新幹線の事故
佐藤 幸彦
 1月29日、静岡で開催されている日本刀の展覧会を見ようと思い立ち、昼過ぎのこだまに乗った。新横浜を出て間もなく、全速で走っていた列車が停車した。それから3時間ばかり車内に閉じ込められることになるのだが、情報は車内アナウンスだけが頼りのおかしな空間になった。
 先ず車掌が、「停電のようです。暫くお待ち下さい。復帰しだい発車します」と言って暫く待った。10分ぐらいたって、「只今、新横浜・小田原間の火災で停まっています」という。我々が停まっているのは新横浜・小田原間なので、来た道に火事はなかったが、この先に火事があるのかなー。それにしても新幹線の沿線の火事で列車が停まるのだろうか?と思っていたら、「只今消防車が現地に向かったそうです」と放送された。新幹線が消防車を待っているなんてことがあり得るのかなと変に思った。次には「火災のため架線が溶けて切れたようです」これは少し時間がかかりそうだと覚悟を決めた。次のアナウンスでは「先程停電の時12号車の屋根で大音響が発生しましたので、車掌が屋根に上がって点検をいたします。どうやら火災以外にもパンタグラフの故障があったようです。只今パンタグラフを畳むことにします」と言う。パンタグラフは2基使用しているので、1基になると徐行せざるを得ないが」と言う。田舎のちんちん電車ではあるまいし、JRは車掌にそんな作業をやらせるのかなと不思議に思った。そのうち「只今パンタを『縛る』作業をしています」という。「しまう作業」が「縛る作業」に変わったようだ。その次に
「屋根裏の狭い所で作業いたしますので手間取っています」と言う。あれ、新幹線の車両に屋根裏があったかしら。パンタグラフの真下は屋根裏になっていてもおかしくないかなと気がついた。そうでないと電線が露出してしまうかも知れない。しかしそれなら車掌がほこりまみれになって現れるかと思いきやそうでもない。車掌は時々、客車内の状況を見まわるが、多分、話しかけられるのを嫌ってであろう、常に駆け足である。
 客車内はエアコンが止まり、トイレは水が出なくて使用不能、おまけに電灯は車内中央に非常灯1本であった。
 ヘリコプター4機が旋回し、夕焼けがきれいな頃、電気の作業者が7、8人到着して、30分ぐらいたって復帰した。パンタグラフ1基となった列車は徐行などしないで小田原に到着した。勾配が無いのと季節が冬なので、「片肺」で走れたのであろう。上下線とも約3時間遅れで巨額の特急券払い戻しが生じたことであろう。私は1日の計画がパーになったわけで、「私の旅行の目的は失われた」と小田原駅で説明したら「このまま東京に乗って帰ってもらったら東京で全額払い戻します」ということになった。
 次の日の新聞で初めて事情を悟った。私の乗っていた「こだま」の12号車のパンタグラフが、新横浜を出て間もなく破損して饋電線を破断させ、切れた線がのたうちまわってレールと接触し、切り通しの法面の枯草を燃やしたのであった。一方列車は非常停止が働いてから恐らく1000メートル以上走ってから停まったのであろうから、火付けの犯人が自分であることに全く気がつかなかったのである。その間コントロールセンターでは正確な情報を得て流せる力もなく、車掌は旅客がパニックや暴動になるのがこわくて、一所懸命でたらめ情報を車内に流していたのかも知れない。ちなみに乗客は盛んに携帯電話を使用していたが騒ぐ者はいなかった。結局パンタグラフ破壊の原因は判らないが、これはJRにとって貴重な経験であったかも知れない。
平成22年2月