映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」
を彼の言葉によって振り返る
窪田    城  
   現在の我が国は様々な困難に直面し、少なからずの識者が行く末を懸念しております。こういう時こそ、真のリーダーが必要ですが、「国難」を謳いながら、縁ある者や外国には篤義ではあっても、国民に対しては篤論をも拒む人がリーダーで大丈夫だろうか。このような疑問をもっているなか、メイクアップで日本人がアカデミー賞を受賞したことで注目を集めた映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」は、彼のリーダーシップをどのように描いているかに興味を引かれ映画館に足を向けました。ヒトラーとの宥和を目指すハリファックス卿やチェンバレン首相らを退けて、首相兼国防大臣となって、国民を鼓舞して「国難」に立ち向かわせるチャーチル首相の姿を見事に描き切っていると感じ入りました。その裏付けとなっている彼の考えについてもう少し知ろうと思い、英国では、聖書とシェイクスピアについて、引用される機会が多いとされる彼の言葉を、暇に任せてあちこちひっくり返して調べました。現在の我が国の政治を考える上で、仲々含蓄のある言葉が多く、映画を観てない人にも楽しめそうなものを拾って、映画の展開に沿って紹介させて頂きます。尚、付した邦訳文は、小生の理解に従ったものであることを申し添えます。
   映画は、少なからずの同僚議員が、宿怨から、彼の言葉には耳を貸さないという事実から始まります。一体、彼は彼らに向かってどんな言葉を吐いていたのでしょう。“I never worry about action, but only about inaction.(為すべきことについて悩んだことはないが、為さずに済ますべきかについては苦悩する)”は、余り考えずに不適切な発言をすることを自認していたとも取れます。それなら、昨今の我が国の議員にも少なからず居りますが・・・。それは兎も角、論敵に対しては相当辛辣であったようです。“In those days he was wiser than he is now―he used frequently to take my advice.(昔の彼は、よく私の忠告を聞いていたから、今より賢かった)”、“A fool must now and then be right by chance.(困ったことに、馬鹿にも時には偶然正しいことがある)”とからかい、“The greatest lesson in life is to know that even fools are right sometimes.(人生最高の教訓は馬鹿者さえ時には正しいということを知ったことである)と追い打ちを掛けます。人の言うことを聞かないと詰られると、“I’m always ready to learn, although I do not always like to be taught.(教えられることは嫌いだが、常に学ぶことに吝かではない)”と減らず口を叩いています。
   それでも、対ナチス徹底抗戦の信念から、政敵に厳しい言葉を浴びせ続けます。“An appeaser is one who feels a crocodile, hoping it will eat him last.(宥和主義者とは、自分が食べられることはないだろうと思って鰐に手を触れるような輩だ)”と容赦なく罵倒し、“A fanatic is one who can’t change his mind and won’t change the subject(狂信者は、自分の考えを変えられないまま、一つ事に妄執し続けるのだ)”とナチスを説得しようとする愚を戒めています。“The reason for having diplomatic relations is not to confer a compliment, but to secure a convenience.(外交関係は賛美を贈るためではなく、好都合な条件を確保するためにある)”は、ヒトラーに為す術もなく牛耳られたチェンバレンへの当て付けのようだが、どこかの首相にも聞かせたい言葉です。“In wartime, truth is so precious that she should always be attended by a bodyguard of lies.(戦時下では、真実は非常に貴重なので、常に嘘と言うボディーガードで守られている)”と、自分達に都合の良いナチス情報を信じようとする宥和派に向けて警告を発します。“Democracy is the worst system devised by the wit of man, except for all the others.(民主主義は人類の知恵が考え出した最悪のシステムである、他の全てのシステムを除けばの話ではあるが)”には、強硬な反対派への苛立ちがよく出ているようです。また、一方では“National unity does not mean national unanimity.(國民が一つになるとは国民の意見が一つになることではない)”と、枢軸国とは違い、国難の時でさえ言論の自由を認めることで、英国民はより一層強く団結出来ると訴えながらも、“What most people call bad judgment is judgment which is different from theirs.(大半の人が誤った判断だというものは、彼らとは異なる判断である)”では、俺が正しいのだから四の五の言わずに従えと主張したいようです。組織内で異論が受け入れられないのは、日本文化の特徴の一つのように言う論者もいますが、これを読むと、程度に違いはあっても万国共通の現象のように見えます。
   悪戦苦闘の末、リーダーの地位を獲得し、国民を徹底抗戦に向けて鼓舞する際の彼の思いを示す言葉を挙げておきます。“If people were told of their dangers, they would consent to make the necessary sacrifice.(もっと前から、身に迫る危険について説かれていれば、既に国民は必要な犠牲を払うことを厭わないと心を決めていたのに)”との思いを抱きながら、“Without victory there is no survival.(勝利無くしては生き残れないぞ)”と国民に決意を迫っています。その裏には、“Logic is a poor guide compared to custom.(決心に至る指針としては、理屈は生活習慣には叶わない)”という経験則と人生で初めての地下鉄で“The maxim of the British people is Business as usual(英国人の処世法は「事はいつも通りに運んでいる」である)”のを確認したことがあるのでしょう。そして、彼の演説に呼応して立ち上がった国民に対して、“The nation had the lion’s heart. I had the luck to give the roar.(ライオンの心を持つ英国に、吠えさせることが出来た私は幸せ者だった)”と謙虚に感謝することを忘れていません。
   以上、彼の言葉を玩味していますと、“It is a good thing for an uneducated man to rea books of quotation.(引用句集は、無学の男のためにある)”と水を掛けます。せめて、映画の感想位は、自分の言葉でと思い、「真の国難とは、国難に対峙し得るリーダーを持たないことである」を捻り出しました。