俳句考
~最近 私の胸を打った俳句~ 
竹内  理  
  若い頃から俳句に関心を持ちながら、自ら詠むこともなく、他人の句を勉強したこともない。ただ芭蕉の句には心打たれるものが多い。
蕪村・一茶にもそれぞれ関心を持つことが出来た。現代俳句となると、子規には共感を持てるが、それ以外は殆ど目に入ってこなかった。これはひとえに私自身の不勉強のなせるわざに違いあるまい。
  最近 漱石に関する知見を得る機会があった。関川夏央氏の「漱石のうつ病、子規の明るさ」と題する講演であった。漱石と子規は同年生まれで、漱石は俳句の手ほどきを子規から受けていたらしい。関川氏によれば、もし漱石が「吾輩は猫である」以降小説家の道に入らなければ俳句の道を歩んだのではないかという。そういえば漱石には「有る程の菊***」(後出)の名句があるのを思い出した。
  これに触発されて、現代俳句にも関心を持つようになったが、最近 私の胸を強く打った句がある。その中から3句を挙げてみたい。
これらの句は俳人仲間ではよく知られた句であるのかもしれないが、非才な私にとっては初めて知った句で、それぞれが心の叫びの句であり、私が強い衝撃を受けた句であった。


  「ある程の菊投げ入れよ棺の中」。(夏目漱石)
漱石が若い恋人と噂された大塚楠緒子の死に際し読んだ句という。
漱石の激情が感じられる。楠緒子35才、漱石43才の時である。


  「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」(江国滋)
江国滋は演芸評論他多彩な分野で活躍した俳人でもある。生まれは私と同じ1934年で1997年食道がんで他界。僅か半年の闘病生活であった。享年62才。その闘病日記の表題がこの句で辞世の句でもあった。「おい癌め」のめが、作者の癌に対する無念さ恨みが感じられる。
長女は江国香織、有名な小説家である。


  「天国はもう秋ですかお父さん」(塚原 彩)
交通事故で父を亡くした小学生の句。素直な父を思う心が私の胸を打つ。
世界こどもハイクコンテストの中の秀作である。


  以上の3句はいずれも死をうたった句である。最初は恋人の死、二句目は自身の死、最後の句はお父さんの死。人は必ず死を迎える。それは本人にとっても、周りの人にとっても大きな衝撃であるに違いない。
  過去辞世の句や和歌は無数にあるが、どちらかというと澄ましたものが多いように思える。そうしたものも悪くないが、この3句のように素直に心の叫びを吐き出したものほど、人の胸を打つものはあるまい。
2012年7月