成田さくら山公園(桜と航空機)など
川村 知一
 はじめに
4月3日(火)成田さくら山公園に出かけた。
先日、JRの改札口に置いてあったパンフの一つに、“桜と航空機が楽しめる公園”、とあり興味を持った。

ネットでは3月28日が満開情報、事情で遅れて4月3日AM9:30出発、常磐道→圏央道経由、途中守谷SAでブランチ、正午現地到着、やはり2日ほど遅くソメイヨシノは花吹雪状態、桜と航空機との撮影には少々残念であった。

園内はシダレザクラが満開で、家族連れがのんびり花見、時折飛来する旅客機の着陸を見物、撮影していた。

カメラはニコンDf+レンズはタムロン28-300㎜とニコン単焦点180㎜2.8(最近購入)の2本であった。

 写 真
1.UNITED(ニコン180㎜)

写真1.

写真2.

写真3.

写真4.

2.FedEx(ニコン180㎜)

写真5.

写真6.

写真7.

写真8.

3.Korean Air:最近稀なB747ジャンボ(ニコン180㎜)

写真9.

写真10.

写真11.

写真12.

4.Singapore Air(ニコン180㎜)
 
写真13.

 写真14.
 
写真15.

 写真16.

5.周辺(17,18はタムロン28-300㎜、19,20はニコン180㎜) 
 
 
写真17.

 写真18.

写真19.園内の桜 

写真20.記念写真 
 余談:B747(ジャンボジェット)の思い出
近年B747の姿を見る機会が少なくなったが、今回Korean Air が飛来、離陸して行ったのが印象的であった。

B747が登場したのは昭和45年(1970年)頃、当時はコンコルドなどSST が主流になるかと思われたが、大量輸送のジャンボになった。

昭和46年(1971年)の年末年始、深夜のラジオ番組ジェトストリ~ム、138,000円のうたい文句に誘われて独身貴族?(月給6万円程度)の私はJALのB747に搭乗して初のハワイに行った。
当時の日本はまだ昔の風習が強く、正月は実家に集合するような時代、来客を煩わしく思う人々が海外逃避行を始めた頃で、旅行代金は平常並ないしヨーロッパなどは安かった。

ワイキキの大晦日はホテル上階から大量の爆竹が投げられて物凄い騒音、路上は危険で歩けない、一時期禁止になったが、また復活したと聞く。

1979年、米、伊、日3国が共同開発していたB757、767の量産が決定され、YS11 の後継機YXX共同開発の話もあり、CIの世話でアルミ関連の情報収集方々ボーイングを訪れるメンバー7人の1人になり、アーバン、エバレット、ポートランド3工場を訪問、見学した。

応対の総務課長が開口一番「B29のBはボーイングでなくボンバー(爆撃機)のB」の発言、日本人相手には常に言うのかな?であった。
大工場ではB747が5,6機バッチ生産されていてリベット打ちの大騒音、法令で耳栓、「10万点にも及ぶ部品の納期管理、作業者の出勤率に苦労」と総務課長の言であった。
    平成30年4月9日最終版