イラン病患者からのレポート 第七話 | ||||||||||||||||||||
城郭都市アルゲ バムとケルマンラヴェール絨毯 | ||||||||||||||||||||
北島 進 | ||||||||||||||||||||
平成15年10月次の3つのスポットを訪問する目的で、テヘランータブリーツ400KV送電線工事でミヤネ事務所の運転手兼事務係だったアスカリプール氏の車でイラン東南部のケルマン州を訪れた。 ケルマン州で最も魅力的な観光の第一スポットはヤズド市にある鳥葬の塔で有名な拝火教の大本山である。 イランには拝火教の神殿跡が各地に分散して修復保存している。 主なところはシラーズのペルセポリス、イスファハンのアーテシュガーフ、アゼルバイジャン州にあるタクテイ ソレイマンなどである。イランで生まれた拝火教は、イラン人の先祖アーリア人の自然崇拝教をゾロアスターが体系化したものだ。アスカリプール氏の話では拝火教徒が多く住むヤズド市では事件や事故が不思議なくらい少ないことで国内でも有名だと語っていた。中級のホテルのフロントも英語がわかり、拝火教徒かと尋ねると躊躇することなく微笑んでそうだとうなずいた。市民の知的水準が高いのではないかと思われる。これから述べる城郭都市アルゲ バムの歴史書の中に“カルビン派歴史学者ベロシュウスはキュロス大帝によるバビロン陥落に関してペルシャ王は陥落したバビロニア王ナポニダスに終焉の地としてケルマンへ亡命させたと伝えている。”という話が出てくるが、これはアケメネス朝のキュロス二世(BC559-530)がBC537年新バビロニアのナポニダス王(エブカドネザル)を滅ぼし、新バビロニアに攻め滅ぼされ70年以上強制移住させられたイスラエルの数万のユダヤ人が所謂バビロンの捕因から開放されて、エルサレムへの帰還を許され、神殿の再興を果たすことが出来た。この寛容な計らいがユダヤ人のキュロス大王に対する敬慕の念と彼の宗教に強い関心を抱かせることになった。拝火教の教義の一部を旧約聖書に取り入れたという話もある。拝火教の話は興味が尽きないので、別な稿でレポートしたい。 第二のスポットは紀元前に起源を持ち、紀元後城の基礎が作られて、16世紀に城郭都市として完成し、18世紀後半まで、人々が生活していたが、その後侵略が繰り返されて、次第に衰退して、放棄された城郭都市アルゲ バムである。 第三のスポットは観光としてはあまり知られていないが、20世紀初期までケルマン市とその近郊の田舎町ラヴェールでペルシャ絨毯としては世界屈指の名品が作られた。 このレポートではアルゲ バムと田舎町ラヴェールを取り上げる。 イランでもアルゲ バムの歴史書は非常に少ないが、テヘラン市で唯一入手出来た文献が、英語とファルシ語の“アルゲ バム”(アブドルレザ サラー ベザデイ著)だった。
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平成22年3月 | ||||||||||||||||||||