最近のイラン事情(2016年度)
北島 進
 2014年4月に同じタイトルでレポートしたが,今回は2016年10月4日から13日まで滞在したイラン事情を報告したい.
 イラン経済
 地方のホテルには英字新聞は皆無であったが,旅の最後の10月13日(木)にテヘランの馴染みのホテル バーバーターヘルに泊まって,ようやく英字新聞に巡り会えた.
 新聞名を聞いてびっくりしたが,Financial Tribuneである.昔はKeyhanという英字新聞だった.アーシューラ前日の10月10日(月)の新聞だった.これによると紙上ヘッドラインでIMFの来年度のイランの経済予測を挙げている.
  現在イランのインフレーションは7.4%で経過しているが,2017年度は7.2%と予測している.さらに今年の失業率は11.2%であるが,来年は11.3%に悪化すると予想している.この失業率を考えると旅の中で出会った若者の表情や態度に目立った暗さや失望の雰囲気は感じられなかった.
 その他のニュースはアゼルバイジャン国の国境に近いアルダビール近郊で中近東では初めての地熱発電プラントが85%完成して,来年9月には本稼働に入るだろう.
 出力は55MWである.
 新聞は中国からの積極的な海外投資を期待するかのように,中国政府は海外投資への規制ルールを緩めることを決議した.それにより今後医療,教育,スポーツ,文化などの分野にも投資が広がることが期待されると伝えている.また北京で首相はコンテナー ターミナル,運搬用車両エンジン,郊外の輸送基地建設,内陸の水道設備などのプロジェクトへの投資を目論んでいると伝えている.
 多民族国家イランの抱く苦悩
 イランにはトルコ国境のアゼルバイジャン州を中心にトルコ系イラン人が多く住んでいる.彼らはファルシー(イラン語)ではなくて,トルコ語のアゼリ語を使っており,同族意識が非常に強くて,相手がトルコ系とわかれば直ちにアゼリ語で会話するから,イラン人でも目くらましになってしまう.今回ザンジャンのセピードホテルに泊まったが,高級ホテルで187万リアル(5500円)だったが,フロントは英語もファルシーもわからないと平然とした顔で宣うのにはあきれ果てた.実際はファルシーも判っているが,使わせない経営者の方針のようだ.その場で料金を支払って,ファクトール(領収書)べデ(くれ)とファルシーで言うと最初はわからないというので,冗談じゃないだろう今キャッシュを払って,領収書を出さないとはどうゆうことだと英語でまくし立てたら,渋々ホテルの用紙に記載して出してきたが,領収書のようには見えなかったが,支払った金額とホテルのスタンプ印が押してあったので良しとした.従業員は全てトルコ系だからアゼリ語を話していたが,ホテル関係の下請け業者が来るとファルシーを使っているので,当然のことながら彼らはファルシーを十分知っている.だからこのホテルはトルコ系の民族意識の強い経営者が運営しているのだろう.
 今回のザンジャン訪問は前回のタクテ ソレイマンで未確認の遺跡を再確認するためだったので,ザンジャンからタクシーで日帰りしようと計画していた.アルダビールからテヘラン行きの高速バスでザンジャンバス停に降りると,色白で45歳ぐらいの品の良さそうなドライバーが近づいてきて,タクテ ソレイマンへ行かないかと近づいてきた.地球の歩き方にもこのようなタクシーが利用できることは書かれていたし,計画でも使うつもりでいたので彼の話に乗ってしまった.車内で明日ソレイマンに行きたいが幾らかと尋ねると220万リアルだという.ガズヴィンでは1日12時間で案内者を100ドルで雇っていたので,この値段なら高くないと思い明日9時にホテルに来いと約束して,ホテルセピードへ行ってくれと言ったところ,あそこは高いので,別なホテルにしたほうがいいよとアドバイスしてくれた.しかしガズヴィン,アルダビールと安宿で不満だったので,高くてもいいから,このホテルにしてくれと案内させた.運転手は荷物を運んでくれたが,なんだかそわそわして,私とフロントの交渉を見ていたが,彼には違和感を感じていたようだ.それは先に述べたホテル経営者の姿勢を彼が知っていたからだと後になって理解できた.
 このドライバーはイラン人でもアーリア系に見えた.彼の運転でザンジャンからタクテ ソレイマンへ片道170kmを往復してもらったが,片道2時間で往復4時間,それに現地滞在約2−3時間の費用が220万リアルだった.彼の話では最近ポーランド人とかヨーロッパの人を案内したが,自分は英語が全くできないので,非常に苦労していたが,今日は日本人でもファルシーが判るので,楽で楽しいと言っていた.確かに外国人を捕まえて,7時間で220万リアルなら,タクシーの流しをするより身入りが大きいことは確かだから,毎日高速バスターミナルで外国人を待ち伏せしているのだろう.
 彼は帰路の中で,英語は聞きかじりだろうが,突然『アイ ラブ ユウ』と言うではないか.我輩もウームと黙って聞き流していたが改めて生まれて初めて聞かされた英語で,事の次第はともあれ『悪くはない アッパレだ』と旅の出会いに感心した.
 次に遭遇した民族間の差別について報告する.ザンジャンの次の目的地は暗殺教団城で最後までモンゴル西方遠征軍団を悩ませたゲルドクー城のあるダムガーン市であった.ザンジャンで乗った高速バスはテヘランの西ターミナルが終点である.一方ダムガーンへの高速バスは東ターミナルから出発するので,西から東への移動は専用のバス路線を確保したルートをバスが走るシステムのBRTを使った.これは一路線20000リアル(40円)で安くて早い.この車内で始発で乗ったので席が取れたが,この乗り物は安くて便利だからすぐに満員になった.色白で185センチの長身で体格のいい大学生ぐらいの青年が僕の前に立っていた.目があったので軽く会釈したら,どこから来たのと聞かれたので日本からだと少しでかい声で答えた.大体イラン人は東洋風な人を見ると必ずチニーとみなして蔑む視線を送ってくる.だからこんな時には大きな声で答えることにしている.
 そうすると周りの人々はこちらを向いて一暼をして,ハハーン ハンチングの被った初老の日本人がいると認めた.どこに行くのかと聞かれたから,ダムガーンだと答えた.そこでハサン サバーフの教団の城ゲルドクーを知っているかと今度はこちらから質問した.相手は知らないと答えたが,私の席のすぐ横に立っていた青年はマン ミドナム(私は知っている)と答えるではないか.ホーそうですかといって彼を見上げて,相手に彼は恐らくアラムート城,ラミアサール城も知っているだろうと伝えた.イラン人でも知っている人は非常に少ないが,最近はアラムート城も国の史跡遺産保護局がずいぶん手を加えて整備したので,ヨーロッパ,中国の観光客が訪れるようになり,今回は外国人に対して,20万リアルの入場券を買わされた.イラン人は無料である.だからぼちぼち知られるようになってきた.この政策は原油安で諸物価の値上がり,経済の停滞から観光資源開発で雇用や外貨稼ぎの方針が顕著になっているのが背景だと認識される.さて話を戻して,このBRTの終点は誠に都合がいいことに東バスターミナルである.
 彼はターミナルのバスの案内事務所へ案内してくれた.最初彼は一人で事務所の担当者に値段やバス時間を聞いてくれた.ところが彼の説明では今はアーシューラ祭りで非常に混んでいるから,終点マシャッドまでの料金を払ってもらうという.ダムガーンまではマシャッドの半分手前で遥かに近いのに腑に落ちないものだった.今度は彼に同行して案内事務所に出かけて,担当者を観察していたら,アーリアン系(アルメニア系にも見えるが,イスラムの感じだ)のこの青年の話を真剣に聞き取ろうとしていない,担当官は彼に視線を向けず,あらぬ方向を見て無視しているような対応,姿勢を見て驚かされた.横に外国人が現れたので,隣に座っていた担当官が少し気遣う様子になった.私は大体30から40万リアルだろうと思って50万リアル紙幣を手でかざしていたら,隣の担当者が突然立ち上がり,ひょいと紙幣を取り上げて,つかつかとチケット売り場へ向かった.慌ててオイオイどうするんだと思っていたら,特別の座席でダムガーンまで48万リアルのチケットを用意したといって私にくれた.これを見た青年はあっけにとられたようだったが,自分はカスピ海方面に行くのでバス事務所が違うから,ここでボダ ファフェス(神のご加護がありますように,さようなら)と言って別れた.担当官は浅黒くて目つきが鋭く,頬が痩けているので,クルド系かトルコ系の40代後半の男子だった.昔知り合ったテヘランバザールの絨毯商もトルコ系だが,絨毯商にはトルコ系が多いい.現在のように長く経済が停滞し続けていると食品や生活必需品,不動産,ホテルなどの商売に才能のある商魂たくましい民族が幅を利かす時代を迎えたのかもしれない.なかんずくトルコ系イラン人に最適な社会環境が生じているとのかもしれない.アゼリ語を話すトルコ系イラン人は人口比率でも多いと思うが威勢が良くて他の少数民族に対して高圧的な態度を見せるレベルの低い人々がいるらしい.
 同志社大学を卒業して,日本語も堪能なアーリア系ヤグマイ ベザード氏も知り合いだが,彼も絨毯のネット販売をしている.先述した絨毯商とも知り合いで,3人でバザールで同席したことがあるが,アーリア系イラン人には絨毯商が少ないので,異民族同士の商売仲間には限界があるように見えた.彼は日本業者の通訳業もしている.
 一概には言えないが,今まで出会ったアーリア系イラン人はお人好しでずるさがなく,大人しく好感の持てる人が多かった.しかし今のイランでは生き易い環境ではないのかもしれない.
 アルメニア系,ザルドーシュ系(拝火教),クルド系,東方キリスト教(中国の景教)系,イスファハンの西方、ザグロス山脈の東側で遊牧生活をしていたバクテイヤリ族やシラーズの西方で、ファルス高原で遊牧生活をしているカシュガイ族,この二つの民族は民族色の強い個性的な絨毯で世界的に有名で特にバクテイヤリ族のデザインは創造性に富み、全く独自のデザインを次々に創出して、世界の絨毯愛好家を虜にした。
 絨毯の話が出たので指摘しておきたいのは今やシリアやイラクで対イスラムISの戦闘に加わり,最も勇猛果敢な戦い振りで有名なクルド族はイラク,イラン,トルコに分散して住んでいる.イラクの国境に近いイランのアゼルバイジャン州のサナンダジ市に住むクルド人の絨毯は世界の愛好家なら一枚は欲しいと思うほど繊細で重厚な色彩,超精密な織り方はクルド族という一般世評とは全く異なる民族像を認識させられるほど素晴らしいものである.
 カスピ海の東寄りのゴルガーンやゴンバットカブースにはモンゴル系,トルキャマン系が住んでいる. アフガニスタン国境にも多くの少数民族が住んでいる.
 単一民族の日本人には計り知れない複雑な社会現象が,その時の政治,経済を背景に発生していることが推察される.
 イラン人の親切な計らい
 今回も見知らぬイラン人,しかも彼氏同伴の女性から旅行サービスを受けたので,詳しく報告する.アーシューラ祭りで東ターミナルからダムガーン行きのバスはほぼ満員だった.買ったチケットの特別席とは進行方向左の一人席を指していた.右が二人席の構成で高級なスイス製の大型バスである.テヘランを出てから高速道路も休日の自家用車で溢れ,上りも下りもに長い渋滞だった.高速バスには運転手と車掌がいるが,このバスはダムガーンは正規の停車場ではないので,日本人のために臨時に留まってくれる予定だったので,車掌に留まるのかと再三確認していた.そのような姿を見ていた右隣りのカップルの女性が話しかけてきた.それでダムガーンで泊まり,明日ハサン サバーフのゲルドクーを登りたいのだと説明したら,ゲルドクーやハサンの話を聞かせてくれというので,かい摘んだ要点を話して聞かせた.それなら自分の大学の同級生がダムガーンに住んでいるから,山の案内人など困ったことは彼女に電話して相談した方がいいよと言って電話番号を教えてくれた.そして携帯電話で彼女に電話して,案内人がいるのか,費用はいくらか,案内人に車を出させると極端に高くなるから,タクシーを使った方がいいよ.もしタクシーならこちらに電話しなさいと事こまめに準備してくれた.添付メモは彼女が揺れるバスの中で,記載した見事な筆跡である.
 この間バスは渋滞でノロノロ運転が続いているのを見ながら,別な心配事が出てきた.それはダムガーンの郊外のバス停留場に午後12時ごろ降ろされても市内へのタクシーがつかまらないのではないか,しかも不定期に留まってくれるのだからなおさらだ.それで急遽彼女にダムガーンでのタクシー問題など説明して,セムナーン市(正規の留まる場所)で降りて,一泊して翌日ダムガーンに向かう変更を話したところ,彼女はセムナーン大学出身なので,友人がセムナーン ツーリズム ホテルのフロントにいるから電話して予約,金額,セムナーン停留場からのタクシーの手配までしてくれた.セムナーンに着いた時は12時近かったので,降りてもすぐにタクシーがいなかったし,通り掛からなかった.停留場に降りたらカップルも降りてきて,銀色のタクシーが来るから,ここで待ってなさいと言って,親切に旅行の無事を祈っている旨の挨拶して彼らはバスに戻った.
 降りて数秒したら,長いタンクローリーが横に止まった,そして一人の30歳ぐらいの青年が降りてきて,私の横に立っていたが何も話しかけられなかった.2分ほどしたら,銀色の乗用車がトロリーの横に止まった瞬間,この青年は私に近づいてきて,この車に乗りなさいと指示してきた.それで初めて彼が間違わないようにアテンドしてくれていたのかとわかり,彼女の用意周到な手配ぶりに感謝の気持ちで一杯だった.ホテルは停留場から5分ほどで無事宿泊したが,彼女は50ドルぐらいと言っていたが,1667000リアルで,銀行が祭りで休み,ホテルのドル換算レートは29000リアルだという.ザンジャンや空港のレートを持ち出したが,ダメなので58ドル払った.
 翌日タクシーでダムガーンに向かった.ここのホテルは予約がなかったが,かろうじて空室があり2泊した.この町の同窓生が案内人を手配してくれたので,彼女に電話したところ,案内人は明日も祭りの連休で出てこれないから,自分と父親二人で案内する予定だと伝えてきた.これにも驚かされたが,兎に角2014年は登山道へのアプローチがタクシー運転手の不案内で出来なかったので,今回は何としても登りたかった.
 翌日9時にホテルに父と母と娘が来られて,ゲルドクーへ出発した.
 車内で話をしていると父は中学生の頃から,この山を登っているので案内は問題ないとのことだった.ダムガーンから郊外に出て,砂漠を15分ぐらいで,登山口と思っていたところに到着した.2014年度にタクシーで案内されたルートとは全く違った.この時は山の西側だったが,今回は東側でダムガーン市からより近い場所である.母は太っているから,車に残して,3人で登り始めたが,城門へ至る手前の急な登りで足を滑らして腹ばいになり,何とか滑落は免れたが右足を擦りむいた.化膿止めの薬を塗って,持参していたスパイクを靴に嵌めて登り始めたが,今度は安定してスイスイと登れた.父,娘は白い普通の運動靴で登っていたが,さすがに遊牧民の末裔だけあって,脚長で軽量な若い人達だから,石ころだらけの急な坂道を往復一度も転ばずに済んだのはさすがである.この山は一人で登るのはルートを知っていても危険だと感じた.
 特に帰路は道がはっきりしていないので,迷う可能性が高い.父も帰路に2度ほど道を確かめるために,ちょっと調べるからと山腹を回り込んでいた.
 イラン病患者からのレポート”ゲルドクー城”のコピーを見せて,昔この山にNHKの撮影隊が登って,1256年ゴルモンゴル軍団が投石機を使って攻撃した際に使った弾丸石が山頂に残っていると報じていたが,そのような石は見つかりますかと尋ねたが,頂上には一つも見当たらなかった.3分の2ほど下山したところの岩陰で二人の青年がお茶を沸かしているので,飲みに来いと手招きをしていた.招きに応じて登って行って,丸石の話をすると,その石は下の車の駐車している方角によく見えるでしょうと指差した.直径30−50センチあり,重くて持ち上げられなかったが,NHKでは若いイラン人が膝のあたりまで持ち上げていた.投石機を使ったのは城門の破壊が目的だったようだ.2014年西側から東側へ山裾を踏査したが,弾丸石は見なかった.この周辺だけだ.山頂までの高さは218メートルであり,城を攻撃するには弾丸が届かなかったと思われる.
車内でサービスをしてくれた女性:Sahar Mohammadian セムナン大学を卒業後テヘラン大学へ移って,現在は下記の仕事をしている.
International Relations Officer
Directorate of International Relations,Accreditation & Ranking
Office of Vice-Chancellor for GlobalStrategies and International Affairs
Tehran University of Medical Sciences
No. 21, Dameshgh St., Vali-e-asr Ave., Tehran 1416753955, Iran.
Tel: (+98 21) 88800332
sahar.mohammadian72@yahoo.com
ダムガーンの女性:Mahsaと呼んでツーリズム関係の教育に携わっている.父は高校で国語の先生だったが,今は定年退職しているとのことだった.
 宗教の話
 旅の最後の日はテヘランのバーバーターヘルホテルに泊まったが,夕食にクビデを食べたいと思って,午後4時ごろデイナーのメニュや時間を確認しにレストランへ行った時,数人のレストラン給仕人の中で185センチと長身だが内気そうな静かな雰囲気の青年にグビデと時間を質問した時,私は173センチで相手の首元が目線に入った.
 そこには拝火教の善の神アフラ マズダーが光輪を持つペンダントが輝いていだので,あなたはザルドーシュですねと問うと頷いたので.私もこの宗教には興味があるんですよとファルシーで言うと早速首から外して,私の首に掛けようとするので,本当にもらっていいのですかと聞いたが,微笑しながら頷いて手を止めなかった.
 イスラミック レパブリック イランと言うほどにイスラム教を主体とした国家運営を目指している政治環境で,あえてゾロアスター教徒をおもてに表すことは利害を考えると勇気がいるので非常に珍しい人だと思った.アラムート城へ案内してくれたガズヴィン市のイランホテルのマネージャー ノールジー家もザルドーシュだと言っていたが,アフラ マズダーのネックレスはつけていなかった.
 観光ビザ取得
 今までは全てイランの友人に依頼して,書類をテヘランのイラン外務省に提出して許可番号をもらって,東京のイラン大使館でパスポートにスタンプされた.今回は友人が地方勤務で不在のため,東京の株式会社アジアトレーデイングコーポレーション(ATC)に依頼した.2週間以内で2万円で取得してくれた.(大使館でと手数料5,000円も全て含む)しかし最近のイラン政府のビザ政策がゆるくなって,各地の国際空港のイミグレーション オフィスでの申請でも容易に取得できるという札幌在住で絨緞商を営むイラン人から聞いていたので,今回テヘランホメイニ国際空港のイミグレ オフィスを観察したら,確かに10人ほどのアジア系,ヨーロッパ系の人々がビザ取得で並んでいたが,事務員から呼ばれて,微笑みながらパスポートを受け取っていた欧米人の姿が印象に残った. ここで取得できれば手数料は50ユーロ(5700円)で済んでしまう.
 フライト計画の失敗
 公私ともに長い海外旅行の経験で,フライト接続に遅れて失敗したことはなかったが,今回遭遇してしまった.最近の数年間は中東カタール航空かUAEのエミレーツ航空を使っている.今回のフライトスケジュールは下記の如く待ち時間が少なくベストと自負していた.ところが帰途に落とし穴が待っていた.
往路:     成田      ドバイ            
EK319      22:00      4:15      テヘラン   合計時間
EK971                7:45      9:25  16時間10分
復路:      テヘラン     ドバイ        
 EK976 3:55 6:35 羽田 合計時間
EK312 8:00 22:45   12時間30分
復路のフライトEK976とフライトEK312の接続に落とし穴があった.到着時間と出発時間とで1時間25分あれば定刻通り運行されていれば成田,羽田なら問題はない.
 ここで注意を喚起したいのは最近のドバイ国際空港の特殊事情である.
其の1:航空機と空港手荷物検査場までの移動はバスが使われている場合が多い.
羽田行きEK312もフルブックであったが,バスが使われた.
其の2:検査場から出発ゲイトまでの通路が空港内に広がる24時間営業の多くの免税店の中に混在しており,ショッピングを楽しむ旅行者の合間を縫うようにボーデイングゲイトへ向かうのは通路掲示板不足で迷いが生じて,最短距離を走るのは至難の技であった.
其の3:ボーデング ゲイトクローズが7:40であった.
 この結果間に合わず翌日のEK312に変更したが,エミレーツはホテル無料提供,変更ペナルテイーは取られなかった.しかし日本国内のホテルとフライト予約取り消しの手続きをドバイのホテルから電話で行った.旅行会社を通さない単身旅行者にはこのようなフライト計画を組んだ場合,航空会社からのアドバイスが欲しいところである.
 やはり国際線では最低2時間は確保しないと危ないことがわかった.
 為替レート
 まず旅行者には為替の動向が一番大事だ.
 今回のイラン国内の為替動向をまとめて表すと次のようになる.
 一番有利なドル売り場はイランに限れば空港である.2014年は30,000リアル/ドルが37,500リアル/ドルであった.ただしここでは交換が200ドルまでとされていた.
 一般の市場でのレートを列挙すると,テヘランの私設為替取扱い所はメイダン フェルドーシ広場が有名であるが,ここは36500リアル,今回訪れた地方には私設両替所がなくて,銀行(アルダビール市)は35700リアル.セピードホテル(ザンジャン市)は35000リアル.最近イランツーリズム協会の指定ホテル,例えばセムナン市のセムナンツーリストホテルは29000リアル.同じくダムガーン市にあるダムガーン ツーリスト ホテルは31000リアルであった.政府の息のかかったホテルは全てレートが低い.今回は10月10日から14日まで7世紀にイラクのカルバラーでスンニー派ウマイア朝と戦って殉教の死を遂げたシーア派教祖アリーの息子フセインを哀悼するための祭りアーシューラに遭遇して,銀行は閉店でその間のホテル代は全てドルになった.この祭りの情報は事前に注意深く調べないといけません.イラン暦を使うので年々グレゴリアン暦に変換しなければならないので,日程が変わるのである.
 ホテル料金
 2014年のホテル代は一部テヘランなどの高級ホテルを覗くとイラン人と同じリアル換算だったので,外国人にはめちゃ安だった.しかし今回は驚くほどに高くなっていた.その理由はイラン人と外国人のレートを分けていた.典型的な例として,テヘランで常用している旧名マルマル,新装開店後バーバーターヘルホテルは2014年にはレセプションの壁に宿泊料金がリアルとドルが併記されたボードが掲示されていたが,今回はドルだけを表示した小さい紙を枠に入れて表示していた.
 前回は60ドルだったが,今回は108ドルとなっていた.リアルは表示されていないのでイラン人にはフロントの対面で,その都度交渉しているのだろう.
 この傾向は地方の小都市セムナンやダムガーンのツーリスト ホテルはいずれも166万7000リアル(為替が29000リアルで60弱ドル)とか164万5000リアル(31000リアルで54ドル)と言う提示を受けた.フロントは明らかに外国人とイラン人を差別していることは明白だった.
 それはイラン人の年収から見ても,止むおえいない施策かもしれない.
 このレベルのホテル施設はツインベットで36へーべ以上あり,清潔で整っている.
 ガズヴィン市の暗殺教団城を案内するイラン ホテルの設備は少し劣るが85万—100万リアル(30ドル弱)であった.アルダビールのホテルは80万リアル,ザンジャン市の高級ホテルは198万リアル(ここは35000リアルで57ドル)であった.
 食事代
 食事代はチェロキャバブとクビデが代表的な大衆メニューだ.今回ガズビンで案内者を雇ってタレガン地方のギャタデー,ギャラブを訪ねたが,帰路にタレガン市でクビデを案内者にご馳走した.この田舎でのお値段は一人15万リアル(450円)であった.
 ガズヴィンのイラン ホテルのレストランではクビデが25万(700円),チェロキャバブ28万リアルだった.マネージャーのテーブルの価格表にはリアル表示だけで,ドル表示はなかった.
テヘランのホテルのクビデは35万リアルだった.さすがに食事ではイラン人と外国人の差別はできない.
 交通費
 テヘランで一番気をつけなければならないのはホメイニ国際空港からテヘラン市内までの交通機関がタクシーしかないことだ.外国人が空港を一歩出ると一斉にドライバーや仲介業者が集まってくる.従って館内のインフォーメーションデスクで安心できるタクシー業者の案内を依頼するとスタッフが館内に事務所を構える大手タクシー業者の事務所に案内してくれる.ここで通常の運賃を聞き出せる.今回はテヘランの西バスターミナルへ向うので,70万リアルだった.帰途のフェルドシー広場近くのバーバーターヘルホテルでタクシーを呼んでもらった時フロントは70万リアルでいいはずだと言っていたが,実際に降りるとき,ドライバーは85万リアルと言ってきたので,ホテルでは70万と言われてきたのに高いではないかホテルに電話するぞと脅したら,80万に値引きしてきた.
 タクシー事務所で待機車があればそれを使うが,なければドライバーを捕まえて交渉することになる.
 都市間の移動は高速バス(オートブスと呼ぶ)を使った.高速バスは街の郊外にターミナルがあって,そこで降ろされるので,市内まではタクシーを使うことになる.ターミナルから市内までは都市によって距離が異なり,タクシー運賃も異なるが,今年の場合近場で五万リアル,少し遠くて10万リアルである.高速バスを降りると外国人にはドライバーが押し寄せてくるので,老人か中年の人相の良いドライバーを選ぶことが必須条件だ.うっかり悪いドライバーに捕まると3倍ぐらいぼられる.高速バス料金はガズヴィンからアルダビール(ザンジャン経由)で6時間強40万リアル(1200円),アルダビールからザンジャンまで20万リアル(600円),ザンジャンからテヘランまで20万リアル(600円)である.
 今回の旅も10日で食事,交通,宿泊全て含めても1100ドルほどで,何を飲み食いしていたの,どんな美術館,どんな歌劇場に行ったのと聞かれるほど安い旅だった.
2016年10月30日