ひまになった“益荒男家政婦”
谷口 啓治
 昨年10月端から奮戦していたが、“益荒男家政婦”は少しひまになった。
 早速、「・・閑居して粗文を興す」ことにした。

  一つは、秋から畑に放っておいた白菜の後始末の報告であるが、昨夏は市販の苗を8株購入して、「どうせ虫の餌食になるだろう」と思いつつ植えっぱなしのようにしていたが、何と8株全部が「スックすく」と成長してくれ、虫も食わない出来栄えであった。娘たちに配ったり、漬けものにしたりと重宝した。
最後の二株の様子をパチリして置いたので紹介する(写真1)。

写真 1 ; 7,8番目の白菜

手前に転がしてあるのは外皮を剥いだだけの8番目で、外皮付きで3.4kg.あり、全長30cm.。少し乱暴に剥いだ外皮の重量が1kg.であって勿体なかった(笑)。
その右手と奥に散乱しているのは、もう一株(7番目)を縦割りにしたもので、漬けこみ前の天日干し中の様子である。
3〜4日塩漬けにして置けば、シャリシャリとした漬けものになる。

  二つ目には、最近ツトに姦しい話題の、北朝鮮のミサイルが発射されるという東舎里(トンチャンリ)の在り処さがしをした。

以前から度々述べていたと思うが、筆者が国民学校1〜4年(5年次の秋までは休校、その後帰国)
の間滞在していた“新義州”と言うところに至近であると言う予感があったが、手元の地図では分からない。

県立図書館まで足を延ばして蔵書を調べ、コピーした地図を朝鮮半島(図2)とトンチャンリ近傍(図3)とに示した。

ピヨンヤンとあるのが北の首都で、左斜め上にタントンと示されているのは、日本国統治中の満州国・安東(現・中国の丹東)である。その下・シニジュ(新義州)との間に鴨緑江と言う大河が横たわっている。

図2 朝鮮半島全貌
(地図をクリックすると拡大表示します)
 
図3に示されるトンチャンリと新義州との距離は、約50km.であるように推定できる(筆者の判断)。
また、図の中央付近に「平安北道」と示されていて、その直下に北緯40度線が左右に走っているのが読み取れると思うが、日本国では八戸市に相当する。

(聊か愚かな考え方であったが、5年前の大震災の際に「もし北朝鮮と仲良くしていて、東北の被災地の 少なくとも農民の人達を短期間移住できたら彼我の利害が一致するのに・・・」と内心思っていた)


図 3;トンチャンリ近傍の地図
(地図をクリックすると拡大表示します)

 何とも変なひまつぶしをしたものダ!と自ら呆れつつ筆を折る。

 余談;タントンには、我らが先輩会員・青木淳氏がご幼少のころに滞在されていたとお聞きした記憶がある。
                           以上、
H28年2月11日