからないよう白いマスクをするのが習わし。
・雅楽奏者と「東遊び」・・「主役」の神輿が安置された御本殿前の石舞台では舞人4人が雅楽の音色に合わせ「東遊び」を奉奏して神慮を慰める。この舞は、静岡県の久能山近くの村ではじめられたとも言われ、春季は「駿河の舞」を、秋季は片袖を抜いた「求子の舞」が、奉奏される。
 春季、秋季のみに「野外ステージ」の周りにて、日本の古典芸能の歌や踊りが堪能できるのでぜひ一度は観賞をお勧めしたい。
・還御の御本社神輿と宮司・・由緒ある神事が終わると、神輿渡御は御旅所を発御して同じコースを戻り東照宮に還御する。
春季例大祭は、御祭神の徳川家康公をはじめ配祀神の豊臣秀吉公と同源頼朝公の計三基の神輿がそろって出御するが秋季は、家康公の神輿だけが巡行する。神輿の後には騎馬の稲葉宮司が着列する。

長文となってしまったことお許しください。
今後も「日光たより」の発信をできる限り続けていきたいと考えていますが、皆様からのご意見等ございましたら是非ご連絡お願いいたします。


日光の史跡・自然と山を愛し楽しむ \0/ヤッホー 玄梅デース
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2019年10月19日