「二度目の災難」
谷口 啓治

 3月11日午後2時46分 東北関東大震災のアタックを受けた。百年近い人生の内でも、初めての経験でありその後の関連災害を見聞きしていると、「二度目の災難」であると言ってよかろう、と思う。
 あちらこちらの親戚、知己に知らせるにも停電で電話(ケイタイ持たず)が使えない。運悪く数ヶ月間バッテリーがあがりっ放しのPCはダメ、ほんの数日前に紛失してしまった携帯ラジオは勿論頼りにならない。

   物損は、と点検したところ、外構の石塀が
   数か所崩れて折角の百合のプランター
   もどきのスチロールケースを潰している。
   (写真)






   悔しいのはレジン掻き落としの外壁の数か所に
   亀裂が入ったこと、といった具合。
   人畜に被害が及ばなかったのがせめてもの
   慰めであった。

   団地の中を見渡すと、多くは塀の崩落であり、道路沿いの一辺が全部倒れていたり、瓦屋根の合掌に乗っている瓦が外れて落ちているのが散見された。

 地震の襲来と同時に起こった停電には、些か参った。翌日の昼過ぎに通電されたが、なにかと言うと電気のスイッチに手が伸びる。こんなに電気依存症だったのかと度々苦笑した。市水道は止まらず、今朝聞いてみたが、計画停電中もOKであるとか、まったくグーである。
下々の暮らしや如何に、と市中見回りを試みた。停電中は、道路の信号も点かないので自家用車は恐る恐る交差点通過をしていたが、結構大丈夫そうであり、信号なんてなくても・・と思った。
    しかし、やり取りが下手くそだとの感じが強くしたのは、右左折のために交差点に入ろうとして相手の顔色をうかがっているだけで、合図をしないのでもたつく事になるし危険である。筆者は窓を開けて置いて右手で「俺が先に」、「あなたがどうぞ」と合図をする。
コミュニケーション術が就活のポイントと言われる現代、大いに考えて欲しい。
    コンビニとSCに寄ってみたが、「我慾」そのもの、ローソク、乾電池の類いは勿論のこと、パンや即席めんなんてものも全くないのである。筆者の幼少時代には、麦飯に生卵は極上の内で、味噌や醤油を掛けたり乗っけて食べることがあったので驚かないが、寂しい気持にはなった。
帰途、GS付近でマイカーの長蛇の列に遭遇、ガソリンを満タンにするためだと聞いて、再び「なるほど」と感心させられた。

 寂しい、と言えばこんなにお粗末なことはないと痛感したこと。
1、 行政府の長やNo.2のあり方である。
   原発の管理者が説明すれば良いことを代弁したり、落ち着いて冷静に行動してくれナンテ
   子供会のお話のような事を言ったり。
   やらねばならぬのは、全ての経済活動を止めてでも電力、人力を罹災者救済に向ける、
   被災者を全国規模で退避させると言った“方針”を立てて実行させることが肝要ではないか。

2、 放射線に対する対応。
   これまた大変生ぬるい。局所的な、しかも散発的に採集したデータを公表し、偉い学者先生
   の「人体には影響のないレベルである」と言ったコメントを流すだけである。
   原発から20km以上離れておれば、本当に大丈夫なのか?今後原発から漏れだす放射線に
   どう対応せよ、いうのか。全くと言っていいぐらい指針が示されていない。

3、 個々人の思惑に従うのではなく、物資の配給か割当制を実施する。
   被災者が退避出来る所を、早く確保して退避させる、などを為すべきだと思う。
 
 災難の二については、稿を改めたい。

 取り急ぎの事を述べ、全国の皆さんの平安であることをお祈りする。

 平成23年3月15日朝