男子厨房に入らず |
谷口 啓治 |
今年も、同期入社の 嘗てのツワモノたちが集う「古久会」が直ぐそこに迫って来た。 幹事の発案により、初めての試みとして”酒やおつまみを持ち寄ろう”という。何やら、昔の農村の「○○講」みたいであるが、会員諸賢の絶大な支持を得て粛々と準備中であるらしい。 但し、持ち寄るのはやめて、各人の思い入れに従った提案による全国版名物などを集中的に購入するという賢明な方法に落ち着いた。 それでも、楽しい案内によれば、○○クンちの「手作りのローストビーフ」をも味わえる、とある。同君の現役時代の様子については不案内ながら、すっかり感心させられお手並みの程を期待させてもらっている。さて、 中国の故事だったか、我々の身近には掲題のように男が厨房に立つのを忌み嫌う風潮があった。厨房にある「かまど」の神様を祀るのは、その家の女房に決まっていて、他の者がチョッカイを出すと神様の機嫌を損ねて不吉である・・・云々とか。 しかし最近は、定年後のオッサンを相手の料理教室が盛んで、高年者離婚の手助けをしているらしい。でなくても、暇を持て余して台所に立つという高齢者もおられるようだ。 癪なのは、昔馴染みの社宅仲間や、団地の奥さんの噂話(これが又針小棒大な話になりがちで、パチンコに偶に勝った男がさもさも常勝かのように言う、そんな風である)で、曰く、家のお父さんは黙々と食器洗いをしてくれる、おかずを上手に作ってくれ(助かっているのか迷惑なのかは不問)る。揚句の果ては、部屋中の掃除も厭わないで綺麗にしてくれる など等である。こんな話を仕込んでくると、女房の意気や盛ん。 ご同輩、迷惑を被っておられるのではありませんか。筆者などは、その最たる者であると自虐的に思って毎日を過ごしているので、その一端を記しておくことにしょう。 以下は、ほぼ毎日のことである。
厨房に立ってみて気が付いたことを一つふたつ記して、哀れな「男子」の話を締め括りたい。 ひとつは、台所に什器(鍋、釜、チャワンなど)が多くて場所を狭くしていること ふたつ目、買い置きが多いので冷蔵庫と言わずありとあらゆる保管庫や棚のスペース が不足している。 また、メーカーの言葉に踊らされて不用な品を買って(使わないで)いる形跡があり、どこかの会社の生産方式や「5S」なんてことを引き合いに出す前に、その都度うんざりさせられた。 メーカーの商業主義にも騙されやすい。「垂れ流すだけで綺麗に」なる浴槽洗剤や、(さすがに影を潜めたか)ビンの振り出し口の穴を大きくして拡販?に成功したというカイゼン提案品を売り出した調味料メーカーの商品などである。 小規模企業で業績改善に腐心した者としては、当時のパートさん達の様子から容易に推察出来たことではあったが、気絶しそうになる実態であった。 はたと思いついた。「男子厨房に・・・」は、狂言・「ブス(附子)」のようにその昔中国のカミサンが支掛けたフェイントだったのでは無かろうか?と。 |
平成22年3月3日 雛祭りの日に |