はじめに
千鳥ヶ淵のサクラの時期、ボートに乗って見物した経験は2回、午前10時頃と午後4時ころの日中であった。
3月30日(金)、午後6時過ぎのライトアップを目指して車で出かけた。
行程
用事があった妻を中野駅で拾って日比谷公園地下駐車場に向かった。
天気予報は前日の温かさから一転、夕刻には10℃を下回る予報で、冬物の防寒着を用意していたが外れて比較的温暖であった。
日比谷に到着したのが午後2時15分、時間調整のため「松本楼」のテラス席にて遅い昼食。
のんびり公園内を歩くと桜の木々の下では家族連れが小規模な宴会、一角にはチューリップの花が満開であった。(写真1)
日比谷交差点から新緑のお濠を眺めながら桜田門、三宅坂、半蔵門を散策。(写真2,3,4)
半蔵門を過ぎた所に石碑が、何と私の出身都立九段高校の前身「東京市立第一中学校発祥の地」があり驚かされた。(写真5:現在は千代田区立の中高一貫校に)
歩き始めて3㎞位であろうか、ようやく千鳥ヶ淵の満開のサクラが視界に入ってきた。(写真6,)
ボート乗り場の列には100人位、最後尾には立札を持った係がいた、周りを見ると日本人は30%、西欧人10%、残り60%の半分は中国以外のアジア系で驚かされた。
幸い待ち時間は45分程度で、午後5時50分に乗船(1時間1,600円)。まだ薄暮であったが午後6時に照明が入った。
当日は月齢が満月近い14日、月とライトアップされた満開のサクラ、花筏が漂うお濠でボートを漕いだ。
余談;
ボート乗り場の列に並んでいる時、M新聞の女性記者からインタビューを受けた。
「私が高校生の頃、体育の授業で皇居一周、当時(昭和30年初め)千鳥ヶ淵の桜はようやく認知され始めた頃で、幹の太さは15㎝位、都心は空襲で焼け野原、戦後植樹されたので、サクラの樹齢は70年位」。 |