最近のイラン事情
北島 進    
 3月30日から今月11日までイラン病患者からのレポートに欠かせない取材に出かけた。
2011年11月以来の訪イで、社会事情の急変に驚かされることが多かった。
  取材箇所がアサシンの里ダムガーン市はテヘランから340km東よりで聖地マシャッドへ向かうシルクロード上のにある古い街で、BC333年にアケメネス王朝のダリウス大王とギリシャのアレキサンダー大王がマラトンで戦って、ダリウスが敗走してアレキサンダーがイランを制圧した頃、この町はアレキサンダーの足跡が残るほど古い町である。もう一箇所はガズヴィン市である。その他訪問先はケルマンシャー、ハマダーンであった。田舎が多く英字新聞が全く見当たらない。従って政治経済の詳しい話は聾さじきだが、少しイラン語を話す年寄りの日本人がローカルのミニバスや高速バス、テヘランのBRTというレールのない電車バス、地下鉄で地元の若者やビジネスマン、壮年女性グループとの接触で得た最近のイラン人の話をしてみたい。

  まず経済ニュース。これは一番に為替である。2011年には1ドル:10,000リアルだったが、今回は30,000リアル これはホメイニ国際航空エアーポート内の為替レートであるが、テヘランのフェルドシイ広場の私設為替所でも30,760リアルなどであった。驚くなかれ31日から8日まで9日間の滞在費は交通、食事、ホテル代、お土産合わせて470ドルであった。その理由はホテル代、交通費、食事が安いということだ。特に田舎では外国人といえども正直に現地人と同じレートで処遇された。しかしテヘランでの食事に関しては相当に割増された。しかしホテルは掲示板があるのでそのようなことはなかった。
  イランプロジェクトに参加された方ならご存知だろうがフェルドシイ広場はテヘランの旧市街の中心地で政府関係やバザール、ゴレスダン宮殿など近い下町的なところである。
ここ数年間この周辺のホテル、マルマル、イランシャーを使っているがマルマルは内装を完全に4スター並みに改装してババ ターヘルの名称に変わった。シングルで掲示48ドルだが130万リアル、イランシャーはネットでは49ドルとなっていた。

今回は31日午後11時頃テヘラン着だったので5星のフェルドシイホテルに80ドルで泊まって、翌日ダムガーンに向かった。帰国前の最後の日はターヘルに一泊したがリアルで払うと130万リアルで43ドル程になる。ダムガーン市はイラン正月の最後の日で混雑して3星が満員、2星クラスで一泊40万リアル(13ドル)で2泊、ガズヴィン市はアサシンの城を案内してくれるイランホテル 3星の下クラス2泊、現地案内費に70ドル払うことになって、65万リアルを50万リアル(16ドル)にまけてくれた。ケルマンシャーは観光ルートに便利なホテルは星一つか二つ星しかなくて、仕方なく星一つのホテルに一泊した40万リアル(13ドル)、ハマダーンは観光に便利な3星のアーリアンホテル110万リアル(33ドル)に2泊した。

交通費も驚く程安い。その典型的な例がハマダーンからテヘランの高速バス料金 150000リアル(5ドル)距離が343km、所要時間5時間、ベンツの2階建てクラス、横に一人席と2人席だから3人席で幅が広くリクライニングでゆったり出来た。それにジュースとお菓子のセットがサービスされる。
ホメイニ国際エアポートからフェルドシイ広場まで55kmほどあるが、2011年ホテルで手配されたタクシーでは22万リアル(22ドル)、今回空港のタクシー事務所で手配すると15万リアル(5ドル)、帰国の際メーラバード国内空港からホメイニ国際空港への高速バスがあると旅行誌「地球の歩き方」にあったので、試したらこのサービスは無かった。仕方がなくイラン人のビジネスマンにタクシーを探してもらったところ、20年前に日本で仕事をしていた日本語をカタコト混じりに話す運転手が見つかり、30万リアル(10ドル)でホメイニ空港へ向かった。
テヘランの公的な運営BRTシステム(路面電車のレールをバス路線専用にしている)バスは一度乗り捨ては5000リアル(0.13ドル)、乗り換え継続20,000リアル(0.7ドル)、地下鉄は一回乗り捨てで約13,000リアル(0.4ドル)ぐらい。ガソリンは1リットル25円ぐらいだった。

食事は朝は3星以上ならホテルで無料の朝食サービスがある。しかし朝食のないホテルでは町のサンドイッチ店で紅茶と食べるのだが、マッシュルームやソーセージを小さく切って、油とケチャップ、香辛料で炒めたものを長さ30cmの粘りのある柔らかな長いパンに挟んで、更にきゅうりのピックルスと新鮮なトマトを挟んだサンドイッチが3−4万リアル(1−1.3ドル)であった。ところがテヘランのフェルドシイ広場で牛肉のサンドイッチを15万リアル(500円)で買わされた。それ以来値段を確認しないと注文できないと認識した。
アサシンの城を案内してくれた青年が昼食を現地近くのレストランでしようというので、城からの帰りに彼の知人の店でチェロキャバブ(羊の肉とライス、バター、胡椒、焼きトマト、生のたまねぎ)をご馳走した。二人で25万リアル(一人4ドル 400円強)。
テヘランで生のオレンジ、ウリジュース 400cc 30,000から40,000リアル130円
ナツメヤシ 750g 6万リアル200円 乾燥くるみ 1kg 55万リアル1800円

1978年イランプロジェクトの契約当時を思い出すと、タバニールとの円ポーションは1ドル290円だった。事務所をタバニールやコンサルタント マハブ事務所に近い高級市街ヴァナック広場に事務所を構えていた。近くのザファール街には日本人学校があったので、スタッフも多くこの周辺で借家をしていた。当時を思い出すと借家費の半分が会社持ち、残りがスタッフ払いだった。100ヘーベぐらいのマンションが一ヶ月15万円ぐらいだったので、イランは高いなーと思っていた。その頃の1リアルは70円ぐらいだった。それが今では1円が何と300リアルである。

さて長距離バスやミニバスで乗り合わせたイラン人と交わした話はほとんどのイラン人がカタコトのイラン語を話す日本人と出会ったことはまずない。それでどこでなぜ何時ごろイラン語を覚えたのかの質問から始まる。 顧客シリカテ(会社)タバニールといえば皆よく知っているのでカスピ海、カンダヴァントンネル、デジンスキー場、タラガーン川、カラジなど送電線ルートをなぞって話がはずむ。そしてアハマドネジャット旧大統領から欧米との交渉で前向きなロウハニ新大統領の変化をどう思うか、若者の就職状況を尋ねて、パーレビ王朝時代のテヘランの歓楽街の様子を教えて話が盛り上がる。
パーラビ朝のシャーハンシャーが1973年にOPECを指導してバーレル(157リットル)が3ドルだったものを一気に7ドルに引き上げた。これは当時としては驚天動地の行動で日本でも有名なトイレットペーパー事件が発生した。中東のオイル利権を牛耳っていた欧米の石油財閥(メジャー)は大打撃を被った。
しかし現在はバーレル104ドルの時代だ。
従ってアメリカ、欧米と仲良くして石油をどんどん輸出すれば、どれだけ国が豊かになるか想像できるだろう。君たちの先輩は素晴らしいリーダーシップを発揮したのだよと話して聞かせた。
少し気の利いた大学生はイラン国内では就職が難しい、将来は英語を話せないと通用しないからケンブリッチ大学へ行きたいが、しかし夢だという、そして日本が好きなので日本で勉強したいがどうしたらいいかと尋ねてきた。日本では英語も下手だし、物価も高いし、学生ビザも結構難しい。だからフイリッピンへ行くのが最も現実的な選択だと教えてあげた。

4月8日ハマダーンからテヘランのアザデイ広場に着いて、アザデイ広場からホテルのフェルドシイ広場にBRTに乗って向かったが、フェルドシイの停留場がイラン語のアナウンサーではわからないので、向かいの人に尋ねたら、どこから来たかと尋ねられたので日本だと答えるとフェルドウシイは三つ目の停留場で降りなさいと教えてくれた、その人はテヘラン大学の機械工学科を卒業したというから、僕も日本で機械学を収めた者だと言うと今会社を経営しているが、もし時間があったら、自分の会社に来てくれないかと言ってファルシイ(イラン語)で書かれた身分証明カード(首からぶら下げている)を示して求めてきた。
明日帰国するために無理だと言って断ったが、兎に角イランでは日本の評判が猛烈にいい、これは中国、韓国と摩擦があるのが、かえって日本びいきに傾けているのかもしれない。

逆に中国、韓国はイランでは評判がよくない。
若い人はロウハニ大統領の政策がアハマドネジャットよりもはるかに良くなったと感じている。
一方70歳絡みのタクシードライバーはロウハニよりアハマドネジャットがよかったと言っている。
若者と知識人にはロウハニに人気があり、田舎の人と年寄りの旧守派はアハマドネジャットにという傾向はパーラビ時代と同じのように感じられる。
昨年4月頃の文藝春秋で立花隆氏が2040年頃の最も栄える国はどこかという問いに、それは中国でもインドでもない、まさにイランだと宣っていました。これは生産年齢の最も高まる国として選んでいる。
今時不人気で顧みられる国ではないイランになんで、そんなに魅力があるのかと思われるでしょうが、それはごもっともである。しかしそろそろロウハニ大統領、アヤトラ ハメナイ師などの外交姿勢の軟化で、もしかすると相場の格言”人の行く裏に道あり、花の山”を実感する時代がすぐそこまで来ているのかも知れません。

リーマンショック後の欧米先進国の自由市場の資本主義経済運営でなかなか安定した社会が導き出せない現状で、中国やロシアとも違った市場は自由だが強烈な宗教的な道徳の下で社会を運営しているイランには先進国の派手な歓楽街や賭け事もないので、若者は変な誘惑に囚われることが少ない。従って殺人、強盗、窃盗なども非常に少ない。それはイスラム教国家の特徴でパーレビ時代にも感じられた。
今や先進国は真剣に安定した国民生活を生み出す為に試行錯誤の経済運営を余儀なくされているさなか、サウジアラビアのような肩肘張った厳格なスンニー派イスラムではなく、程よい道徳的な引き締めのあるシーア派イスラム国イランの社会運営について、もう少し興味を持って観察してみる必要があるのではないか。

追記:
成田ーテヘランはカタール航空を使った。ドーハで10時間以上の待ち時間があるので、航空会社はウエスタン ホテルで休憩するサービスを提供してくれた。
ホテルの前にでて、ドーハの町並みを見ていたところ、車の駐車場の横で、人待ち風な二人の40歳前後の男性がいたので、話しかけた。相手が日本人と判ると自分は以前日本の会社で働いていたという。なんていう会社かと聞くと”ビスカス”と言うではないか。そこで僕も関連会社で働いていたが、誰か知っている人はいないかと聞いたら、鬼頭さん、石井さん、斉藤さんと答えた。植林という人は知らないかと聞いたら、目を細くして遠くを見る様すで、確かに事務所であったことがある、たしか三ヶ月ぐらい滞在していたなどという。名前はと聞くと”アリー”と答えていた。
まだ事務所はドーハにあると思うよと言っていた。

写真1:ババ ターヘルホテル 43ドル

写真2:ビーソツーン
ダリウス1世が東ローマ帝国(ビザンチン)と戦って戦勝した記念碑がバビロン(イラク)とアケメネス朝夏の都エクバタナ(ハマダーン)を繋ぐ王の道の断崖に彫られている。その記念碑の高台から遠望する風景が気に入ったので添付しました。
 2014年4月16日