年賀状」異聞
 谷口 啓治
 紀元2672年、西暦2012年、平成24年そして昭和で言えば87年が明けた。
おめでたいのかどうかは、終わってみなければ分からない。
 今年も沢山の年賀状に接した。嬉しくも悲しい、年中行事の幕開けである。

 途中までのdataであるが、今回の年賀状についてまとめて見たので以下に紹介して置く。

1、 昨年中に投函した 当方からの枚数; 74枚(100)
2、 年初に戴いた 上記1に対応するもの;43枚(58)
3、 思いがけずに戴いたもの;(18枚)
4、 3への 返書;(6枚)

 その後、4に相当する分が更に増えたりして結局は90枚を投函した。
随分ケチッた結果であり、後味の悪さに苛まれているが、そこは「心を鬼」にしてやり過ごした。
小生の年賀状(出す方)の特徴は、自分と女房との遠方の疎遠にしている兄弟・親戚が第一であることと、現役時代に頼まれ仲人を五組させてもらったのでそれらへは義理を立てていることぐらいである。表書きは、手書きを心掛けているが、文字列が曲がりやすいのでボール紙で切り抜き板を準備して使っている(注1)。

 また、今回に限って気がついた点;
1、 同じ所から、ご丁寧に3通も戴いた。しかも、どれも図柄と添書きとが違っている、という念の
    入れようであった。同年のいとこからのものであり、身につまされた(注2)。
2、 綺麗にワープロで作られたものの、発信人氏名が入ってないもの1通。
    当方から元旦に着いたので、慌てて返書を出したためか?
    義理の兄弟からのもので、(他へ出したものは?と)気になったが放置して置いた。〒番号か
    ら“犯人”が分った。
 

 昔々のオハナシであるが、ある会社のエライさんを勤めあげた方が、晩年、貰われた数少ない賀状をヒラヒラさせて「(今は)こんなものだヨ」、と自嘲気味だった(奥方様の回顧)とか。

 以上、年賀状について雑記したが、最後に筆者の孫(七人中、末の三人)の写真入りのものを添付してお茶を濁したい(注3)。
   
   注1;賀状の手書き文字の列が曲がる相手は、間もなく危ないと言う経験則を筆者は有する。
   2;筆者自身も、ある いとこに二枚出したり、故人名義で出したり。
     勿論、丁重に謝って置いた。
   3;在長崎。単身赴任中の父親と、4月に郡山市で合流する(新学期ベースで、左から小6、
          小1、幼稚園年少3歳である)。 

平成24年1月16日)€