前立腺がんへの放射線治療を終えて」
 谷口 啓治
  おしゃべりが過ぎて、言わなくてもよいことをアチラこちらで喋っているうちに新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。

 さて、“言わなくてもよいこと”の最たるものに属するでしょうか、小生が罹病した前立腺がんについての解説らしい話を、折に触れて述べてまいりました。
今回は、摘出術後丸六年に達しようかと言う昨年夏頃の前立腺がんの再燃(マーカーたるPSAが0.2を超えると再発していると判断される・・注①)に対処すべく放射線治療を受けましたので、そのことについて喋ります。尚、今まで喋った内容と若干の違いがあるかも分かりませんが、お許しください。

注① ;一般には、健康診断などの血液検査の結果指摘され精密検査に回されるときは、4.0が限界値として使われます

1、 その1(手術前)
そもそも「前立腺がんである、手術をしなさい」と言われたのは、平成18年初夏の市民健康診断でのPSA検査の結果に端を発する。
「前立腺がんの検査をしますか」、と勧められて嫌々受けた“血液検査”(注②)の結果、PSAが5近くあったため、「要・精密検査」と宣告されてA院で再検査。血液検査の結果PSAが5を超えているが、触診しても確信が持てないので生体検査をする、という。

注② ;大事なところを触られるのは・・・と躊躇したが、「血液検査だけですよ」と言われて応じた。尤も、触診で分かるような名医は少ないとか、後日の学習で知った
 
 生体検査は、一種の組織検査であり注射針を前立線に刺して組織を抽出して、がんの有無を診る。筆者例では、8か所中3か所がアウトであり、摘出手術を要するとの診立てであった。
前もって、少し勉強をしていて治療法の種類も分かっていたので、放射線で何とかならぬか、一般にいう「小線源法」と言うのでどうだろうか?と哀願したが、「ダメです!ウチではやりませんから、どうしてもと言うのなら県立がんセンター(tcc)を受診しなさい」 と検査資料付きの紹介状を書いてくれた。
後日調べたA院の治療実績では随分多くの放射線治療を手掛けている事が分ったし、その後のtccの医師の話と照合するとA院の医師のインフォームドコンセントが不十分であったと思われた。

2、 その2(主治医とのやり取り)
 tccの主治医に宣告されたのは、「この例では、極めて初期であり小型のものだが悪性であるから、今の内に切除しておいた方がよい(悪性って、俺の根性のこと?ウフフ・・)」。
切るのは厭だ、と散々駄々をこねて、何と四回も話し合った。
最後には主治医も匙を投げたか「前立腺がんは十年くらいは大人しくしているから、厭なら放っておきましょう」注③とまで・・・
同席したカミサンと長女とが切なそうにしていたので、ホントに仕方なく手術をOKした。
 早速、年明け早々の平成十九年一月七日に手術をすることになった。

注③ ;大体無責任極まりない話であるが、医療従事者の中でも前立腺がんに関する見解がかなりバラケている。
たとえば、慶応大学医学部講師 近藤誠氏(文芸春秋・24年10月号)は、「前立腺がんのように(ほとんどが)がんもどきの場合でも、肺がんのように本物のがんが多く含まれる場合でも、治療法によって生存率に違いが出ないのは、けだし当然なのです。」と、重粒子線、陽子線、エックス線の治療成績が変わらない最大の理由は、がんが「本物のがん」と「がんもどき」に分かれるからであり、本物のがんであれば、臓器移転があるのでどんな治療法でも根治することは出来ない。
「がんもどき」であれば、臓器移転がないので放っておいても死ぬ危険がない。
などと言いきっている(この小生の記述は、いい加減であるので正しくは「文春」を読んでいただきたい)。
 それはさておき、筆者が承知している前立腺がんがもとで亡くなった著名人は次の三人くらいであり、確かに少ないが、発症から絶命に至る経緯を知っておきたい、がんセンターの相談室で聞いておこう、と思っている。
     ①;永田 武; 地球物理学・’56~’57第一次南極観測隊々長、’91・6月没(77歳)
     ②;小沢昭一; 俳優、タレントなど、’12・12月没(83歳)
     ③;米永 邦雄; 日本将棋連盟会長・永世棋聖、’12・12月没(69歳)
      (何れも新聞報道などによる)

3、 その3(手術について)
 良く聞くことの一つに、手術年齢を理由に「70歳を超えているから手術をしない」などと避ける場合があるようだが、筆者は72歳になっていたが、それ行けドンドンとばかりに「切られて」しまった。
 インフォムドコンセントは十分された筈であったが、術後、いろんな障害に出くわした。

イ、 性的な障害が一番堪えた。「もう用は無いでしょうが」と言われたが、“「朝一」がないのは寂しい、直してくれ”と哀願するも「無理です」と。

ロ、 術後半年のころ、ヘルニア(脱腸)が出て手術を余儀なくした。
これも、合併症として「出るヨ」と言っておいたと 取り合わず。
(余談ながら、左に先発したものが右にも発症して同時手術をしてもらったが、下半身麻酔が不十分で「武士の腹切りも斯くヤ」と言う痛さを経験)

ハ、 同じころ、胃がんが発覚した。合併症かどうかは定かでないが、内視鏡で手術を・・
そう言えば、前立腺がんの手術が終わった夜、付き添ってくれた長女に「年末宝籤が6400万円当たっているから貰ってくるよう」に、などとうわ言を言った。主治医が心配して、数日間個室に入れられたり・・などした。
(現役時代に加入していた「がん保険」から下りた50万円は、女房にガッチリされたり、散々なり)
~中略~~

此処まで筆を走らせ?て、早や2月14日のバレンタインデー(注A)となりました。
約一ヵ月間もワープロを休ませていたことになります。この後には、本題の「放射線治療」について書いて行きたいと思っておりますが、どうなりますか?
   注A;朝早くに、郡山からチョコと、何故かお酒が届きました。




 1月14日の大雪の状態、我らが住まいの不心がけ住人の生活ぶりを写真でご紹介します。


 右手前が我が家。日光に向かって写しましたが、左手前と右側の連続した二軒とが住人不在です。

2013年1月16日€