日精会たよりNo.154を読んで→八方尾根の雷鳥
川村 知一
 はじめに
“日精会たより”は日光地方の情報源として毎号読ませていただいております。
No.154号では和楽祭と「いきいき部活」歩こうかい部の白馬八方尾根自然研究路が目に留まりました。
8月24日(水)AM5:00出発、11号台風一過と遅れて来た10号の合間に白馬八方尾根に行かれたそうです。
集合写真アルペンリフト「うさぎ平駅」では皆さんの若々しく楽しそうな姿が印象的でした。
今回の登山では霧に視界を阻まれて登頂を断念、霧間から五竜岳、白馬三山など素晴らしい景色が垣間見えた、とありました。

 八方尾根第一ケルン付近の雷鳥(半世紀ほど前の写真)
白馬八方尾根自然研究路とありますので、私が半世紀ほど昔、八方尾根の第一ケルン付近で雷鳥を撮った、モノクロ写真を紹介したいと思います。(カメラはオリンパスワイド35㎜)

5月のゴールデンウィーク、当時のスキーリフトは、うさぎ平→黒菱平まで。黒菱から徒歩で第一ケルン付近まで上りましたが、その先は雪が深いので諦めました。
快晴で付近には山岳テントが数張、白馬三山、唐松岳、五竜の全容が見えました。時折「ゴー」という雪崩の音が響き、傍らのブッシュ付近では雷鳥がのんびり動き回っていました。
当時のうさぎ平はリフト小屋だけでしたので、写真にある現在の巨大なうさぎ平駅を見ると、時代の差を感じます。
写真1.ブッシュの右端に雷鳥

 
 写真2.白馬三山

 
 写真3.唐松岳&右に山岳テント

 
 写真4.黒菱ゲレンデ

  大学時代の八方尾根スキー
私は大学時代(昭和36~40年)にスキー同好会に所属して、八方尾根は2回(1週間×2)行きましたが、舞い上がる雪煙を引いて滑り、素晴らしいゲレンデでした。
民宿は1泊850円で3食付(物価は現在の1/10)、朝飯はご飯に味噌汁のみで、傍らに吊り下げられた一袋5円のノリタマを買い、昼は弁当で竹の皮に包んだおにぎり2個、缶飲料など無い時代、飲み物はヒュッテでタダのお茶でした。
寝床は2段ベッドで暖房無し、各自にタドンあんかが配られ、防寒着を着て、アノラックの頭巾を被って寝ました。(当時、八方近辺には温泉が無かったのが唯一の不満でした)
約50日間の春休み、15~20日間はスキー場で過ごしましたが、東京でブラブラ過ごすより安上がりの感じでした。
 
 写真5.ヒュッテでタダのお茶
 平成28年10月23日