紅葉の戸定邸
川村 知一
 はじめに
12月3日(日)、紅葉を期待して松戸にある戸定邸を訪れた。
日曜日とあって無料駐車場はほぼ満車、戸定邸は10回ほど訪れているが、今回初めてボランティアの館
内説明を小一時間ほどフルに聞いてみた(いつもは傍で断片的に)。 写真はクリックで拡大

写真1.戸定邸の案内板

写真2.重文の認定書
戸定邸は130年前の建築で、武家の質素なデザインであるが、全体的に高価な素材が使われ、例えば柱 には杉の正目が使用されて狂いが無く長寿命である。

明治になって建てられたので、葵の御紋は略式のデザインにする謙虚さである。
元々水戸徳川は尊王思想で15代将軍慶喜は大政奉還を素直に受け入れた説明であった。
また鳥羽伏見の戦いでは、総大将であった慶喜は部下を置いて早々に江戸に戻ってしまい、国内の混乱 に乗じて、日本が欧米の植民地になることを懸念していた、とも。

昭武は将軍の名代としてパリ万博に派遣されたが、1年で新政府から帰国を命じられた。
昭武はナポレオン3世の皇太子とも親しい間柄で、新政府は幕府がフランスと手を組むことを懸念した 可能性も、とか。

写真3.
建屋の南側一部

写真4.日本最初の和洋折衷の庭

写真5.
杉の正目の柱

写真6.
中庭
昭武は実母(斉昭の側室)のために離れ座敷「秋庭の間」を作り、欄間には実家の紋「雀と竹」をあしらい、気の使いようがあれこれ見られる。

写真7.
「秋庭の間」の説明

写真8.欄間
(雀の羽ばたき)と竹

写真9.
丸窓

写真10.大正時代の
ガラス(凸凹)
建屋を出て梅園に向かうと、紅葉、白い山茶花、コバザクラが見られた。
 
写真11.歴史博物館
 
写真12.紅葉

写真13.山茶花白 

写真14.コバザクラ 
 
写真15.記念写真
    平成29年12月7日