八百長はあるのか?・・・・・有る
私は小学生の頃、大相撲の放送が始まるとラジオ(その頃当然TVはない)の前に釘付けになった。特に清水川対男女の川の取り組みになると清水川の勝ちを祈って神様に手を合わせた。2人の勝負は春場所(一月)と夏場所(五月)は場所で決まっていた。心をときめかした私が馬鹿なので勝負は話し合いで決めていたのだ。
 もう一つの場面は大鵬対栃の海戦、両横綱対決の千秋楽の日であった。私は偶々桟敷にいた。栃の海は七勝七敗で負ければ横綱として史上初めての負け越し横綱の記録を残す。その後、大乃国、二代目若乃花等、弱い負け越し横綱が陸続するがまだ前例はない。両者時間一杯で起った。栃の海両差しで猛然と寄り大鵬呆気なく土俵を割る。負けて花道を去る大鵬に「偉いぞ」の拍手が飛ぶ。大鵬は厳しい目つきでん睨み返していた。
 柏戸と大鵬の場合もいまだに話題になる。史上初の全勝横綱同士の優勝争いである。柏戸は今場所まで連続休場でこれでは柏戸が勝てる訳がない。ところが柏戸勝って休場明け涙の全勝優勝となる。うまいシナリオライターが居たものですね。尤もこれに石原慎太郎が八百長と異議を唱え、これに協会が反駁し裁判沙汰となったが結局示談で一件落着。
そういえば同門同士、兄弟同士の優勝決定戦も危しい。千代の富士対北勝海、若乃花対貴乃花、この二つの取組みは全く双方に戦意なし、観客料を返して欲しいものだ。
蒙古の力士が頗る元気だ。第一号の旭鷲山についで二人の横綱、朝青龍・白鵬と続くが、この二人の関係が微妙で喧嘩したり仲良くなったり。その間に取引があるのか、ないのか?(モンゴル力士については別章で述べる)
協会には八百長という言葉は無い。心ある親方は心では思っているであろうが絶対に口にする訳にはいかない。苦肉の策として無気力相撲という言葉を使う。最近引き分け預かりの制度は事実上なくなり、勝負がつかない時は、二番後取り直し、或いは翌日取り直しとなったが近頃はそれもない。土俵の広さが昔の直径13尺より15尺と広くなったのもその一因だがこれはずっと昔のことではある。相撲のスピードが格段と速くなったのが原因であろう。叩き込み、突き出しで一瞬の間に勝負がつく。舞の海のような小兵力士がその手をつかうのは、それなりに止むを得ないと思うが、栃東のような横綱を狙う力士がこの手をよく使うのは戴けない。謂はんや優勝決定戦にこれで勝ち、翌場所大関になった力士がいるが、全く情けない。私に言わせれば、立会い逃げての叩き込みなどは半星にすればよいと思う。戦前はじっくり四つに組んで動かず、引き分けを狙う取組みもあったが、戦意不足として懲罰を喰った例も有る。
 そう言えば最近打棄りも少なくなった。怪我を恐れるからであろう。年6場所90日制では負傷休場すれば公傷制度が無くなったため忽ち十両幕下に陥落してしまう例も有る。その代わり、数場所で幕内に返り咲く力士も何人かいる。古い話だが、打棄りには懐かしい思い出が有る。昭和11年五月場所八日目、関脇同士の双葉山と鏡岩が全勝のまま対戦する(当時は11日制でその後、13日、15日となり今日に至る)。当時は「待った」の制限時間は10分であった。その後時間も縮まり現在の3分になってしまった。相撲の醍醐味は立会いにあり、好角家はこの待ったの時間が楽しみなのだとよく言われたが、子供の私には流石に10分は長すぎた。尤も明治大正の頃には制限時間は無く見物客が用事のために国技館を出て、浅草まで用達に行って戻ってきたらまだ仕切りの最中だったという話もある(本当ですかね?)。両者は時間前に立ち上がり、猛牛鏡岩必死と押し寄せる。ラジオアナウンサーは鏡岩寄り倒しと連呼したところで放送は時間切れ。ところが、翌朝の新聞を見て唖然。あの直後に双葉山は強靭な二枚腰で弓なりに耐えて打棄っていたのだ。この場所後、二人は共に大関になり二人の友情関係の端緒となり、引退後は双葉山道場の跡を鏡岩の粂川親方が引き継ぐことになる。
 八百長に関しては週刊誌の「週間現代」が異常な熱意を持って、1〜2年の周期で八百長特集号を出版している。最近は「週間ポスト」がハッスルしてこの問題を取り上げている。先ず千代の富士が槍玉に上がり、理事長の改選時期でもあったので、真剣勝負(ガチンコ相撲)か馴れ合い相撲(八百長)かとなにかと話題を賑わした。八百長問題が起きると協会はいきり立って訴訟にすると反論するがいまだ裁判になったためしがない。事情を知っている知恵者が双方を丸くおさめているのであろう。近頃はこの問題で朝青龍の評判が良くない。モンゴル出身の彼は偉大な横綱で「あった」のである。日本力士の出来なかった7場所連続優勝の偉業を達成し、このところ久しく途絶えていた15日間全勝優勝も成し遂げた。だが、その後がどうもいけない。大記録のあとの虚脱感も影響があるかも知れないが、稽古を怠っては成績はついてこない。過去の遺産に頼っているだけではいずれ食い潰してしまう。
 この横綱について舞の海秀平(元小結)があるセミナーで面白いことを言っていた。
舞の海曰く「八百長疑惑について・・・朝青龍の相撲を見ていると、相手側が気持ちで負けていて、仕切り直しのたびに萎縮してしまっている。要するに周囲が弱すぎるのであって八百長が行われているとは思えない」しかし、朝青龍がどの程度強いかということになると、「胸をつける」形の本格的な横綱相撲をとっているわけではない。おそらく曙や武蔵丸・貴乃花が居た10〜15年前であったら今ほど勝てなかっただろう。
 なお、八百長が起きるときは次の場合が多いとある雑誌が指摘している。
イ、 幕下から十両にあがれるかとき(この逆で十両から幕下に落ちるとき)
ロ、 前項と同じく 十両⇔幕内のとき
ハ、 三役に上れるか、その逆のとき
ニ、 大関・横綱問題がかかるとき
ホ、 優勝・三賞がかかるとき
ヘ、 給金直しのとき(八勝七敗か七勝八敗では天地の違いがある)14日目まで七勝七敗の力士が千秋楽で全員勝ち越して八勝七敗で目出度し目出度しの珍事があった。
 モンゴル相撲の朝青龍にもこの噂がチラホラするのは残念である。先の項で双葉山・大鵬・北の湖・千代の富士の四大横綱をあげて誰が一番強いかという設問をしたが、浪花節の虎造ではないが“誰か一人忘れてはいませんか”という声が聴こえそうだ。それがこの朝青龍である。まえの三人よりずっと遅れて登場したので記録が揃わず敢えて割愛したが、彼の七連続優勝は前代未聞の快挙であり平成16年初場所の15日間全勝優勝も久しぶりの快挙である。但し土俵態度が粗暴で、懸賞金を左手で受け取ったり(始めは知らなかったので仕方がないか)土俵外で暴れたりは困ったものである。旭天山という中盆(世話役)が居るのが疑惑の種になる。
 18年名古屋場所の千秋楽結びの一番、優勝を賭けた横綱朝青龍 対 大関白鵬 の取り組みに宮城野親方(元十両金親)が工作があったと語るに至っては言語道断である。このことに関して協会理事の北の湖がノーコメントなのも解せない。元来この理事長は現役時代は名横綱であったが役員になってからはパットしない。朝青龍が北海道巡業をすっぽかして蒙古に帰ってサッカーに興じていたことについてもはっきりした批判はしていない。時津風部屋の新人、序の口の時太山が稽古中に師匠・先輩に命を絶たれるまでいじめられるという不祥事を招いた。協会は重大な局面に立っている。旧来の悪習を捨て抜本的な体質改善が急務である。北の湖理事長に無理だとすれば、以後の理事長候補として歴代横綱をあげれば若乃花(56代)・三重の海(57代)・千代の富士(58代)・隆の里(59代)・双羽黒(これは論外、親方の奥さんを撲って脱走した)・北勝海(61代)・大乃国(62代)・旭富士(63代)・曙(64代、外人が理事長になったら面白いですね)・貴乃花(65代)若乃花(66代)・武蔵丸(67代)・朝青龍(68代)・白鵬(69代)ということになる。理事長は勿論横綱に限ることなく先代佐田の山は大関の豊山であった。戦後、協会の公益法人の性格が国会で問題となり、時の理事長が国会の喚問を受けたのを苦に割腹自殺を計った。その時急遽代理を勤め武蔵川理事は最高位が小結一度で、大体幕尻付近で低迷していた。相撲の実力は大体その程度であったが頭脳知識は抜群で、経理に詳しく協会の財政を立て直して不動のものとし今日の繁栄の基礎を築いた。
 八百長ではないが“両者不戦敗”という珍記録がある。昭和14年一月場所11日目鏡岩対磐石の取り組み熱戦で両者譲らず水入り後取り直しとなっても勝負つかず、「一時預かり」となった。普通この場合は二番後取り直しか翌日再組合わせなることが多い。然し両者共疲れきり再試合の意欲が出ない。片方が棄権を申し出た。相手もこれに和した。この時後者が這ってでも土俵に上がれば不戦勝になるが、それをしなかったのは武士の情けというところか。
 この場所は奇妙なことにもう一つの不戦敗があった。序二段での出来事。一方のブラジル出身の川村が休場届をだして土俵下に現れない。対する富士の浦はのんびりしていて遅刻してしまった。これでは軍配の合わせようはなく双方共黒星。幕下らしいおとぼけの一話である。