乱れた日本語
佐藤 幸彦
 さる会報の編集に参加するようになって、日本語の乱れを特に意識するようになった。「おかしな語法」を拾ったメモから、幾つか紹介しよう。
」 「一層の努力をして頂きたいなと思います」 これは「頂きたい」或いは「頂きたいと思います」と言うべきであろう。しかしNHKのアナウンサー、財界の大物、有名企業の経営者などに普及している。卑俗であるのみならず、リーダーシップの欠如を感じさせる。
一番ベター、一番ベスト」 サッカーの監督、プロ野球の元監督などが言っていた。単に「ベスト」と言えば良いだろう。
とんでもございません」 「とんでもない」を丁寧に言ったつもりであろう。「とんでもある」という言葉はない。丁寧或いは謙虚に言うなら、「とんでもないことでございます」であろう。
 「或る意味では」という言葉を、何の意味もなくさしはさむ人が居る。内閣総理大臣鳩山氏は連発する。
 「一応」、「まあ一応」を意味なくさしはさむ人が長野県には多い。時には誤解を招く言葉である。
 「」 に関して、という意味である。○○儀かねて療養中の処、薬石効無く----
と言う具合に使うのは可。しかし近年葬儀屋さんが立て看板に「故何某儀葬儀式場」などと書くのが普通になった。この四字目の「儀」は「に関する事柄」の意味で、和文でのみ使用されるのである。たとえば「使者の趣、余の儀にあらず」とか「その儀に及ばず」というのが用例である。漢文にはこのような用法はない。従って削除すべきものである。
 「かどうか」 「一体どれを信じて良いものかどうか」、「一体これを信じて良いのかどうか」。勿論前者は誤りで、後者は正しい。しかし前者の誤りはしばしばNHKの解説でも生じている。原稿をしっかり見ていないアナウンサーが犯す誤りではないかと思う。「かどうか」を使うかどうか、瞬時に判断するのは難しい場合もあるが、私は前半に疑問詞--- たとえば「どれ」----- が有れば、「かどうか」は使わない、と決めている。   
 「温度差」 近頃やたらに使われる言葉である。「党内でも○○の考え方には他の人々と温度差が生じている」などと言う。温度差があっては良くないというのである。私はこの言葉には非常に抵抗を感じる。日本人的な「協調性重視」であろうが、熱力学では、温度差のない所からエネルギーは取出せない。熱平衡の世界は活気の全く無い世界である。 ニュースには「日韓両国の歴史観の温度差」という言葉も見られた。これなどは「温度」という言葉を用いる必然性は全く無い。単に「歴史観の差」で良い。それでは何方の温度が高いのか?という軋轢のもとにもなりかねない用語である。
 「いらした」「ピアノがお上手でいらしたのですね」などという。「いらっしゃった」の誤用であろう。この場合は完了形と見なせる。では現在形は何だろう。「いらしる」という言葉は聞いたことがない。「いらした」はNHKの女性アナウンサーも使っている。小説でも使われている。文章語としても、あまり疑問を感じずに使われているようだ。
 話題が掲題から脱線するが、辞書の面白い誤りについて一つ紹介しよう。
 講談社の類語辞典が出た時(2002年秋)、書店でパラパラとめくって見ていたら、偶然発見したのが「鎮座」という項であった。その意味は「人や物がどっかりと座ったり場所をとったりしていること。『部屋の真ん中に〜して、まわりを睨めまわす』・やや皮肉をこめていう」と説明されている。最も重要な本来の意味を編者(柴田武・山田進)は知らないのであろうか。早速購入して、講談社に葉書で注意したが、返事は来なかった。再版されて直っているかどうか未だ確認していない。
 平成22年3月