土の匂い、石の香り
川村 知一

はじめに
北島正和氏のホームページ「日限り日記」4月30日(土)を読んだ。
タイトルは「俳人は田舎者に非ず」、“土の匂い”と俳人に関連した話題であった。
“土の匂い”から芭蕉が那須の殺生石で詠んだ“石の香り”を連想した。

4月5日
1か月前の話であるが、相変わらず那須のホテルに滞在した。
5日AM8:00、朝一番の“鹿の湯”に行き、首から肩にかけて打たせ湯10分、42,44,46℃浴槽に各3分浸かり、外気温5℃、道路を隔てた反対側にある殺生石を30分ほど散策して身体を冷ました。


写真1.鹿の湯


写真2.殺生石と芭蕉


写真3.殺生石標識


写真4.遊歩道

 
写真5.殺生石


木製の遊歩道を進み殺生石に至ると、右手に芭蕉の句碑があり、「石の香や夏草赤く露あつし」芭蕉。左手には、さらに大きな句碑があり「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」。
当初この句碑には芭蕉とあったが誤りで、弟子の一人、麻父が詠んだ句であることが分かり、セメントで芭蕉を消したがセメントが剥げ落ちたので、その部分を土に埋めた、とあるが土が流されて再び現れている。


写真6.芭蕉の句碑


写真7.芭蕉と誤記された句碑


ヤフー知恵袋を見ると、「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」は“つまらない句”と解釈して良いか?の質問である。
模範解答には「読む人がつまらないと思えばそれでも良い。俳句は17文字であり、読み手は宇宙観で色々な角度から読むと良い」というようなことが書かれている。

私の感じでは、“詠む人”より“読む人”の方が田舎育ちと都会育ちの違いがあるように思われる。
日光にあった丹勢社宅で長い冬を耐えて、春になって草木が一斉に緑になる時の感激は、都会育ちの人には分からない。
「目に青葉――」、都会育ちの人には、八百屋の店先に並ぶ葉物が目に浮かぶ?

                 “俳人は偽者のまま石の上”  松戸馬笑 
 
平成28年5月6日